掌編小説「スピカの導き」～ライラックぽん

　ライラックの咲く頃、ふと戻ってくる寒さがある。季節は必ずしも、前進し続けるわけではない。行きつ戻りつしながら、徐々に移ろってゆくものだ――それでもこのところ、急に季節が進む、ということも増えたのだけれど。
　この季節が巡ってくると、どうしても思い出す人がいる。否、思い出す、なんていう生優しいものではない。本当はいつだって忘れられない。いつだって心の中にいる。この季節が巡ってくると――その人は生き返る。何度だって。

　別れがあんなに突然だなんて、誰が予想できたのだろう。前触れもなく、あっけなく。共に生きることを誓ったその人は、ある日突然、信号無視の車に撥ねられてこの世を去った。
　文字にすると、たったそれだけのこと。けれど存在は文字だけでは表せない。彼がどれだけ私を支えていたかを、私が彼をどれだけ大切に思っていたかを、たった数行にも満たない文字なんかでは表せない。五年という月日が流れて、それでも心の中の喪失感はちっとも埋められずにいるのだから。

　ライラックの季節が近づくと、私の胸は疼き始める。もうここにはいない彼のぬくもりが、一層恋しく感じられる。今でもあの笑顔は心に焼き付いている。目を閉じると傍にいるみたいで、だけど伸ばす手の先にそのぬくもりはない。哀しいくらいに、愛かなしいくらいに、そこには虚空が広がるだけだ。

「前を向きなよ」なんて、友達なんかは言うけれど、私の心はあの日にとどまったまま動けないみたいだ。
　周りでは目まぐるしく世界が動いていくし、外に出ればその波にされるがままにしているけれど、部屋に戻って、ひとりになると、戻ってこない日々だけを頭の中で繰り返し再生してしまう。……向けるわけない、前なんて。彼がいないのに、前を向く必要性が感じられない――このままで、いい？　……このままで、いい。

　ふと空を見上げたのは、そんな日々を送るある夜だった。
　当然のように、晴れた日の夜空に輝く星。だけど見上げることは、あまりなかった。
　――何て、美しい。私はひと時、喪失の哀しみを忘れた。
　一際目を惹く、あの明るい白い星は何だろう。スマホを手に取る。春、明るい星、白――どうやらあの星は、おとめ座のスピカという星らしい。更に画面をスクロールして、私ははっとした。

　今私の目を惹いたスピカは、ひとつの星ではないのだそうだ。ふたつの星からなるらしい。彼を忘れられずに日々を過ごして見上げた空で見つけた気になる星は、ひとりぼっちではない。共に支え合うふたつの星が、ひとつの名前を分け合っている。
　ねぇ、ならば。この星を見つけたことを、彼の導きだと思ってもいい？　だって、この季節には彼は生き返るんだもの。かたちは無くなってしまったけれど、彼の思いが、私にスピカを教えてくれたと、そう思ってもいい？　都合よく、彼と私をスピカに例えてみてもいい？
　私はスピカに語り掛ける。
　命には限りがあるけれど、思いは永遠に続くと――肉体は果てても、それでも続く想いがあると、そう期待しても、いいのだろうか。

　彼はもうここにはいない。けれど、共に過ごした日々は、確かにあった。
　それは今でも、私の中に息づいている。頬を涙が伝う。それはほんのり暖かくて、けれど、リラ冷えの空気にすぐに温度を奪われた。

　スピカ。純白に輝く星。きっと彼が教えてくれた星。
　ならば、スピカに誓ってみよう。私はこれからも、彼を忘れずに生きていく。彼が生き返るこの季節が過ぎても、私は投げ出したりしない。――そんなに強くあり続けることは、もしかすると無理かもしれないけれど、それでも。

　スピカの光を心に吸い込んで、私はそっとカーテンを閉めた。彼のあの優しい声が、聴こえた気がした。

了　

ライラック杯の素敵な作品に創作意欲を刺激され、ライラックぽんにも参加させて頂きます。小説（めいたもの）を数年ぶりに書いてドキドキしています。ドキドキドキドキ……

作者様の解釈などとは離れてしまったかと思うのですが、想像の羽を好きなようにばさばささせて頂きました。恋愛にはとことん疎いのですが、何だか恋めいたお話を連想したので、頑張らせて頂きました。

原作とさせて頂いたのは、

直輝様の作品
リラ冷やこのままでいいのだろうか

碧乃 そら様の作品
永遠を誓えなくても　純白のスピカに込めた愛はとこしえ

です。とても素敵な作品に触れさせて頂き、ありがとうございました。心より感謝いたします。
また、ライラック杯のクルーの皆様にも、重ねて感謝申し上げます。
最後までお読み頂いたあなたにも、心からの感謝を。

ライラック杯、堪能させて頂いております。ありがとうございました。
小説の執筆から離れていたので、果たしてこれが掌編なのか短編なのか、どっちなのか判別できないのですが、取り敢えず掌編とさせて頂きます。