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たとえすれ違ってでも、気を遣って生きる人たちの美しさ。
アメトークを観ていたら「相方にずっと言えないことを告白」というコーナーがありまして。
スピードワゴンの小沢さんが「新幹線で潤(相方)が隣の席だったとき、他の芸人と席を変わるのがさびしい」というエピソードを話されていました。
そのあと、相席スタートのケイさんが「現場が終わって駅に向かうとき、マネージャーと3人なら一緒に駅に行くが、山添(相方)と2人のときだとバラバラで帰っている。昔は一緒に帰ったのに。それがさびしい」というエピソードを話されていました。
しかも泣きながら。でも、ちゃんと笑いに変えながら。
もちろん、それは相方を敬遠しているのではなく、どちらもお互いが「なんか気を遣ってしまう」がゆえのわずかなすれ違い。それをお互いが気づきあいながらコーナーは進んでいった。
「分かる分かる」とわたしも少し泣きながら観ていました。
「気を使う」ということばは、「気を遣う」とも表現する。
これは「お金を遣う」と同じ文字。
「気遣い」はお金と同列、匹敵する相手へのプレゼントなのだと思う。
なので、誕生日やクリスマスのプレゼントには「お金」と「気」の両方が「遣われて」いるので、もらったらとても嬉しい。サプライズだと余計に。
ちなみにことばも「言葉遣い」という。
なので、たとえば人から褒められたら、「褒めことば」もりっぱなプレゼントだから、しっかり受けとっていきたいし、自分からもプレゼントしていきたい。
お金も、気も、ことばも、遣い方を間違えるとすれ違う。
難しいよね。でも、遣わないって選択肢はないし、そのすれ違いにお互いが気づけたときは、まるでサプライズでプレゼントを貰ったように嬉しいし、美しいと思った。
いい遣い方をして、生きていきたい。
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