ふさぐ
藍里ちゃんには、困り果てると笑う癖がある。
私はそれが好きではなかった。
だって、藍里ちゃんは知っていたのだ。何かあるたびそうやって眉間を狭め、眉尻を下げて、申し訳なさそうに小さくなりながら口角を上げるだけで、彼女は自身を圧倒的な弱者として演出できることを。
私はいつも藍里ちゃんの一歩前を歩く必要があった。私は生まれた瞬間から“藍里ちゃんを守る”という使命を与えられていたからだ。母も父も、そういう明確な目的意識をもって、藍里ちゃんに遅れること二年、私をこの世に産み落とした。
「藍里ちゃんはなんにも聞こえないから。でも朱里はなんだって聞えるでしょう? だからね、朱里には藍里ちゃんへ片耳を貸してあげてほしいの」
私が何か藍里ちゃんへの不満をこぼすたび、必ず母はそうやって私を諭した。幼少期こそ「藍里ちゃんが聞こえないのは私のせいじゃない、どうして私が」と強く反発したが、小学校も四年目になったころにはほとほと諦め果て、私は従順に“藍里ちゃんの片耳”として機能するよう自ら努めるようになっていた。
藍里ちゃんの耳が聞こえない理由を、私はよく知らない。
何年も前に「藍里ちゃんがまだずり這いしかできなかったころある夜高熱を出して、そのせいで藍里ちゃんの耳は塞がってしまったんだよ」と父は言ったが、はたしてそれが本当であるか私にはわからない。だって私は母や父が大嘘吐きであることを知っている。
二人はいつも決まって、
「ママもパパも、藍里ちゃんと朱里、どっちも同じだけ大好きなんだよ」
と言う。けれど私は藍里ちゃんより先に名前を呼ばれたことがない。ちゃん付けなどされた記憶もない。
いつだって私は藍里ちゃんのおまけであり、藍里ちゃんの付属品であり、藍里ちゃんの代替品であり、藍里ちゃんのスペアパーツでしかなかった。
藍里ちゃんは、耳は聞えないけれど、それ以外は本当に完璧な女の子だった。お人形さんみたいに愛らしい顔立ち、長い脚についた膝はうんと小さく、腰まである焦げ茶色の髪はさらさらと風に揺れる。お勉強はだれよりできたし、駆けっこだっていつも一番にゴールテープを切った。
同じ親から、たった二年ぽっちの差で生まれてきたはずの私と藍里ちゃんは、しかし何もかもが正反対だった。私は、藍里ちゃんから音の聞こえる耳をもらった代わり、予めその他全てを奪われてしまっていたのかもしれない。それが、幼い私がひねり出した“模範解答”だった。
母はしょっちゅう、
「藍里ちゃんにできたんだから朱里だってできるでしょう?」
と私を叱責した。母は何の迷いもなく私を藍里ちゃんのスペアだと思っているから、私が藍里ちゃんよりも極端に劣っているという事実を絶対に認めない。私は幼いころから、二歳年上の藍里ちゃんにできることであればどんなんことでも、完璧にこなせるようになるまで訓練させられた。それは漢字の書き取りや計算問題であったし、カレーの作り方であったし、一人で髪を結い上げることでもあった。
母はどのような場合であれ、私を「私」とは見做さない。
その一連の行為は私の自尊心をぐちゃぐちゃにする。
母の恫喝が終わった頃合いを見計らい、きょうも藍里ちゃんは私の元へやってくる。藍里ちゃんは両手をふらふらと動かして、私に、
『気にしちゃだめだよ』
と言った。私も慣れた手つきで、
『わかってるよ、気にしないで』
と返す。それを見た藍里ちゃんはまたいつものように眉尻を下げて、申し訳なさそうに縮こまり、必死に小さく口角を上げ取り繕う。そうして、
『わたしのせいで、いつもごめんね』
藍里ちゃんは言った。
音もなく、彼女はそう“言った”。
そう言われてしまえば、私はもう何ひとつも藍里ちゃんへ反論できなくなる。藍里ちゃんはそれを知っている。彼女は卑怯だ。そう思い続けていた。藍里ちゃんの耳が聞こえないのは藍里ちゃんのせいじゃない。だれも何も悪くない。だから、私が叱責される理由だって存在しないはずなのに。
最後まで藍里ちゃんを守ってあげられるのがこの世界中に私一人だけであることくらい、私はきちんとわかっている。それでも私は、どうしても藍里ちゃんを好きになれなかった。
いつだって私は藍里ちゃんのことを「ずるい」と思ってしまう。それは私が低俗だからかもしれない、最低だからかもしれない。けれど、結論なんてその程度でいい。そうだ、私は低俗で最低なのだ。だって私は、私の生まれた理由すらもひっくるめてずっとずっと、藍里ちゃんのことが大嫌いだったのだから。
藍里ちゃんさえいなければ、私だってここにいなくても許されたはずなのだから。
藍里ちゃんの眼前に自身の手をかざし、そっとそのつぶらな両目を完璧にふさぐ。それから私は深く息を吸い込み、
「いなくなればいいのに」
蓄積され続けた腹の底の泥を、音として吐き出す。
私は姉が大嫌いだった。
(「ふさぐ」18.10.23)
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