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「店を守ることは人の思い出を守ること」

朝晩過ごしやすくなりましたと常套句を交わしたりしても、日中はまだまだ油断できない湿度もある。神戸には、恵みの雨も降り出した。とにかくとてつもない豪雨とならないように願い、秋の訪れを感じたい。

店を続けることにおいて、僕の考え方はシンプルだった。そう過去形で書いてみるのは、今はどうだという問いかけでもある。店は家だと思ってる。

是が非でも守るという頑なな想いよりも、居場所を続けたいという穏やかでたおやかな感覚に近い。住んでいるわけではないが、心地いい空間を維持するという至極当たり前の思考においてこの店は成り立っている。

店を始めたのは神戸の震災1995年の8月で、今ほど感じないにしてもとにかく暑い時期だった。それなのに僕は7月末と8月上旬3日間ずつの内覧会(それほど大げさでなく、知人に店のやり方と自分の考えを聞いてもらう招待会)を開き、その前後1週間ほどは店のソファで眠りに就いた。疲れていたからではない。自分の家をデザインし職人たちに想いの実現を手伝ってもらいカタチになる。愛おしく、ここがもう一つの家のように思えた。

「家」ゆえに名前はない。神戸の人が加納町の交差点と言えば3丁目の歩道橋のことだと聞いてから、加納町志賀と名乗ることにした。実は加納町は新神戸あたりから東遊園地南の2号線までの細長い町名(1〜6丁目)であり、自分のいるここだけが加納町なのではないと知ったのはオープンしてから3年ほど経ってからで、まぁ京都生まれ育ちの僕からすれば、先斗町や木屋町通をひとくちに言ってしまうようなものだとそれも愛着になった。

かくして、家のような酒場は生活の一部(無論それは生業だが、ないと困るジンクスや儀式のようでもある)となった。続けることは難しいという一般論は、実は信念やこだわりなどとは無縁(それはお客や周りが判断すること)で、関わる人々の過ごした時間、その中身に比例するものだった。

求めず、意図せず続けていれば、あとから僕の知らないここでの出来事を人が話してくれる。他の好きな人に伝え、また新しい誰かが想いを抱えてここにやって来る。そして、再び来るその人の記憶にある精度を落とさない、つまり思い出を壊さない。そんな仕事でもある。僕にすれば、客観的にこの店を知ることになり、こちらの思い出が幾層にも刻まれてゆくのだ。

思い出を重ねそれが詰まった場所になり、続けるチカラとなっていた。

店を守ることは、人の思い出を守ること。さらに刻みたい。

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