ラプラスのいうとおり

　朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。出演している中堅俳優が「いやあ、この世界ももう一週間なんですね。これまでこの地球、そして“ラプラス”には本当にお世話になりました。僕は人類を代表してこの二つに心からの感謝を伝えたい！　ありがとう、地球。ありがとう、ラプラス。今までお疲れ様！」と明るく語り、コメンテーターや若手のお笑い芸人がどっと笑う。
　七日後に地球へ巨大な隕石が衝突することは、百年以上も前から世界中の人間が知っている。今さら誰も驚かないし、大した混乱を招くこともない。これは「生まれた瞬間から常に説かれていた未来が目の前に迫っている」という、ただそれだけのことだ。

　人類が世界の終わりを解き明かすきっかけとなった『唯一絶対決定論』が世の中に認知されたのは、今から百三十年前のことだった。この唯一絶対決定論が人々の耳に入った当初、それはさながらノストラダムスの大予言レベルの低俗なオカルト話として、インターネットを火付け役とし爆発的に世界中で話題になった。
　オンラインで際限なくコピーアンドペーストされ、何度も改変されたこの唯一絶対決定論は要約すると、
【我々のあらゆる行動は、ベースとなる様々な要素によってあらかじめ決定付けられています。そのベースとなる要素にもまたベースがあり、そのまたベースにもベースがあり――つまるところ、この広い広い宇宙というものは誕生した瞬間に全てが決まっていて、我々はいかような場合でもそれに抗うことなど不可能なのです。そのうえで、長い時を経て英知を養った我々人類は、この理論を逆算することにより近い将来、最果ての未来までをも予期することができるようになるでしょう。全ての終末は誕生と共に決められていました。もうすぐ我々はそれを前もって知り得るのです】
　とのことだった。それまでも、哲学や量子力学の世界に「決定論」という言葉は存在していた。しかし、哲学としての決定論はあくまでも机上の空論でしかなかったし、量子力学における決定論に至ってはその可能性を完全に否定されているものでしかなく、誰もが「必ず当たる未来予知なんて起こせるはずがない」と信じ切っていた。
　皆は唯一絶対決定論を一過性の、流行り物の噂話としてのみ捉え、それなりに弄び、飽きたらポイと抛り捨てるつもりで好き好きに語り合って過ごした。

　そうしているうちに、ふとこの唯一絶対決定論を解き明かすプログラムの開発に成功した者たちが現れた。あらゆる資源に恵まれた、豊かな国で結成されたそのチームはコンピューター技術の発達が目覚ましく、プログラミングリーダーは会見で、
「あの、本当に……自分たちとしては冗談というか、遊び半分というか、ちょっとした出来心だったんですけど……なんか、すみません……」
　叱られることをひどく恐れた子どものように、俯きながら小さな声でそう呟いた。その時の映像は百三十年後の今でもインターネットで自由に閲覧することができる。
　この「なんか、すみません」の意味はやがて人類全員がその身をもって理解することになる。

　チームが解き明かした未来予知ツールは『ラプラス』と名づけられ、ラプラスが導き出した未来は逐一世界各国に共有されるようになった。しかしすべての国は何年経ってもラプラスが知る「重大な未来」を頑なに世間に発表しようとはしなかった。気休めに伝わってくる申し訳程度の「未来」はその日の天気や気温、あるいは実害のない地震や大雨、台風などの小規模な災害に留まり、明確に役立つ情報は一切流れない。次第に人々は、
「ラプラスが言い当てる未来なんて所詮取るに足らない」
　と結論付け、ラプラスが日々発表する些末な情報に耳を貸さなくなった。そのうえでラプラスは、都度正確な未来予知を行い続けていた。

　ラプラスに対する世界の目が変わったのは今から百二十八年前、ラプラスが運用され始めて二年目のことだった。
　とある国の休火山が何の前触れもなく噴火し、数万人規模の死者が出た。その山は幸い首都からは何百キロと離れていたが、しかし噴火の影響による経済損失は結果として大いに国全体を脅かした。
　噴火が世界中に伝えられると同時、人々は皆、
「ラプラスは何をしていた？」
　強い口調でそのシステムを罵った。噴火から四日後、被災国の大統領は世界規模の会見を開き、
「勿論あの山が噴火することはラプラスの利用が開始されてすぐ、運用チームから伝えられていました。そのうえで我が国は『その事実を国民へは伝えない』という手段を選んだだけの話です。我々は不要な混乱を招きたくなかった。どう足掻こうがあの大噴火は避けられないことだったのです。ラプラスが告げる未来は絶対で、人類ごときが抗うなど不可能で――いいですか、国民の皆さん。よく聞いてください。まず明後日に一度、そこから六日後にもう一度、さらにその十七日後、あの火山は大規模な噴火を起こします。これは揺るぎない事実です。なぜなら、あのラプラスがそう告げたのだから」
　そう言った。
　実際二日後には再び噴火が起き、そこでは二十八人の命が犠牲に、その後新たに死人が出ることこそなかったが六日後、十七日後にも噴火は起こり、山を取り囲む街一帯は壊滅状態に陥った。
　国はラプラスの予知結果を公表しなかった罪を問われ、数十人規模の役人が逮捕される事態となった。件の会見で全人類を恐怖のどん底に陥れた大統領は勾留後、法廷で現在の心境を問われ、
「実にすがすがしい気分です。なぜって？　全て、ラプラスのいうとおりに事が運んでいるからですよ。そうだ、一つ愉快なことをお教えしましょう……これもまたラプラスが教えてくれたことの一つですからね。『誰も私を裁けない』」
　そう言って笑った。その後、裁判途中で大統領は突如病に倒れ、帰らぬ人となった。

　大統領が死去してすぐ、世界各国はラプラスの情報を開示するようになった。
　一部で「なぜ噴火前にラプラスの予知を発表しなかったのか、大統領に抗ってでも行動に出る者はいなかったのか」と小さな騒ぎが起きたが、それはラプラスの未来予知を軽視している無能な人間が考えなしに叫んでいた程度のことで、わざわざ相手にする者もそれほど多くはなかった。ラプラスから開示されたデータにはインターネット上での『唯一絶対決定論』の流行、ラプラスの開発成功、世界規模でのラプラスの情報制限、一般人からの軽視、四度の大噴火による甚大な被害、複数のトップの逮捕、大統領の病死、全世界でのラプラスの情報の開示、その全てが事細かに記されていた。勿論それ以前の情報も、人類が知り得るはずのない規模でラプラスは詳細に語っている。そして、
【ラプラスが誕生して百三十年後、地球へ巨大な隕石が衝突し、地球は滅び、ラプラスを含めたこの世界の全ては終わりを迎える】
　ラプラスの予言にはそこから先がない。つまりはそういうことだった。

　人類の出生率はここ五十年ほどで八分の一まで下がった。今からどれだけ殖えても最後は隕石の落下で世界ごと消滅だとわかっていて、それでも何かを一から育てたいと思う崇高な人間はそれほど多くなかったということだろう。勿論この流れもラプラスは寸分違わず予知していたから、我々人類はラプラスのいうとおり、その流れに抗おうともせずこの百年余り粛々と生をこなし続けるだけの日々を送った。
　しかしそれもあと七日で終わる。
　人類は皆どこか安心しきっていた。あと七日でこの命が終わる代わり、あと七日で我々はラプラスの呪縛から完全に解かれるのだ。
　完全な無をもって、人類はようやくラプラスの想像を超える。

　再びこの世界が始まらないよう我々人類が心から祈っていることを、端からラプラスは知っている。

（「ラプラスのいうとおり」２１．５．１４）