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兄弟の中で僕だけ全然お金をかけてもらえなかった話。

日々の生活に何故か充足感を感じない。

仕事も最低限やっているし、生活固定費も極限まで下げているので、生活自体は少しだけゆとりがある。

だけれど、精神的にはなぜかいつも焦燥しきっている。休んでいてもどんどん疲れていってしまう。理想と現実のギャップが大きすぎるからだろうか。

それに、最近は誰かに必要とされる経験があまりにもない気がする。

本当に自分が存在していてもいいのだろうか。自分が存在している価値はあるのだろうか。

そんなことをふと考えたりしている自分がいる。どうやら今日の僕は自己肯定感が低いようだ。

生活固定費の話が出てきたので今回はお金のことに関して少し話そうと思う。

3か月ほど前に僕は実家に引越しをした。実家で暮らすのは6年ぶりくらいだ。それまではずっと一人暮らしをしていた。

両親はかなり不仲で、6年前に末っ子の弟が大学に入学したのを機に別居している。

今は父親、弟、僕の3人で暮らしている。僕は4人兄弟の3番目で弟は5つ下だ。学年は5つ離れているけど僕が3月生まれで弟が4月生まれなので実質4歳差だ。

隣の家には85歳の祖母が住んでいて、祖母の家の2階に部屋が空いているのでそこに住まわせてもらっている。祖父は他界している。

僕が育ってきた家庭環境はあまり良くなく、僕の根暗な性格や生きづらさに多大な影響を及ぼしている。

おそらく、父親は僕が生きづらさをひどく感じていることもおそらく認知していないだろうし、それが自分たちの作った家庭環境に起因するなんて考えにも及ばないだろう。いわゆる毒親なのである。

そして、僕が両親を恨んでいてまだ心の中で許すことができていない事も知らないだろう。このあたりに関しての話はまた今度詳しく書こうと思う。

さて、僕が実家に引越しをした理由は、僕がネットで活動しているのを弟が気づき、手伝うから一緒にやろう的な感じだった。とはいってもタイミングと運に見放されて一緒に活動するのは先送りになっている。

それに、もともと生活固定費を下げてはいたが、実家で暮らすことによりさらに固定費を下げられると思ったのも大きな理由だ。生活固定費を下げればその分稼がなくてよくなるので自由な時間が増えるのだ。

僕は実家にお世話になるのだから最低限のお金として毎月数万円程度入れようとしたが、父親はその分を奨学金返済のために貯金するように勧めてきた。

それは本当にありがたいことなのだが、実に恩着せがましいのだ。

「奨学金の一部を負担してやってるんだからありがたく思え。」

的な態度が言葉の節々に表れているのだ。

こんなことを書くと、負担してもらってるだけでもありがたいだろうと思う人も大勢いると思う。

でも僕が言いたいのはそこではない。

というのも、第一、兄弟間で明らかに金銭的な不公平がある。

僕は国立理系大学に進学したので、年間にかかる学費は50万円強といったところだった。学費とともに一人暮らしにかかるお金は全額奨学金で賄ったので、最終的に700万円ほど借りることになった。

一方、長男は私立に進学し学費だけでも年間170万円、次男も私立理系に進学したので同じく年間170万円、弟も似たようなものだった。

長男も一人暮らしだったが、借りている奨学金は僕の半分にも満たない。年間170万以上も学費がかかるのにだ。つまり、親に結構な額負担してもらっている。

次男は実家から通っていたのもあって奨学金はそんなに借りていないが、明らかに僕よりも学費や生活費を負担してもらっている。

弟はと言うと、長男と次男と僕は2歳ずつ離れていて弟だけ5つ歳が離れているので、その頃には家計の負担も軽くなり、弟は大学生になる以前から他の3人に比べてお金をかけてもらっている。学費や生活費に関しては言うまでもない。

さらにお小遣いも、僕が中高生の時は家計が厳しく僕だけめちゃくちゃ少なかったのを覚えている。

中学生の時は1000円、高校生の時は携帯代込みで6000円とかだった。当時は格安SIMなんてものはなくガラケーでパケホーダイ必須の時代だったから携帯代はめちゃくちゃ高かった。

LINEで無料電話なんてのも無かったのでちょっと電話をしようものなら、6000円をオーバーするので超過した分だけ逆に親にお金を払っていた。自由に使えるお金なんて基本的になかったのだ。

こんな感じでそもそも論として、明らかに僕だけ金銭的に不公平な扱いを受けてきているのである。

そのことを父親は認知していないのか、家にお金を入れるなら奨学金を返すために貯金しろと恩着せがましく言ってくるのである。

せめて、

「お前だけお金に関して不公平な思いをさせたから、これくらいは負担したるわ」

くらいは言ってほしかった。

もう一度言うが、奨学金を負担してくれることは本当にありがたいことだ。だけれど、僕はそこにある不公平さに理不尽をどうしても感じてしまう。

そして今、実質親のスネをかじって生きていることになっている。父親に対してこんなネガティブな思いを抱え込みながら、生活固定費がほとんどいらないのは父親のおかげという状況に、自分自身への不甲斐なさと憤りを覚える。

そして、最近は社会との接点が減ってきて誰かに必要とされる経験も少なく、本当に生きている価値があるのだろうかと感じてしまう。父、弟、祖母から見ればただの厄介者で近所の目もあるし僕は腫れ物なんじゃないか。

最近、何か満たされないのはこのせいなのかなと思ったりもする。

うつ病になって引きこもってしまったのは僕が悪いのだろうか。他人が怖くとうまくコミュニケーションが取れないのは僕が悪いのだろうか。会社に勤められないのは僕が悪いのだろうか。

橋本府知事が言うように「日本は原則、自己責任の社会」だから、結局は僕が悪いのだろう。

本当に悔しい。

反骨精神も心を患った時に消えてしまったので、何か頑張れる気力もない。苦労して何かスキルを身につけようという気力もわかない。しんどい思いにもう耐えられない。

僕はただ心の平穏を保ってのんびりと過ごしたいだけだ。

その日が来るのはいったいいつになるのだろう。

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