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「時は金なり」って、「時間<お金」ではなくないかい。

運転していると、福山雅治さんのラジオで「節約と倹約の違いはなにか」という話題が聞こえてきました。
アシスタントさんが出した答えは「節約はお金だけではなく時間やエネルギーにも使われることば。倹約はお金に限ったことば」とのことで、たしかにそうだ、と思った。

ここでふと「時は金なり」ということわざを思いだした。

学生の頃、夏休みに実家でダラダラしていると親から「時は金なりだよ!」「タイムイズマネー!」と臀部を蹴られることがよくあった。

辞書では、

《Time is money.》時は貴重であるからむだに過ごしてはならない。
引用元:Weblio辞書

という意味になっている。しかしあらためて思う。

このことわざ、ずいぶんお金を第一に考えてるじゃない。

だってそもそも「時間=お金」ではないでしょう。
だって、どう考えても時間のほうがレアリティは高くないかい。
100万円をもらえることがあっても、1日の25時間目をもらうことは誰にもできないしね。
価値でいったら「時間>お金」のはず。
だったら「金は時なり」のほうが正解じゃないのか?と。

なんでもお金に換算して考えるなんて、ずいぶん俗っぽい考え方だなあ、と思って。
ちなみに、わたしのテンションはときどき、こういうしょうもない屁理屈ぼうやに戻るときがあります。

でも調べてみると、どうやら本来の意味は少しだけ違うみたい。
まず、このことばはアメリカ合衆国建国の父で、100ドル札紙幣の肖像画にもなっているベンジャミン・フランクリン(1706年-1790年)さんのことばだそう。

ベンジャミンさんが言っていたのはもっと直接的な提言。
かんたんに言うと「ひまなら金かせげよ」ってこと。

経済に関することばで、おもに商人に向けたことばだったようですね。Google先生で調べると、まじめな回答としては「機会損失」や「機会費用」への警鐘を鳴らすことば。

たとえば、こんな場面だったらベンジャミンさんの意向に逸れずに使えると思う。

アルバイトに行けば1日5000円かせげるのに、めんどくさいから家で畳の目を数えて1日が終わったヒマ人がいたとする。「機会損失」や「機会費用」という概念だと、それは儲けゼロという結果ではなく、マイナス5000円の損失になっていると考えるので「あんたね、時は金なりなんだから、むだな時間を過ごすってことは、じつはお金を損してることになるんだよ」とか。
たぶん、これなら本来の意味に合う。はず。

そうはいっても、いまの日本は「お金がすべてじゃない」という価値観も多くなってきたよね。かくいうわたしもそうだし。

なにより、いままで何とも思わなかったのに、急にこのことわざに屁理屈ぼうずが顕現してきたのも、いまの自分が「お金があるだけでは手にはいらないもの」を追い続けているからかもしれない。

それはたとえば、良い文章を書けるとか、筋トレでマッチョになるとか、そういうもの。

うん、あと、そういうの追ってると、お金も欲しいけど、いまは同じくらい時間が欲しい。お金も時間も遣い方がへたなんだろうけど・・・。



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