本朝美人鑑 弁内侍

 吉野の内裏に仕うまつれる弁内侍といひし人は、後醍醐の帝の忠臣、右少弁俊基朝臣の娘なり。帝、吉野へ移らせ給ひし頃、召し具しおはしまし、その昔、父朝臣、君の御ために身を滅ぼしけることなど、いとかしこく思し召し、忘れさせ給はざれば、「せめてそれが形見」などねんごろに仰せ下されけり。この内侍、天性かたち心ざま世に類ひなく、文の道うとからずして、和歌の名人たり。かれこれそなはれる女性なれば、帝もまたなくいたはり聞こえさせ給ふ。
 ひととせ、師直、皇居を襲ひし頃、ほのかにこの内侍のうるはしきかたちを伝へ聞き、いつしか重き悩みとなれり。これによりて、京よりある人を語らひ、かの内侍のゆかりなる人のもとへ、「何となく領地など参らせ侍るべし。あなかしこ。住吉詣でに事よせ、密かにこの内侍をたばかり出だして給へかし」など、いとねんごろに言ひやりけり。もとより、この師直は威勢といひ、現なき色好みにして、あくまで富み栄えたれば、かりそめの仲立ちにも小袖を遣はし、金銀を贈りけるほどに、なびかぬ者なく、本意をとげざることなし。されば、この内侍への仲立ちにもいかばかりのまひなひをかしたりけむ、つひにたばかりて住吉へ詣でさせけり。その道すがらの山陰に、師直が手の者、あまた隠しおきつつ、やすやすとこの人を奪ひ取りたり。さて、武士ども多く輿の周りを囲み、足を早めて行きけり。内侍はかくすかしとらはれたるとは夢にもわきまへ給はねば、「あな恐ろし。こはそもいかなることぞや」と心惑ひ肝つぶれ、涙にくれつつうつぶし給へり。
 かくて道のほど二里ばかりも過ぎぬる頃、楠正行、吉野殿より召させ給ふとて本国より皇居のかたへ赴きけるが、幸ひこの道を通るほどに、あやしき輿に行きあひたり。正行立ち止まり、人をもて「これは誰人の通り給ふにや」と問はせければ、「苦しからぬ御方なり。忍びの物詣でまします」など偽り名をとなへて返答するほどに、正行も不審ながら「さこそあるらめ」と思ひて行き違はむとするに、輿の内の人泣き叫ぶ声聞こえければ、いよいよあやしみて輿の隙間より覗き見ければ、弁内侍なり。「さてはこの人をすかし出だしたるにこそ」とやすからずおぼえ、理不尽にその輿を奪ひ返し、「おのれらは何者なれば、かくははからふぞ。ありのままに明かすべし」と言ふほどこそあれ、太刀を抜き、切つてまはれば、敵もしばらくはあしらひしかども、つひに迫ひ散らされ、行方知らず失せけり。
 正行、やがて内侍を引き連れ吉野殿へ参りて、かくと奏しければ、帝ふたなくよろこばせ給ひ、やがてこの局を正行に下さるべきよし、勅定しきりなり。正行この御請けをば何とも申さずして、一首の歌を捧げたり。
  とても世に長らふべくもあらぬ身の仮の契りをいかで結ばむ
と聞こえて、つひに辞し奉りけり。その後ほどなく、正行河内国四條畷にて大軍の敵にも見合ひ、比類なきはたらきして君のために討死しけるにぞ。はじめてこの歌の心を思ひあはせられていとあはれに申しあひける。

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