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「Kids Return キッズ・リターン」(北野武)【映画感想文】

青春なんて、本当は暗いものなんじゃないか

キッズリターンは、青春の暗い部分を描いていると思います。
というより、青春なんて本当は暗いものなんじゃないかと思うのです。
その意味で、青春のリアルを描いていると思います。

そもそも「キラキラした明るい青春」なんてものは虚像だと思います。
何故なら、青春をキラキラした明るいものとして描いているドラマやテレビCMや漫画というのは、当事者の中高生ではなくオトナが作ったものだからです。

オトナが持っている、あるいは作り上げた「青春はこうあって欲しい」とか、「青春ってこうだよね」というキラキラした明るい青春像をもとに作られています。

現実に基づいて作られたのではなくて、言葉から想像・連想して作られた虚構。

あるいは美化された過去の記憶から作っている。
あるいはキラキラした明るい青春感を演出しようとする意図で溢れている。

オトナがそうやって作ると、リアルと乖離してしまう。

「いやいや、俺は中高生の時、青春をエンジョイしていたよ!」
と言う人があるかもしれません。

たしかに、何パーセントかの割合で、そういう人もいるかと思います。
ただし、その割合は多くは無いでしょう。

更に注意すべきことは、人間は記憶を美化してしまうという性質が少なからずあるということです。
また、嫌なことは忘れるように出来ているはずです。
(反対に、忘れられないこともあるでしょうが・・・。)

となると「青春=明るいもの」というのは怪しい気がします。

本当は、エネルギーをどこにぶつければが分からずに鬱屈としていて、ようやく進むべき道を見つけても途中で挫折してまた彷徨うことになる。
ほんとうは青春って、暗いものなんだと思います。

キッズリターンは青春のリアルを描いているからこそ、メッセージに説得力があると思います。

自分の将来の道を暗中模索する日々

ティーンエージャーは自分はどの道に進むべきか分からなくて、悩むものではないでしょうか。

たしかに、中には既に自分の進むべき道を見つけている人もいると思います。しかしそれはほんの一部だと思います。

青春ドラマや青春漫画を読んだり、十代から活躍しているスポーツ選手をニュースで観たりすると、やたらとその主人公や選手たちがキラキラしてみえます。
それに比べて自分は・・・と凹むこともあると思います。

中高生の文脈から少し広がってしまいますが、この歌詞を思い出します。

とかく忘れてしまいがちだけど
とかく錯覚してしまいがちだけど
例えば芸能人やらスポーツ選手やらが
特別あからさまなだけで
必死じゃない大人なんていないのさ

「よー、そこの若いの」(作詞・作曲:竹原ピストル)

マサルとシンジたちははじめ、有り余ったエネルギーをどこにぶつければ良いか分からずに、授業をサボって遊んだり、タバコを吸ってみたり、いたずらをしかけます。

他の生徒だって同じで、授業に出ている生徒だって実際は授業は上の空で窓の外をボーっと眺めていますし、校舎の陰で漫才の練習をやっていたりします。

誰もが、暗中模索していると思います。

北野武監督ご自身も、高校生の頃、自分の道を模索していたのかもしれません。そしてその鬱屈とした時代の記憶も注ぎこまれているのかなぁと想像しました。

しかしいま考えれば、俺の高校時代ってなんだったんだろう。自分の所為だがなにも考えることもなく、只ダラダラと顔を出しただけの高校生活。(中略)俺達は「極貧でもないけれど、かといって金持ちでもない」生活であり、それなりに戦後の鬱屈の下で生きていたのだ。

「浅草迄」北野武(河出書房新社)p87-88

青春なんて、挫折の連続だ。

ようやく自分の道を見つけても…実際はそんなにうまくはいかなかったり。

マサルははじめ、ケンカやカツアゲをしていましたが、ある時ボクシングをやっている男に一撃でやられてしまいます。

そこで、ケンカで勝てない経験をし、ボクシングを志しました。
一生懸命ボクシングに打ち込みましたが、いざこざを起こして破綻します。

その後、極道になります。

極道になってからも、下っ端として耐え忍びます。
やがて、組の若頭(寺島進)が九州へ行っている隙に、自分のシマを持つようになります。

マサルはようやく自分の道を見つけ、親分になるという目標を持ちます。

マサル「お前がチャンピオンになって、俺が親分になったら、また会おうや。」

「Kids Return キッズ・リターン」(監督・北野武)より

しかし、結局マサルはここでも挫折します。

一方のシンジも、ボクサーとしてはじめはうまくいきましたが、結局ハヤシの悪影響も手伝ってか、挫折してしまいました。

二人はようやく見つけたと思った自分の道の途中で、挫折してしまうのでした。

実際、大人になるまでの道で多くの人が挫折を経験すると思います。
夢を見ては挫折し、希望をもっては挫折し・・・。

辛く悲しいことかもしれませんが、マサルやシンジを見ると、もがくことも美しいものだと感じます。

世の中の汚いオトナに翻弄される若人

ティーンエージャーは自分の道が分からないし、まだ世の中のことも全然知らない。それに、彼らは学校の外をまだ知らない。

自分たちを邪魔者扱いしてくる教師たちを除けば、他にどんなオトナたちがいるのか知る由もない。

実際のところ世の中に出れば、色んな大人がいますよね。
例えば、シンジがボクシングジムで出会ったのは、卑怯で卑屈でずる賢い、中年ボクサーの林(ハヤシ)。

林(ハヤシ)は挫折して真っすぐ歩けなくなったオトナの象徴ではないか。

このハヤシが良い味を出してるんですよね〜(笑)

ハヤシは昔はそれなりに活躍したボクサーでしたが、その後凋落して、今では希望を捨てて惰性でボクサーを続けています。

現実に打ちのめされてしまったせいでしょうか?
ハヤシは卑怯で、卑屈で、陰のあるオトナです。
現実を知り、現実に打ちのめされ、現実をうまく「こなす」ワザを身につけてしまったオトナです。

ボクシングは本来、節制するなど自己管理能力が求められる、ストイックで過酷なスポーツです。

ところがハヤシはタバコは吸うし、酒は飲むし、好きなものを好きなだけ飲み食いしています。そしてシンジをそれに付き合わせて、「食べてもさ、吐いちゃえばいいんだよ。」とシンジをそそのかします。そして「俺も若いころは・・・」などと、若かった頃の自慢話をしてきます。

ハヤシはこなれているので、減量はきっちりパスします。
トレーナーが「(体重)安定しているな」と言うと、「節制してるんで」とサラッとウソをつきます。

他にも、反則技のひじ打ちをシンジに教えてきたり、減量がうまくいかなくなったシンジに下剤を紹介するなど、シンジも自分と同じレベルまで引き下げて、つるもうとします。

そして試合に負ければ、「おれももう年だな~。」とタバコを吸いながら独りごちて、誤魔化し自己正当化します。

シンジが会長に呼び出されて、会長から「もうハヤシとは付き合うな」と言われると、ハヤシはそれに気づき「会長になんか言われた~?会長の言いなりになんてなってたら、潰されちゃうよ〜?今までだって何人もそれで潰されてきたんだからな。」とシンジをダークサイドへ引き込もうとします。

うわーー、こういうハヤシみたいな人、いるよなーーー。。。
ハヤシを見ていると、きっと誰もが心当たりがあると思います。(笑)

なんか、ヌルヌルした人というか、スッと忍び寄ってくる影というか。
めちゃくちゃリアルなんです。

きっと誰しも、バイト先や会社などで、一回はハヤシ的な人に遭遇した経験を誰もが持っていると思います。
(あるいは今まさにそういう人と接していたり。)

具体的には、こんな感じのことを好んで言います。
(下記は実際のセリフではありません。)

「まじめにやってたら、損だよー?」
「若い頃は分からないからねぇ〜」
「ま、歳を取ったらキミも分かるサ」
「これくらいの不正なんて、みんなやってるよ」
みたいなことを言ってくる系の人というか、、、(汗)

ハヤシは現実の過酷さを知り、希望を持たなくなってしまった、卑怯で卑屈で屈折したオトナですから、若くて未来あるシンジに対する妬ましい気持ちもあるのでしょう。

ハヤシは「お前の為に言ってるんだぜ」感を出していますが、実際は相手を引き下げて、つるもうとしているに過ぎません。

マサルやシンジのような若人は、社会に出るとこういうオトナたちに揉まれ翻弄されることになるという世の常を炙り出しています。

真っすぐ歩ける大人でありたいなぁ・・・。

それにしても、こんなにリアルな市井の人物を描けるのはすごい!!!

キタノブルーと見事にマリアージュしている久石譲さんの音楽

音楽は久石譲さんが手がけてらっしゃいます。
この音楽がまたすごい!

悲壮感とか、駆け抜ける感じとか、張りつめた緊張感とか、翻弄されていく雰囲気とか、絶望的な気分とかが詰まっています!

それはまさしくキタノブルーとの見事なマリアージュです。

おわりに

キッズリターンは青春時代を過ごしている人はもちろん、「まだまだ人生これからさ!」と自分の人生に希望を持って進もうとする人へ勇気をくれる最高の映画だと思います。

最後に、この言葉を改めて胸に刻みたいと思います。

シンジ「マーちゃん、俺たち、もう終わっちゃったのかな?」
マサル「バカ野郎、まだ始まっちゃいねえよ」

「Kids Return キッズ・リターン」(監督・北野武)より



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