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春のぽかぽか

お立ち寄り頂きありがとうございます。
今回は、いつの間にか移ろっていく季節のことを、徒然に語ってみたいと思います。特に内容はありません。

父が過ごす部屋の窓から見える桜は、割と長い間頑張っていたのですが、ついに花も散ってゆき、いきいきとした若葉が出てきました(「あれは桜餅の葉っぱに使えるかなぁ」と呟いたら、父に笑われました)。
気付けば庭にはツツジが咲いていて、その奥には木瓜の花が開き始めました。とても昔からある樹だと聞いています。

歳時記を手にした私は、季節の変化を見逃すまいと目を凝らしているつもりでした。
が、慣れない介護にバタバタしていることもあり、気が付けば周りの季節が進んでいる、という状態です。

アイリスがすっと伸びてきて蕾をつけていたことも、クリスマスローズが盛りを過ぎて色褪せていっていたことも、春が来る前に適当に剪定したモミジがいつの間にか青々と茂っていたことも、気付かずに過ごしていました。

このままでは勿体ないです。春が更けて、初夏に移ろって、やがて夏が来る。その流れを体感したかったのに、忙殺されたままあわあわと過ごしていてはいけません。ほら、歳時記を体感しないといけないですし。

そんなときにふと、やはり『余裕』とか『ゆとり』というものは大切なのだなぁ、としみじみします。
心がいっぱいいっぱいになっていると、外で起こっているちょっとした変化に敏感でいることができません。
意識して深呼吸。意識して一休み。大切にしていきたいものです。

今年の春は、いつもよりもぽかぽかを感じます。よく考えてみると、春は体調が悪くて臥せっていることが多かったので、陽射しを楽しめる状態ではなかったのかな、などと考えるのですが……でもそれにしても、今年の春はいつもの春より暖かいのですよね、きっと。多分。

春の光は何だか生命力というか、『育つ』という力に溢れています。基本的に後ろ向きな人間である私には、そのエネルギーが眩しすぎることもあります。
ですが今年は、うまくそのエネルギーを少し分けて貰えているような、そんな気もするのです。相反する方向のエネルギーとしてではなく、同じ方向を向いている力と言いますか。だからなのか、今年の春の私は少しだけ前向きです。

さて、家から続く坂を下っていくと、田んぼが広がっています。もうオタマジャクシはいるでしょうか。……本当にすぐそこなのですが、中々見に行けていません。少し時間を作って、お散歩に行かなくては。
子供の頃、オタマジャクシを捕まえようと、田んぼに悪さをしたものでした。綺麗に植えられている稲のそばに、足を踏み入れてしまったり。今となってはとても申し訳なく思うのですが(近所の農家さん、ごめんなさい)、それにしても、手入れされた田んぼの土の肌触りはとてもなめらかでした。ふと懐かしく思い出しました。

次に父がデイサービスを利用する日が晴れだったら、少し家の周りを散歩してみようと思います。歳時記を片手に、もう片方にはカメラを持ちたいです。
今しかない季節の色々を、たくさん吸収してみたいと思います。足元にも遠くにも、溢れているであろう『春』を、心ゆくまで吸い込んでみなくては。

はい、特にテーマはない春の徒然でした。
お読み頂き、どうもありがとうございました。

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