見出し画像

【感想文】悪意・懺悔・夢の先。映画『君たちはどう生きるか』を観て

「レイトショーって映画を観ているか、夢を観ているかわからなくなるよね」

互いに眠気で瞼が閉じかかっているのだろう、隣のカップルがそう話し合う深夜の横浜ブルク13でジブリ最新作を観た。

あらすじは公開されておらず、パンフレットも公開5日経っても販売されていない。

細かい考察や小ネタは他のネット記事やnote、YouTubeに任せる。

⚫︎夢十夜を夢一夜に

この映画は「疎開先のお屋敷での、少年 牧眞人の冒険譚」だ。
冒頭の描写で眞人とその家族たち以外の人々は、目鼻がなく残像のように見える。
眞人と周りの人を描くことを宣言される。そう、これは宮崎駿監督の自伝的映画だ。

映画を観始めると、過去作品のオマージュや想起させる描写がふんだんに入っていることに気づく。
千尋やハウルやポニョといったファンタジーたちを1つの作品にまとめてくれたのだな。
今までの宮崎駿作品の総決算なんだ。
もう最後なんだ。

一方でこの作品はとても難しいと感じる。
個別の夢たちを1つにまとめているから脚本は難解だ。鈴木敏夫Pがはじめて内容に口出しせず、「好きに作れ」と言った作品らしい。エンタメや娯楽として期待した人には肩透かしかもしれない。

観続けるとさらに気づく。
これは夢たちを集めた作品じゃない。これは彼の夢そのもの、1枚のイメージボードだ。数多の映画作品は、この夢から生まれ出ている。
宮崎駿という作家の思考に触れられて嬉しい気持ちになる。

⚫︎おしいれのぼうけん

小さい頃、大事にしていた絵本がある。『おしいれのぼうけん』だ。

お昼寝前に、ミニカーのとりっこでけんかをしたさとしとあきらは、先生に叱られておしいれに入れられてしまいます。そこで出会ったのは、地下の世界に住む恐ろしいねずみばあさんでした。
ふたりをやっつけようと、追いかけてくるねずみばあさん。でも、さとしとあきらは決してあきらめません。手をつないで走りつづけますー。

童心社ホームページ


大事にしていたくせに、肝心の結末は覚えていない。
でもしっかり覚えているのは「悪意」だ。

保育園?幼稚園?のお昼寝前の静かな時間に大騒ぎしてしまう。
そんな悪意は特別感を感じさせてくれるけど、
反面罰として押入れに閉じ込められて恐怖を促す。

その悪意と向き合いながら、さとしとあきら(とぼく)は押入れのトンネルを進んで別世界を大冒険していく。

⚫︎悪を持ちながら現世を好きに生きる

映画終盤、大叔父は積み上げた石が「あと1日で崩れる」と言う。もう時間はない。

創造主は眞人に後を継ごうとする。殿上人となって、無垢な心で、無垢な石(意志)を積み重ねて世界を創造してほしいと。

だが眞人はそれを断る。
眞人が頭に負っていた傷を見せる。
それは宮崎駿の懺悔だろう。

最高のアニメーションを創り上げることを目指すストイックさは、誰もを幸せにしてきたわけではないだろう。「悪いことをしているな」と思いつつも、周囲を振り回し傷つけながら、最高の作品を創るために突き進んできたのかもしれない。

そんな彼が傷を見せる。
世界創造を断り、今の世界で友達を作ると宣言する。

天国で無垢に最高の作品を作り続けるわけでもなく、地獄でインコのように欲望のまま自分の腹を満たすわけでもない。

悪意を持っている自分は、他者とともに現世で生きていくことを決めた。

「いや、宮崎駿はそんな生き方をしたいと思っていないはずだ」と疑う心もある。

その時、頭をふとよぎるのは次の言葉だ。

私は好きにした、君らも好きにしろ。

映画『シン・ゴジラ』


宮崎駿の愛弟子である庵野秀明が監督した『シン・ゴジラ』において、東京湾沖で姿を消した生物学教授が残した台詞だ。

別に自分にできなかった生き方をしたっていい。
君たちも好きに生きていい。
だからこそ、君たちはどう生きるか。

そう、東京湾で姿を消した教授の名前は、「牧」悟郎なのだから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?