シブヤ遊び場物語①

渋あそ副代表の「うーちゃん」による渋谷の遊び場ヒストリー。

第1回は遊び場誕生前夜、1970年代のシブヤについてです!


【はるプレ原始時代】
16年以上も前のことを思い出すのも、だんだん難しくなってきたので、スタッフの1人から「はるプレの歴史を語ってください!」と言われ、半世紀も前のことから想いを馳せることになり、振り返ってみるきっかけができてちょうどよかった。
 わたしは、渋谷に住んで50年以上の、ヒッピーやフーテン上がりの何の信念も持ち合わせていない、ぐにゃぐにゃの人でした。新宿から、渋谷に文化が移って、新しい物や新しい人、新しい風が吹き荒れていました。渋谷に生まれ育ったわけでもなく、渋谷に流れ着いたよそ者だけがその価値を見出し、違いを力にしていった時代です。住んでいる人たちがとても力を発揮している、まさにいまの「ちがいを ちからに 変える街 渋谷区」みたい、と言うか、何をやっても新しいウキウキワクワクの時代に私の子どもは生まれました。1971年です。
 子育ては、楽しくて、楽しくて、可愛くて、1秒たりとも目を離したくなくなりました。当時私も私たちの周りにも、バリバリと仕事をしてる人が多く、結婚している人も少なく、まだまだ子どもを産む人も少なく、保育園も少なく、絶対というほど保育園には入れなくて、私は仕事を辞め、子どもと一緒の暮らしが始まりました。
 その頃過ごした千駄ヶ谷の人々は、原宿なんて行ったこともないと言う人が主流でした。でも、マンションメーカー(当時はマンションの1室でアパレルメーカーのことをこう呼んでいました)がいっぱいあって、サンプルとかいつも、入り口の段ボールに投げ入れてあって、子どものお散歩や、お使いついでにほじくったものです。明治公園、神宮外苑、など、伸び伸びできるところがいっぱいでした。子どもと一緒にあちこちと探検していく中で、だんだんと原宿の方に向かい、代々木公園で冒険の旅を始めました。(つづく)

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