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今更ながら2023年の振り返り|「学校辞める」なんて想像もしてなかった話

今更ながら2023年の振り返りを少し。

昨年、我が家にとっての大きな出来事は、なんといっても長男の転学でした。いや、退学からの入学?
いずれにせよ、私の人生の中で先生に「学校を辞めたいと思っています」と言う日が来るなんて想像したこともありませんでした。人生何があるかわからないものです……

長男は高校2年生になった春から、学校へ行き渋ることが増えました。
バスと電車を使う登校も2年目になり、少し面倒になってきたのかな、くらいに思っていた当初。

でも、毎週同じ曜日に休むことが増え、その他の曜日も何かと理由をつけて休もうとする日が増えていきました。

高校は、小学校や中学校とは違い、義務教育ではありません。行っても行かなくても、誰からも責められることはない…

とはいえ。
「学校はきちんと毎日登校して卒業すべし」という「べき」が私の中にしっかり鎮座していたので、この問題とどう向き合うべきか……悩む日が続きました。

「今日はちゃんと登校できるだろうか」

毎朝、彼を起こすときに内心不安でいっぱい。「いつまでこんな気持ちで過ごせばいいんだろう…」そんな気持ちを抱いて、表向きは元気にいつも通り振る舞っていても心の中で彼を責めてしまう気持ちになることもあり。ダメな母親だな…と自己嫌悪になることもしばしば。

「遅れてもいいから行っておいで」
そう言って、送り出す日もありました。完全に休んでしまうと、学校から足が遠のいてしまうだろうと思い。少しでも、遅れてでも「学校へ行く」という行為が大事な気がしていたのです。

しかし。
長男の様子から、そして彼の話を聞けば聞くほど「真剣に転学を考えるべきかもしれない」と思うようになったのが1学期半ばでした。

その間、夫にも何度も相談していましたが、夫の言い分はいつも一緒。
「社会に出たらそんなもんじゃない。我慢して乗り越えるしかないんだから」と。

至極、まっとうな正論。
でも、それが時に重荷になることも、またそれが正解だったとしても、そうではない選択肢が必要なこともあるんですよね。
タイミングを逃して後悔することになったら……

そんな悶々とした日々の中、転機が訪れます。
学校公開です。

これまでは私だけが行っていましたが、ちょうど土曜日ということもあり、夫に一緒に行ってもらうことにしました。

「百聞は一見に如かず」

私の人生で、この言葉がこれほどに腹落ちしたことが、かつてあったでしょうか。(いや、多分あったと思うのですが今すぐに思い出せないということは、きっとそのくらいインパクトがあったということ・笑)

この日、実際に教室の様子を見て、私は愕然としました。
「これはダメだ……この状態でこの場所にいるべきじゃない」
そして、夫もまた同じことを、私以上に強く思ったようでした。

「これは……」
多くを語らずとも、その表情に全てが現れており。

1時間目が終わると同時に、私たちはすぐに通信制の高校、転学できそうな高校の情報を集め、その足でちょうどう開催されていたN高等学校の説明会の会場へ向かいました。

現状をお伝えすると、転学について丁寧に説明をしてくださいました。全く知識がなかったので、いろんな情報が追いつかない状態ではありましたが。学校ではどのようなカリキュラムがあり、どんな内容を学ぶのかについても詳細に教えていただきました。

そこからの動きは早かった…
長男と共に通えそうな場所にある教室をいくつか見学し、どんなカリキュラムでどんな授業を受けられるのか情報収集に努め、あれよあれよという間に転学に向けて進みはじめました。

とはいえ、決意が固まるまでは相当悩みました。
「本当にこの選択肢でいいのかな」
彼自身は今の高校を辞める意思は固まっているものの、通信制の高校がどういうところなのかわからない不安もあったようで。それは親である私も一緒。普通高校とどう違うのか、彼の中の「高校生活」のイメージと現状とのギャップ、そして今後の生活。あれこれ考えると不安しかない上に、正解なんて全く見えてこないのですから。

長男と何度も話をして、教室にも足を運び、実際の授業の様子や通っている生徒の状況なども確認しながら。
「親子共に未知の世界へ飛び込む決意をした」
そんな表現がしっくりくるかもしれません。




転学して、4ヶ月が経過した今。
彼は日々楽しそうに学校に通っています。一時期はレポートに追われて、やや大変そうではありましたが、自分のやりたいことや興味のあることが思う存分できる環境に、とても満足しているようです。

長男と次男は双子としてこの世に生を受けました。
しかし、2人は小さいころから体格にも差があり、外見も趣味嗜好も全く異なるので、双子だと気づく人はほとんどいないでしょう。
だからこそ、少し過剰なくらいに私は「公平」「平等」という点に重きをおいてきました。双子というだけで、どうしても比較されてしまう場面がでてきてしまうのです、無意識だとしても、相手に悪気はなくても。

人それぞれに授けられた特徴、違いを受け入れて互いを尊重し、得意なことを活かし、足りないところは補いあって、それぞれのいいところを伸ばしていける、そんな環境を整えてあげたい……かたや、いわゆる”普通の高校生活”を送っているだけに、親としては複雑でした。

「この子にとってこの選択肢で良かったのか」「そもそも高校を選ぶときの選択肢をもう少し考えるべきではなかったのか」

私の悪い癖で、過ぎてしまったことまで「あーでもない、こーでもない」と悩んでみたり。

でも。
そもそも”普通”ってなんなんだろう?と。
普通の基準なんて、とても曖昧なもの。人それぞれで見る人が違えば”普通”もまた違うのでは?何をもって”普通”というのか。
私自身が”普通であるべき”という思い込みに囚われていたのはないか。

大事なのは、世間一般の”普通”や”目線”ではなく、子ども自身の気持ちであり、どうありたいかという”在り方”ではないかと。そこには、余計な思考は必要なくて、ただ本人が感じる”幸せ”とは何かを手探りで見つけていく作業をそっと見守り、時にアシストすること。

そんなことを考えたり、考えさせられたり。人生の本質とは何かを改めて考える、私にとって大きな出来事でした。

子育ては個育てでもあり、親もまた育ててもらっている。
正解がないだけにあれこれ悩みも尽きませんが…だから試行錯誤し、考え、行動し、お互いに成長していけるのかもしれません。

子育ては、まだまだ道のりは長〜いので、気負いすぎず、あるがままを受け止めつつ。
1歩1歩。
日々学びです。





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