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文字の世界で

お立ち寄り頂きありがとうございます。
さて、私は書くことが好きで、以前は小説などを書いていました。色々と理由があって執筆をやめ、それからは文章を書くこととは遠ざかっていました。

昨年末に俳句や短歌の世界に何となく足を踏み入れ、そこからもっと長い文章を書きたくなってnoteに登録し、再び文章を綴るようになって気付いたことがあります。

文章を書くことは、私にとっては呼吸のように不可欠なことなのだな、と。

現実世界での会話は、あまり得意ではありません。特に、自分から話さなければならない場面がすごく苦手です。
人と会うときは、聞くことと相槌だけに集中したい、と思ってしまいます。
集団の中で自分を出すことも苦手なので、聞き役に徹することが多いです。
あと電話も苦手です。異様に緊張します。特に、こちらから掛けたときに最初に流れる呼び出し音が心臓に悪いです。あの音、もう少しリラックス効果のある音楽とかにならないですかね。ならないですね。

そんな風に、「話す」ことには苦手がある私ですが、「書いて伝える」ということに関しては、多分好きなのでしょうね、技術的なことは置いておくとして。
実際の場面では口を開くまでに時間がかかることでも、紙とペン、もしくはPCやスマホの前では、なめらかに書き始めることができます。
普段声では伝えられずにいても、本当は伝えたいこと、話したいことが沢山あるのかもしれません。
恥ずかしがり屋なので面と向かっては伝えづらい、ということもあるのでしょう。その証拠なのか何なのか、実際の知り合いに自分の書いた文章を読まれることはとても苦手です。恥ずかしくて消えてしまいたくなります。

もう二十年以上前ですが、若気の至りのような感じで書いた小説が一度新聞に載ってしまったので(ご丁寧に本名や顔写真や住所と共に。当時の個人情報の感覚が今は恐ろしいです)、覚えていらっしゃる方は今でも、その話をされます。基本的にはやめてほしいです。どうか忘れて下さい。頂いた選評で、意図した内容と全く違うように伝わってしまっていると気付いて、もうそこから「失敗だ! 失敗だ!」と穴に隠れたいのです。そんな高尚なものではなかったのです、単に「とにかく居場所が欲しい」という切実な願いを綴っただけだったのです……。

ただ先日、そのことを知っているらしい、母の同級生の息子さんだという方から思わぬ言葉を頂きました。
音楽活動をされていたというその方は、「今は書いてるの?」と、お決まりの私を少し追い詰める台詞の後で、でもこう仰いました。

「まあ、書ける人には書ける人にしか解らない、辛いこともあるよね」

書ける人かどうかはさておき、それでも書いている人間として、それは初めて掛けられた言葉でした。当時周囲の大人たちは、もっと書け、とにかくどんどん書け、といったことを仰る方々ばかりでした。ただただプレッシャーでした。
その方も音楽に関わる中で、好きなことなのに辛い、という経験を沢山されたのだろうな、と感じて、烏滸がましいですが、勝手に少し同士のような感覚を抱きました。思わぬ方向から吹いてきた、暖かい風のようでした。今もじんわりと心に灯っています。……とっさに、今は何も書いてません、と、嘘をついてしまったのですけどね。

書くことで得る酸素のようなものを身体と心に取り込みながら、今日も自分を見失わないように、歩いていこうと思います。

書くことに関する徒然でした。
お読み頂きありがとうございました。

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