小説 介護士・柴田涼の日常 104 海野さんがいるとはりきる安西さん、便失禁の対応手順はむずかしい、風通しの悪い職場環境にいるDユニットの宍倉さん
翌日は早番。昨日今日は抗原検査をしないといけなかったので、それをしてから出勤する。夕食が遅かったので、朝食は軽く昨夜の残りのスパゲッティを食べただけだ。車通勤だと朝が楽なのは助かる。早番の朝はあまり余裕がないので、自転車だとしっかりこいでいかないといけない。早番はやることがたくさんあるため早めに行っておきたいが、しかしもっとベッドで横になっていたい。そのせめぎ合いだ。
夜勤明けは安西さんだった。起こすべきご利用者はすべて起きており、昨夜の洗濯物もしっかり乾燥機で乾いていた。今日は仕事が早いなと思ったら、隣のユニットの早番が海野さんだった。海野さんの手伝いをするために仕事が早かったんだなと気づく。向こうのユニットのご利用者もすでに何人か起きていた。
安西さんはさらに、ベッド上のヨシダさんの食事介助もしてくれた。退勤時間を一時間近く過ぎてもまだ残っていて、向こうのユニットの手伝いをしたり、不随意運動が見られるヨシダさんの排泄介助を手伝ってくれたりもした。
「この前手伝ってくれたんで」と安西さんは言った。
おお、この人が仕事で返してくれるとは、と少し感心してしまった。
あとでこのことを遅番で来た平岡さんに話すと、
「海野さんがいるからでしょ」
とつれない反応を示された。平岡さんは安西さんのことをあまり良く思っていないようだ。
この日はインフルエンザワクチンの接種をする予定になっていたが、早遅対応なので下に降りて打ってもらうことができない。平岡さんからは待機しているようにと連絡があったが、忘れられているんじゃないかと思ってそわそわしていた。事務所に電話で問い合わせてみると、どうやらご利用者のワクチン接種が終わってから最後に職員の接種を行うらしい。電話で呼ばれたので、海野さんに少しの間見てもらうようにお願いし、三階のユニット内で接種を済ませてすぐに戻ってくる。
トキタさんの便がこのところゆるく、失禁が続いている。体重が減っているので高カロリーの栄養ゼリーを摂ってもらっているが、そのためではないかと思われる。合わない人には合わないみたいだ。トキタさんは昼食後にいつも臥床しているが、おやつ前に起こそうと思って部屋に入ると便臭がすごいと平岡さんが言った。新しいパッドとリハパンの用意をしてから行くと泥状便失禁をされていた。臀部が赤くなっていたのでナースに見てもらおうと少しその場を離れてナースの高橋さんを呼んで戻ってきたちょうどそのときトキタさんは尿失禁をされていた。臀部にはワセリンを塗り、更衣をしてトキタさんを起こしたが、ラバー、シーツ、ベッドマットまで尿汚染されていたので、すべて取り替えた。ここで時間を取られてしまったので、あとの仕事が押せ押せになってしまい、結局平岡さんに任せるかたちとなってしまった。平岡さんは午後からお風呂当番をしていて疲れたろうに、もう少し考えて動かないといけないなと思った。
ヨシダさんの熱は下がっていたが、ベッドから起きると血圧が下がり動きが止まってしまうため、まだベッド上で過ごされている。排便はマイナス三日であったが、おやつ後に少量の普通便が出ていたので、トイレに座らせれば出るかもしれない。夕食はベッドから起こして食べさせてみるので、そのときにトイレに連れて行きますよと平岡さんは言っていた。
休憩時間、Dユニットの宍倉さんと一緒になった。今日は夜勤明けの「早日」だと言う。夜勤明けの翌日が早番というのはツライが、さらに残業して仕事をしなければならいと言われた。焼き芋大会をCユニットと合同で行ったが、わたしはお留守番。向こうのユニットは寝たきりの人もみんな外に連れて行ったが、うちのユニットは寝たきりの人は連れて行かず、独歩のヤマダさんも居室の外に出たがらない人なので、その人たちと留守番していたら、Dユニットのリーダー野原さんが「なんで連れて来なかったの?」と言うので、カチンと来て「ヤマダさんが行きたくないと言ったからです」と答えたそうだが、連れて行かなかった責任を自分一人のせいにされたのが頭に来たようだ。
「ひとりで留守番って、みんなが楽しんでるときに、ひとりだけ除け者にされたようでなんだが虚しさを感じますね」と僕は言った。
「もう少し気遣いをできるようになってほしいと思うの。こういうイベントをしたときって、同じ二階同士お裾分けじゃないけど、どうぞって持って行ったりするでしょう。そういうこともしないの。わたし、自分たちだけが楽しめばいいっていうのはあんまり好きじゃないの」
宍倉さんはリーダーの野原さんに対して言いたいことがあまり言えない状況にあるようだ。「わたしなんかおばさんだから、もう少しこうしたらいいんじゃないかって思うこともあるけど、言っても聞く耳をもってくれないから言う気もなくなっちゃうのよね」。言いたいことが言えない状況というのは風通しのいい環境とはいえない。それを言ってはおしまいだということのほかはどんなに小さなことでも言えるような職場環境を作っておいたほうがといいと思う。そのほうが仕事は断然しやすくなるだろう。
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