<シリーズ「バス停探訪の旅」アーカイブ編です。VOL11になります>講談社「バスマガジン」の連載3回目の記事です。

北茨城市市中郷町2001.12scan-001

上記の写真は2001年12月の撮影

昨日の記事が連載一回目だったから、どうして2回目が無いの?と思うかたいますよね。誌面の連載2回目は、既にnote上で昨年6月17日にアップしていたので、それに譲ります。ご参照ください。

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<誌面掲載当時の文面>掲載誌VOL75・2016年1月号

実際の誌面を読みたい方は、こちらからどうぞ。
http://syashinkas.com/bus_maga.html

撮影地、茨城県北茨城市中郷町石岡のバス停名「中石岡」 
初訪2001年12月・再訪2014年3月とその翌月の4月
運行事業者「日立電機鉄道」

北茨城市中郷町2014.3月P3070554調整

上の写真は2014年3月この月末まで路線バスはありました。

<大見出し>「2014年3月末、バス路線廃止」の表示。しかしイベントも無し、新聞記事にもならない。。。。
<小見出し>路線バスの廃線は、鉄道の廃線と違いイベントは、何も開催されないことが多い。その後このバス停を載せていた台は、どうなっているのだろうか?
<本文>
僕がサラリーマン時代、営業をしていた時のことだった。取引先に、年末の挨拶を済ませてからの帰路、仕事が早く終わったので、まだ撮影出来る明るさだった。タクシー運転手に、「古い旧家や、味わいある商店のある町を経由してほしい」と告げると、この旧家の前に、連れてきてもらった。絶好のロケーションだったため、撮影できて大満足だった。その後予定通りJR磯原駅から東京方面へと向かう常磐線に乗車した。
今回の取材は、サラリーマンを辞めてすぐの2014年3月に、これまで取材した場所を巡る旅をしていた際にたまたま立ち寄ったところ、「3月末バス路線廃止」の表示を見つけた。近日中の再訪を心に誓いつつ、何かセレモニーあれば取材するつもり満々だった。イベントの有無についても、事業者に問い合わせたが、何もしないとの返事だった。また地元の新聞社にも声をかけたが、バス路線の廃止は日常的なので、今では記事にも成らないと、つれない返事だった。かなりがっかりしたが、自分だけでも記録するとの使命感に駆られて東京からクルマを飛ばして、テンション高く、路線バス廃止直後の取材に臨んだ。
該当地点に着いて、ファインダーを覗いたところ、電柱も電線も道路の向かいにあるミニコンビニもそのままなのに、バス停だけが、無くなっており、そのバス停を載せていた木製の台だけが、朽ちつつあるものの残っていることに儚さを感じた。

北茨城市中郷町2014年4月IMG_0790調整


上記の写真は2014年4月撮影

その後あいにく訪れていないが、このバス停を載せていた台は、どうなっているのだろうか?すでにこの撮影後6年が経過している。その間台風を含めて、気象条件もよろしくないこともあり、流されているに違いないと思う。なぜならばもとも側溝だからである。
そして、よくよく写真を注視してみると、バス停時代はバス停を固定するために重しにするために、漬物石のような石を載せていることがわかる。路線バス廃止とともに、撤去されたに違いない。なぜなら4月の時点で、既にどこにも写り込んでいないから。(文責・柴田秀一郎)

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