美奈川 詩文

幻想文学と古典文学。澁澤龍彦、京極夏彦、山田風太郎

美奈川 詩文

幻想文学と古典文学。澁澤龍彦、京極夏彦、山田風太郎

最近の記事

プレゼン下手

ども。古本屋志望の美奈川です。 糊口を凌ぐ方の仕事が、なかなか暗礁に乗り上げてきました。経済不況のあおりをモロに受ける職種なので、けっこう、いや相当厳しいです。 と言っても、他にできる仕事があるわけじゃなし。今手許にある牌をなんとかやりくりして、次につなげる方法を模索するしかないかな… 昔から美奈川は「プレゼンが下手」です。 理由をいくつか考えたのですが 1)誇大広告がうてない。 2)相手が求めているものを、相手が求めるように提供することができない。必ずどこかに「自分」が

    • 相互扶助?

      「ロイヤルマッチ」というケータイゲーム(?)があります。ウリは「無料、電波不要、広告なし」です。 で、やってみたんですよ。 うん、確かに広告出ないです。wi-fiも何にもいりません。 でもって、基本無料。課金しようと思えばできるんでしょうが、しなくても大丈夫そう。 ほぉ、すごいな。どうやってゲーム開発してるんだろう と思いました。 で、ふと。 前からケータイに入ってるパズルゲームをやってみたんです。こっちは広告あり。 そしたら、「ロイヤルマッチ」の広告がわんさか出てきま

      • 近況報告2

        自分の勉強時間が取れず苦悩している美奈川です。時間の使い方が下手なんかなあ いろいろ進んでいないのに放置しておくのもなんなので、ちょっと日記でも書こうかな、と思ってます。 日記というか、週記というか… 頻度を上げるのは無理だと思うので、徒然なるままに。 ではまた

        • 河童の川流れ

          「河童の川流れ」ということわざがあります。説明には「泳ぎが巧みなことで知られる河童でも、川の流れに押し流されてしまうことがある。そのように、名人でさえも時として失敗することがある、というたとえ」とあり、類語として「上手の手から水がもれる」などが挙げられています。 初めてこの諺を聞いた子供の頃、自分の頭の中には、まったく違う情景が浮かんでいました。 それは、川の流れに身を任せて浮かんだまま流されていく河童、でした。泳ぐどころか何もせず、ぷかぷかゆらゆら… いわく、「今日はもう

          近況報告

          放置しててすみません。美奈川です。 糊口を凌ぐ仕事に追われております。感染症の波には乗っておりませんが、先行き不透明感半端無いです。 あと1ヶ月したら、先が見えるかな。そしたら、荒木田麗女をやりたいと思っています。 再開の暁には、またよろしくお願いいたします

          さて、次回は

          「そんなTwitterの更新頻度じゃ、いるかいないかわからないですよ!」と友人に忠告された美奈川です。 まあ…きっとそうなんでしょうね。1日1ツイートを目標にしてみたのですが、結局何も書かないまま終わっている日々が続いています。SNS苦手みたいですね、すみません。 ということで(?)、「吉野拾遺」も終わったことですし、次は「荒木田麗女」をやっていこうと思ってます。 澁澤龍彦の「飛ぶ頭について」(『ドラコニア綺譚集』)に、麗女の「怪世談(あやしのよがたり)」についての記述

          さて、次回は

          これからのこと

          美奈川がこれから何をするのか、ということですが 1)自分が気になってる古典文を載せていくこと。 2)それを現代語にするとどうなるのかを考えて、書いていくこと。 この2つを考えています。 知れば知るほど、古典の世界は奥深くて、自分の勉強不足や未熟さを思い知らされる日々ですが、それでもなんとかやっていきたいな、と思っています。 専門家でも研究者でもないですが、好きなんですよね…=ˆ ˆ= 新しいものを生み出すタイプではないのですが、新しいものを生み出したいと思っている

          これからのこと

          本朝美人鑑 弁内侍

           吉野の内裏に仕うまつれる弁内侍といひし人は、後醍醐の帝の忠臣、右少弁俊基朝臣の娘なり。帝、吉野へ移らせ給ひし頃、召し具しおはしまし、その昔、父朝臣、君の御ために身を滅ぼしけることなど、いとかしこく思し召し、忘れさせ給はざれば、「せめてそれが形見」などねんごろに仰せ下されけり。この内侍、天性かたち心ざま世に類ひなく、文の道うとからずして、和歌の名人たり。かれこれそなはれる女性なれば、帝もまたなくいたはり聞こえさせ給ふ。  ひととせ、師直、皇居を襲ひし頃、ほのかにこの内侍のうる

          本朝美人鑑 弁内侍

          吉野拾遺 目次

          吉野拾遺が終わりましたので、目次ページを作成しました。こちらからお好きなお話に飛んでみてください。 吉野拾遺 上 目次 吉野拾遺 下 目次 また、何を血迷った(?)ツイッターなども始めてみました。@minakawashifumi です。まだ始めたばかりで、ぜんぜんつぶやいてませんが… さ、次は何をやろう。『本朝美人鑑』か『三国伝記』か…

          吉野拾遺 目次

          『吉野拾遺』は終わりました。

          『吉野拾遺』の活字化(?)は、これで終了です。 今後も、誤植などは随時チェックしていきます。また、目次的なページを設けて、そちらから各話に飛べるようにしたいと思っています。 今後の予定としては、「本朝美人鑑」や「三国伝記」など、ちょっと埋もれているけれど、おもしろそうなものを掘り返してみたいと思っています。とはいえ、まずは本人が相当勉強しないとダメなのですが…(苦笑) それでは、また。

          『吉野拾遺』は終わりました。

          吉野拾遺 下 21 大神宮託宣ノ事

          【大神宮託宣ノ事】  過ぎつる年の春の末つかた天照大神にまうでて、三七日がほど、法施奉りて、かへさに中納言顕能卿の御もとへ立ちよりて、一夜がほど、むかし今の御物がたりしけるに、「世の中のかくみだれぬること、人の国にはためしおほかりぬべけれども、わが国には是ぞはじめならん。いつかはしづまるべきかかる折ふしに生れきぬらん宿世のつたなくて」など、わびはべるに、「誠にさこそおはすなれ。されども御敵はほろびて、誠に還幸ならんとこそおもひ奉れ。今上のいまだ陸奥の太守にて、あづまへおもむか

          吉野拾遺 下 21 大神宮託宣ノ事

          吉野拾遺 下 20 寛成御子鷹狩ノ事

          【寛成御子鷹狩ノ事】 ひろなりの御子の、いまだをさなうたはしましける時に、わかき殿上人あまたともなはせ給ひて、なつみの河の河よどのほとりにて、鷹つかはせて御覧ありけるに、かたはらにいとおほきなる岩の、えもいはれずおもしろきに、小松の生ひいでたるありけり。みこ御覧ぜさせて「この岩をかへりなん時、皇居の御庭にもて参れ。うへに奉らむ」と、実為中将にのたまはせければ、をさなき御心をおしはかりて、御事うけせさせ給ふ。鳥などあまたとらせ給ひて、かへらせ給へる時に、忠行侍従に岩をわすれ給ひ

          吉野拾遺 下 20 寛成御子鷹狩ノ事

          吉野拾遺 下 19 作リ山伏ノ事

          【作リ山伏ノ事】  梶井二品親王とらはれさせ給ひて、この山のあさましげなる、しばの庵にすませ給ひけるを、山本の三郎といひけるもの、うけ給りて、きびしくまもりにけり。二とせばかりありて、御邪気のここちの日にそひて、おもらせ給へるといひののしりて「嶺を通る山伏もがな。おこなひさせてん」といひあへれば、守りける武士ども打ちりて尋ねけるに、その明の日、尊げなる山伏を三人具して参りければ、よろこばせ給ひて、御枕上にめして行ひしけるに、二日ばかりありて、御心のさわやぎけりと、御布施など給

          吉野拾遺 下 19 作リ山伏ノ事

          吉野拾遺 下 18 嵐山ノ事

          【嵐山ノ事】  弥生の比、日のうららかなるに、女院の御所の御庭に、散りつもりける花の、いと多かりければ、とものみやつこめさせ給ひて、一ところに集めさせ給へば、高さ五尺ばかり程の山のなりに在りけるを、いと興ぜさせ給ひて、よしのの花をうつしし山なればとあらし山と名づけ給ひて人々に歌よませ、上にも奏し給ひければ、あすのほどにわたらせ給ひてのたまはせ給ひけるに、その夜、風のはげしく吹きて、いふかひなく成りにけり。つとめて弁の内侍のかたへ、兵衛のすけのつぼね、  みよしのの花をあつめし

          吉野拾遺 下 18 嵐山ノ事

          吉野拾遺 下 17 中納言ノ局ノ事

          【中納言ノ局ノ事】  正平みづのえのたつの年の春、旧都の主上、本院、新院、ともにとらはれ人とならせ給ひて、此の山にいらせ給へるに、黒木の御所のあさましきに、ところどころしのにて厳しく囲ひなして、なほそのほかにもうばらからたちをくまなくうゑたるうちに、おしこめ奉る。誠に見るめもいとかなし。さくらより外に御なぐさめもなかりけるにや、中納言のつぼねの、  かかる世もよしやよしのの山ざくら やどのものとてかざしにもせむ とそうし給ひけるとききて、世の中のはかなき事を、花におもひなぞら

          吉野拾遺 下 17 中納言ノ局ノ事

          吉野拾遺 下 16 右馬允行継遁世ノ事

          【右馬允行継遁世ノ事】  二條関白殿にありける右馬允行継といひけるは、去ぬる八幡の戦にいかなることかありけむ、かへらせ給ひて、御勘気有りければ、をさなき子ひとりと、女房とをむつたの里に、したしきものの有りけるにあづけて、高野の山にのぼりて、かみおろしけり。三年ばかりありてわが庵に来りて、あめしづきとなきけるを、「いかに」ととへども、いらいぇもせで、心のゆくかぎりなきて、起きなほりいひけるは、「諸国修行の心ざし侍りて、高野を出で侍りしに、さすがに過しがたくて、六田のあたりを、よ

          吉野拾遺 下 16 右馬允行継遁世ノ事