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『ごっこ遊び』視点で、社会の困難も乗り越えられるかもしれないと思った話。

今朝J-waveの番組『ラジド』のコーナーに、ミッツマングローブさんが出ていて、相変わらず知性を感じさせる話し方だったんだけど、そのなかでグッ!と、というか、おっ!となった一節がありましたので記録。

ながら聴きだったので正確ではないかもしれないけど。

星屑スキャットというユニットで最新アルバムのリリース告知で来ていたのだけど(ものっすごい素敵な歌声)パーソナリティの渡辺祐さん、山田玲奈さんとの掛け合いの中にそれはあった。

パーソナリティ:「ステージ前は衣装とか取り合いになったりするの?」
ミッツ:「いつもそうですよ〜」
パーソナリティ:「いっぱい着替えたりするんでしょうね。」
ミッツ:「あたしたち、ごっこ遊びなんで」


思わず手が止まった『ごっこ遊び』というフレーズ。

当然、そう言いながらも長年続くユニットと歌唱力とライフワーク(というか本職)のステージ。「女装趣味のおじさんですからね」とクールに笑いを取りながらも、その揺るがないアイデンティティに思わず震えた。

ごっこ遊び。
そう言えてしまう強さに、むちゃくちゃ憧れた。

そして、ふと思った。

ミッツは自分たちのことを『ごっこ遊び』と形容したけれど、もしかしたら、この世のすべてがごっこ遊びなんじゃないか。

誰かになりたい、何かになりたい。有名になりたい、成功したい。
自分以外のなにかを目指した時点でごっこ遊びが始まっている。

いや、もはや社会の構造に入った時点で、ごっこ遊びが始まっている。

毎日スーツを着込んで満員電車で会社に行き、残業して、疲れて終電で帰宅するサラリーマン。揺れる巻き髪とピアスにモテ系ファッションでいい男捕まえたいOL。

すべての人が、肩書きや属した環境に沿った『ごっこ遊び』中なのかもしれない。サラリーマンもOLも、芸能人も社長も専業主婦も、肩書きがついた時点でそのジャンルを無意識に少なからず演じているのかもしれない…。

与えられた役割を果たす、○○ごっこ。

でも、それをなんとなく直視できずに生きている社会に、
おもいっきり、投石、された気がした。(そしてわたしの脳天直撃)

かくいうわたしは、半分ひきこもりみたいな自宅フリーランス。ごっこ遊びすらできてない。いや、ひきこもりごっこか?

でも、逆説的に考えると、むしろそうやって俯瞰で自分を見られたら、なりたい自分になんてあっという間になれちゃうんじゃないの?ユーチューバーとか、インスタグラマーなんか『ごっこ遊び』の最たるものかも。


新しい視点をもらった気がした。

日常生活で、普段よりちょっとだけ勇気のいること、対人関係などでなんとなく躊躇する、できれば回避したい…そんなシーンに出くわした時に、
『これは、ごっこ遊びだ』
と思ってみたら、なんだか気持ち軽く、超えられる気がした。

責任を放棄するという意味ではなくって、むしろ、背負いすぎないための工夫というのかな。なんというか、ちょっと素の自分から2mくらい離すくらいのイメージ。

わたしはなかなか臆病&責任を感じすぎるタチなので、うーん、それくらいがいいかもしれない。

ていうか、みんなすでにそうやって使い分けてるのかな?どうですか?


人前に出せるくらいのクオリティで『ごっこ遊び』。

さらに。

コーナーのエンディングで、パーソナリティの渡辺祐さんがミッツさんの『ごっこ遊び』というフレーズをうけての、
「ごっこ遊びを人前に出せるところまでもっていけるか」
と言う言葉にも、思わず唸った。

ううむ。そうなのだ。やっぱり中途半端じゃダメだよね…。
とにかくやりきる。貫く。だからこそ生まれるアイデンティティなのだ。
もう一個投石&直撃。

動き出すためのきっかけにもなるし、到達点のアイデンティティにもなる『ごっこ遊び』という、わたしにとっては新しい概念だった。

目標できた。人前に出せるクオリティのごっこ遊びを目指すぞ…!




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