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峯澤典子×古屋朋 対談『てばなし』刊行記念 vol.1

聞き手 峯澤典子=峯
語り手 古屋朋=古
同 席 後藤聖子(七月堂)=後


2022年秋、七月堂のちいさな編集室にて、古屋朋詩集『てばなし』の刊行を記念し、帯文をお寄せくださった峯澤典子さんに聞き手となっていただき古屋さんにお話をうかがいました。

詩との出会い。
詩との距離感。
ご自身にとっての詩作とは。

ふたりの詩人にじっくりと語り合っていただきました。


詩との出会い。


峯:まず最初に、詩との出会いについて伺えたらと思います。
大学の先生に詩集を出したい、とご相談されたとのことですが、それまで詩はずっとお書きになっていたんですか。

古:詩自体を書き始めたのは高校生の時です。
当時、ブログというほどのものではないのですが日記のようなものをやっていてそこに書いているくらいでした。思春期特有の閉塞感とか抑圧とかあるじゃないですか、そういうものを書いていたと思います。

大学時代にも書きためてはいたのですが、本格的に書こうと心に決めて書き出したのは大学院のときです。やっぱり環境的にも創作活動をがんばっている人がたくさんいて、周りに影響を受けて私もやってみよう、と思いましたね。

峯:院ではどのような研究を?

古:現代文学です。今生きている作家の作品を研究するんです。

基本的には小説、そこに映像作品も取り込む形で研究していました。

あと、詩は論文担当の先生も書かれていましたし、自分自身も書きためていたものですから、研究とまではいかなくても詩作というものもやっていました。

峯:そうなんですね。小説や絵や漫画を描いたりと、表現方法はいろいろとありますよね。そのなかでも、詩を選んだきっかけは何だったのでしょうか?

古:もともと、詩の世界からというよりはバンドや歌の世界から詩の魅力に気づいたんです。

峯:歌詞?

古:そうです。高校生のとき、あるバンドにぞっこんで、そのボーカルの方が歌詞以外にも詩集をだしていたりして。すごく素敵な世界があるんだなって思ったんです。

峯:それは、どういった世界を歌った詩なのですか?

古:日常を基にして、少し陰のある鬱々とした、だけど時に開放感のある詩を書いていて。音楽の旋律と同じくらいその詩を読んで救われたこともあって、かなり影響を受けましたね。そこから詩というものを意識し始めたんです。

峯:歌詞を詩として読んで、その表し方から、詩の世界に惹かれていったんですね。

古:そうですね。

峯:それで詩を書き始めて、まずブログで発表して、って仰ってましたけど。その間に、書き溜めて一冊にしようとか、どこかに投稿しようとか、そういう思いもありました?

古:その頃はそういう意識はなくて、自分の中から出てくるものを表に出すので精いっぱいで。投稿するようになったのは院に入ってからで、現代詩手帖さんやユリイカさんとかに出していました。

峯:そうなんですね。それで掲載されて?

古:載ったり載らなかったり。

峯:そういう投稿時代もあったんですね。何年くらい投稿されていたんですか。

古:一年二年くらいですかね。院に通っていた時期なので。

峯:院に通いながら投稿されて、それで、ブログもずっと続けて。

古:ブログは大学に入ったくらいにやめていたので院の時代はもうやっていませんでした。

峯:新人賞に選ばれたら、という思いで投稿を続ける方もいるかと思うのですが、古屋さんはどうでしたか?

古:取れたらうれしいなとは思いましたが、自分の詩がどれだけの力があるかわからなくて…。

峯:わかります。自分の詩を自分以外の人に読んでもらいたいという気持ちってありますよね。

私も書き始めた頃は、自分が書くものは詩なのかなって疑問に思ったことが何度かあって。

そんなときには、ちょっと実験の場というのかな、投稿の場でこれが詩として載るのか試してみよう、という気持ちになりますよね。

古:あります。そういう方、けっこういる気がします。

峯:私もずっと一人で書き溜めてきたんですけれど。時々、自分の言葉って誰かに通じるのかなって思うことがあって。

そんな時に投稿して載ると、あ、これは一応言葉として人に通じたんだなと。それを試したくなるんですよね、たまに。

継続するっていうよりも、時々、外と交信するという感じで。



vol.2「第一詩集『ひとつゆび』」へつづく



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