小説 介護士・柴田涼の日常 81 安西さんが辞める四つの理由、イマイさんの熱発

 日勤で出勤した安西さんは、午前中に三人のご利用者をお風呂に入れた。

 昼食の準備をしていると、遅番で間宮さんが出勤する。

 あとから聞いた話だが、安西さんは間宮さんと一緒の勤務の日は手が震えるそうだ。最近はずっと眠ることができていないらしい。だから仕事に集中できないし、ミスが増えると言っていた。

 この日は、安西さんがミスを連発し、間宮さんもご立腹だった。

 おやつの紅茶に茶葉が混じっているからと二回新しく沸かし直し、湯気がたったあつあつの紅茶をすぐに提供したためハットリさんが唇を火傷してしまった。「感覚がちょっとおかしい」と言われたのでナースに診てもらい、氷で冷やした。紅茶はなかなか冷めなかったため、多くのご利用者はあまり飲まずに終わってしまった。さらに、紅茶を沸かすのに時間が掛かったためか、サトウさんの義歯を入れずにおやつを提供してしまっていた。これであまり咀嚼をせずに飲み込んでしまい喉を詰まらせた、なんていう事故が起こったら大変なので、ヒヤリハットとしてあげることになる。

 間宮さんは安西さんのこの仕事ぶりに対して呆れ果てていた。休憩に入る前には「もう疲れたわ」と言っていた。

 おやつ後の排泄介助を済ませ、手すりの消毒や居室のカーテン閉めなどを終わらせるとやることがなく見守りのみの時間帯となる。いつもなら日勤が一人で見守りを行うが、今日は遅めの早番だったので、この時間は安西さんと二人で見守りをすることになる。

「明日、面談があるんだよね」

「えっ、誰とですか?」

「寺田次長と」

「何を話すんですか?」

「辞めるって言うんだ」

「えっ、ついに言ってしまうんですか?」

「辞めたい理由は四つある。まずはあの人と仕事をしたくないこと、このユニットにいづらいこと、勉強がしたいこと、そして隣のユニットの惨状を放置していること。でもこれは建前で、本音を言えば、実は、寺田さんにも絶望してる。隣のユニットに入った有望な若い人を責任を持って守ると言ってたのに、結局その人は辞めていってしまった。隣のユニットは旧態依然のまま事態は一向に変わっていない。足の力がなくて拘縮がある人でも個浴で対応したりトイレに立たせたりしている。しかも離床してる時間は短くてすぐに寝かせてしまっている。それだと身体の機能は落ちる一方でしょ。資格を持ってないオレでさえそんなことはわかるのに、資格を持ってるプロの人たちがそんな対応をしている。そしてそんな状況を放置しているこの施設に明るい未来はない。若くて辞めていった人たちはみんな言ってるよ、寺田さんはおかしいって。残ってる人は寺田さんの考えに染まった人ばかりだからますますおかしなことになってる」

「そうだったんですか。それははじめて聞きました」

「気をつけたほうがいいよ。それにオレ、この仕事に生産性を見出してないんだよね。言い方は悪いけど、老い先短いこの人たちの手助けをしたところでいったい何になる? 国からすれば、なるべく早くお亡くなりになってくれたほうがよっぽどありがたいでしょ。この仕事は国の役に立ってないし、意味がないと思ってる。来年三月に試験に受からなくてもこの仕事に就くことはもうないね。でももちろん、明日の面談でこんなことは言わないよ。あっ、ところで、イマイさん、いつ頃起こそうか?」

「そろそろ起こしてもいいかもしれませんね」と僕が答えることで、僕がイマイさんを起こすことになる。自分はなるべく仕事をしないという方針だけはしっかりと貫いている。

 イマイさんは、だいたいいつもおやつを食べたあとにお昼寝をすることになっている。イマイさんは疲れてくると不機嫌になってしまうからだ。今日は週に一度のマッサージを受ける日で、おやつのあとにベッド上でマッサージを受けると、そのまま眠っていた。

 イマイさんを起こしに行くと、顔色がやや悪かったが、「起きますか?」と声かけすると「ハイ」と小さく答えられたので起こすことにする。ベッドから車椅子に移乗すると大きなむせ込みが見られた。様子を見つつ、リビングのお席まで移動すると、鼻水を出しておられる。額に手を当てるとやや熱い。熱を測ると三十八度だった。安西さんがナースに報告しに行っている間に、僕はイマイさんを居室に連れて行き臥床対応を取る。

 ナースは、搬送はせず、解熱剤を服用させ、様子観察という判断をした。

 大事に至らなければ、と思いつつ、退勤時間が来たため帰ることにする。

 外は雨が降っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?