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「言わなくても分かるでしょ」が無くなる世界を目指して。

「暗黙知」と「形式知」ということばがある。

暗黙知とは、
「言語化して共有できない知識や経験」のこと。

形式知とは、
「言語化して共有できる知識や経験」のこと。

マネジメントの現場でよく使われることば。

たとえば、何年も経験がある先輩はあたり前にできるしごとでも、入社3日目の新人さんはそのあたり前ができない。

新人
「お客様に電話して応答がなかった場合は、何回くらいのコール数で切れば良いですかね?」

先輩
「えー?何回だろう。オレ普段、何回くらいで切っているかな。なんていうか、これ以上鳴らしたら失礼かなってタイミング」

新人
「あっ...それは...えーと...」

経験上の感覚で教えられても、新人さんにはその「失礼にならないタイミング」が具体的にイメージできない。共有されない。

この暗黙知を、形式知にして相手に伝えるとなれば…

先輩
「そうだな、大きいコール音が6回前後かな」

などとなる。

「人から人へしごとを教える」という行為においては、できるだけ「形式知」で教えてあげたほうが、効率的だし次の世代への継承もしやすいだろうね。

わたしの勝手なイメージだけど、一昔前の職人さんとお弟子さん、なんて関係だと、

「バーロイ、なんでもかんでも聞くんじゃねえっ。そんなことも言わなきゃ分かんねーのかっ」

と、全力の暗黙知でご指導を受けていそう。

ことばにできない経験則ってのもたしかに存在するからなあ。
このバランスが難しいところだよね。

しかしながら、この「言わなくても分かるでしょ」という暗黙知。

これはね、人間は「言わないと分からない」場合がほとんど、と思っていたほうがいいね。

伝えたい相手が都合よく自分とおなじ経験値を稼いでいるとは限らないからさ。

これは「夫婦生活」にもヒジョーに大事な考え方なんじゃあないかなあ、と思ったりもする。

夫婦でも、恋人でも、まったく別の人生を歩んできた赤の他人同士なのだから「言わなきゃ分からないことだらけ」が当然なんだよね。

でも、数年も一緒に生きていると、なーんかお互いがお互いを理解しきったような感覚になっちゃうんだよね。

ついつい「言わなくても分かるでしょ!」と思ってしまうこともある。

でもそれは、自分自身がいつのまにか身につけていた経験や常識なのであって、相手にとっては未知の感覚。

それを安易に、相手の悪意や手抜きだと受け取ってしまうのだけは避けたい。

人は「言わないと分からない」生きものだから。
そもそも人なんて、「言っても分からない」ことだって多いでしょう。

なので、ウチでは「言わなくても分かるでしょ」はナシだよ、と決めている。

こうして欲しい、ああして欲しいと思ったら、まずは「ことばにすること」。
それを受け入れるかどうかはそれから話し合おう、と。

けっして形式知が善、暗黙知が悪、と断罪したいわけじゃないよ。

高次元のものごとほど、ことばにできなかったりするからね。
一流スポーツ選手のスキルなんかは、だいたいそうだよね。

ただ、ことばにできることはことばにして伝える努力は忘れないでいきたいね。

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