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【極論】コロナ以降 医療崩壊を防ぐには⁉︎

ネットでこんなニュースを見ました。

平時には批判の的となってきた「過剰病床」が、ドイツの医療崩壊を防いでいた

過剰は無駄か?

この記事にWHO事務局長による以下の発言が載っています。

「先進国の医療は需要をぎりぎり満たす水準で効率的に運営されている」

これは日本についても当てはまるのではないでしょうか。

そしてドイツの医療体制について、要約すると以下のような記述があります。

「過剰病床」は、平時には批判の的となってきた。
過剰な医療供給は、長年問題視され、全国で病院数を半分以上削減する提言もあった。
それが新型ウイルスの拡大で、意図しない形で医療崩壊を防ぎ、死亡者の増加を抑えて多くの命を救えることになった。

平時には、過剰な医療体制は当然コストがかかります。
構築の為の初期コストと継続の為の維持コストなどです。
しかし今回の教訓は、一端それが起こると膨大な被害が社会全体に及ぶということです。
恐らく医療体制の全体コストより多くを負担しなければいけない。
そのように考えると突発的事象で社会全体に被害を及ぼさない為に、
余裕のある医療体制が必要ではないでしょうか。

医療と日本医師会

上記と相反するかもしれませんが、昨年末のこんな記事を紹介します。

医学部の疲弊が映す日本の医療制度の根本弱点

この記事にこのような記述がありました。抜粋、要約していますが

政府は「将来的に医師は余る」と主張し、1982年、1997年に医学部定員を減らすことを閣議決定しました。

団塊世代の高齢化を考えれば、医師が余るわけはなく、国民の健康より日本医師会などの業界団体、社会保障費の増大を抑えたい財務省の意向が尊重されました。現在の医師不足は、政府による「人災」という側面があります。

そして

この決定の撤回は、2008年になります。
新しい委員会(検討会)をつくり、日本医師会をメンバーから外しました。
この検討会が提案したのが、医学部定員の5割増です。
この後、医学部定員は増員されます。

詳しくはリンク先を読んで欲しいのですが、上記から、平時の医療すらも余裕を無くす方向に進んでいたところに、問題が起こって増員したことになります。その間が20年です。
今回の感染拡大による医療に関する報道を見ると、今も効率化は進んでいるようです。

これでは、突発的な有事、今回の新型コロナウイルスのパンデミック世界的大流行に対応することは不可能でしょう。短期の問題が優先された結果かと考えます。大局観のある政策とは言えないでしょう。

このコロナ危機を機に、私は、効率化を最優先にしない、無駄を許容し余裕を持った備えのある仕組みが、社会に必要だと考えます。

医療の場合は、財源、資金と、医療施設、設備や、人的資源が必要です。
特にすぐに準備できないのが人的資源です。
これを整備するには、資質のある人と、教育、経験の為の時間が必要です。
質と量共に満たすには10年単位の期間で準備が必要ではないでしょうか。

平時の無駄を許容

今の社会は効率を重視する方向なので、そもそも設備や人員などに十分な余裕を持たせる発想は無いように思います。

余裕は、非経済的で、非効率だから評価されません。むしろ批判の対象です。
それでは、現状のように突発的事象に対応できないように思います。

社会的余裕を一種の保険と考え、突然に起こる事故的な事柄に対する備えと捉えて行かなければいけません。

それを許容する社会的な余裕が必要と考えます。

追記:こちらも参考に 

【極論】【暴論】にお付き合いいただき有難うございます。よろしければサポートいただければ幸いです。これを励みにまた違う視点をお見せできればと思います。