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なぜ人は廃墟に惹かれるのか。

「廃墟萌え」ということばがある。

すでに廃墟となった建物や空間に、魅了されること。かつてはたくさんの人々が利用していた建物たちが、年月を経てたくさんの「サビ」や「ツタ」に覆われ、朽ちはてて佇む姿に胸を打たれるさまだ。

代表的な廃墟では、長崎県の「軍艦島」などがある。

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かくいうわたしも、廃墟を見ると「廃墟萌え」をしてしまう。

「古き良き」とはまた違う、「非日常」でもない、すでに役目を終えた廃墟たちの魅力はなんだろう。

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(和歌山県/友ヶ島)

廃墟には、当然ストーリーがある。

かつてはその場所で生きた人々の夢や希望、安全や生活を支えていた歴史がある。しかしそれも、いつしか終わりを迎え、人々は建物だけを置いて去ってゆく。

そうして人の支配から解き放たれ、時の過ぎゆくままに放置された無人の建造物は、やがて踏み入る者を拒まなくなる。

だから廃墟には、その場に生きた人々のこころを、自由に想うことが許される包容力がある。

どのようにこの建物が生まれ、どのような人々がどのような生活を送り、どのような最期を迎えたのか。

行き交う人々の息づかいを想像し「たのしかったときもあっただろう」「くるしかったときもあっただろう」と、悲喜交々な想いを馳せる。

かつてその廃墟が賑わいにあふれていた場所であればあるほど、感動は強くなる。

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(佐渡市/北沢浮遊選鉱場跡)

そして、その無数の人生の余韻はやがて郷愁となり、記憶のなかの過ぎ去った在りし日と重なってゆく。

故郷の風景や幼少期の追憶は、いま現在の自分を経て、いずれは目の前の朽ちはてた姿にたどり着くことを想う。

つまり廃墟は、過去に生きた人々の未来の姿でもある。
誰もが想像しなかったその退廃した様相は、われわれの未来の行く末でもあるのだ。

その「時間の無情さ」に圧倒される。
まるで世界の終焉のひとかけらを覗いたような感覚。いつか消滅する自分と、自分以外の存在のむなしさを知り、虚無をおぼえる。

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(宮城県/化女沼レジャーランド)

しかしそれは絶対の真理であり、不変の事実。そんな人間の無力さと有限のはかなさが、胸に染みる。ニヒルでノスタルジックな、えもいわれぬ感傷。

美術的観点もさることながら、そんな壮大な人間ドラマと時の流れの強大さを感じることができるのが、廃墟の魅力なのだと思う。

そんな「廃墟萌え」をかき立ててくれるテレビCMがある。

「大分むぎ焼酎・二階堂」のCMだ。
さあ、萌えよう。これは、廃墟萌えにはたまらないぞ。

画像出典:写真AC,Pinterest


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