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清潔な鳩

 通学路には鉄の塊がそびえ立っていた。
 鉄の塊にはいつも白い鳥が留まっていて、わたしはその生き物をずっと白鳥だと思っていた。
 白鳥は春も夏も秋も冬も鉄の塊の中頃に止まっていて、微動だにしなかった。だからわたしは、あの白鳥は見えない位置で双肢を太い針金でぐるぐる巻きにされ、強制的に鉄の塊にくくられているのだと確信していた。
 いつか気が向いたら助けてあげよう、と考えていたが、結局その“いつか”は訪れることもなく、気づくとわたしは四年生になっていて、季節は夏の手前で、久しぶりに雨の上がった午後、鉄の塊の下で白鳥は泥まみれで死んでいた。


 泥まみれで死んでいる白鳥を、近くに落ちていた木の枝の先でかずきくんが突く。はやたくんがようじくんの後ろから、ねえ、それ死んでんの? と半笑いで訊ね、死んでるっしょ、だって動かねえもん、とかずきくんがはやたくんよりもわかりやすい笑顔で言った。ようじくんがここにいる全員へ向け、埋める? と提案したが、すかさずあやねちゃんが、鳥ってたくさんの病気を持っているから触らないほうがいいんだよ、人間が触ると変な病気が移って死んじゃうんだよ、と止めに入る。おかしな病気になって死ぬのは怖いので、全員あやねちゃんに従い、わたしたちは白鳥を埋めることもなくその場を後にした。
 あやねちゃんがかずきくんに、帰ったらちゃんと手洗った方がいいよ、変なバイ菌が木の枝からかずきの手に移動してるかも、と彼を脅す。かずきくんは、まじかよ、と怯えたように呟き、ポケットから青いチェック柄のハンカチを取り出して何度も右手を拭った。
「ねえねえ、なんであの白鳥は死んだのかな」
 わたしがぽつりと呟く。
 途端にみんなはものすごい勢いでわたしの顔を覗き込んで、それから全員、ぽってりとした子どもらしい腹を抱えてげらげらと笑い出した。えー、みーちゃん、あの鳩のこと白鳥だと思ってたの! 白鳥が冬以外に見られるわけないじゃん! それに白鳥があんなに小さくて汚れてて、首だってあんなに短いわけないじゃん! あれ、鳩なんだよ! みーちゃんたら、子どもだなあ! みんなは口々にわたしの言葉を訂正し、同時、あの白鳥を鳩でしかないと嗤った。


 いつもの丁字路でわたしたちは別れる。あやねちゃんが、みーちゃん明日一緒に図書室行こうね、図鑑で鳩のとこ見ればわかるもんね、と言って、それからすぐわたしに手を振って去っていった。わたしはあやねちゃんに倣ってみんなに手を振りながら、ひとりで残りの通学路を処理していく。
 ああ、あれが勝手に死にさえしなければ、わたしはあの汚い鳩のことをずっと白鳥だと思って、崇高な生き物だと思っていけたのになあ。
 振り返った先にはまだ鉄の塊がある。中頃にまた新しい白い鳥が止まっていないだろうか。
 わたしは必死に目を凝らしてみたけれど、それがあんまりにも遠くにあるから、そのうちに見えない鳥のことなんてどうでもよくなった。



(「清潔な鳩」19.1.11)

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