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関係に「恋愛」と名前を付ける

人間関係に名前を付ける場合、どんな名前を付けるべきか。
種類としては友愛、隣人愛、恋愛、家族愛などがあるが、当初私は自然と名前が付くものだと信じていた。

ただ年齢を重ねるだけでは自然に名前が付くことはなく、「恋愛」の際しばしば迷子になった。

相手への尊敬や心酔に名前が付けられず、自分のセクシュアリティを疑ったこともあった。他人に委ねると、自分の感情とのギャップが生まれ蛙化現象も起きた。相手に好意を寄せられれば、自分もそうだと勘違いして、結果相手から舐められるような態度をとられたこともあった。

自由恋愛をあきらめ結婚相談所にでも入ろうかと思い始めたときに、今のパートナーと付き合うことになった。パートナーと付き合うことで、自分から関係に名前を付けること、恋愛を通した関係継続に必要なことを考えるようになった。

では、何が必要なのか。


1.自他の境界を言語化する

相手との関係に名前が付けられないときに圧倒的に足りていなかったのは、自分への理解だ。例えば自分は何が好きで、何が許せて、何を尊敬するのか。

これができていないときに起こりそうなことは、以下のようなイメージ。

自他の境界が曖昧なとき、相手のことを自分事として捉えすぎてしまう。おせっかいになってしまったり、些細なことが許せなくなってしまう。

関係に「恋愛」と名前を付けるとき、相手がいて自分がいることを理解しないと、付き合ったときにギャップが生じる。(アイドルが好きでも、付き合ってみたら違うみたいな)

相手という存在を盲目的に捉えると、良いところにばかり目が向いて、減点方式で相手を見てしまう。

一度言語化することで、自他を客観的に把握する作業は「恋愛」を始めて良い相手か、立ち止まって考えさせてもくれる効果もあると思う。

2.価値観を共有し合う

自分と相手が分かって、求めることが分かってきたら、相手と価値観を話す時間が必要だ。簡単に言うと「私はあなたのことを○○な関係の人と思っています」と名前を付けに行く作業。

察してもらおう、関係に名前を付けてもらおうとするとやはりトラブルが起きそう。

相手に委ねれば、都合のいい相手として扱われる危険性もある。なんで察してくれないのと言えば、恋愛というより駄々っ子と親のような関係に近く、無償の愛がない他人同士では愛想をつかされてしまう。

3.愛する努力を無理ない範囲でやる

関係に名前を付けたら、関係継続が重要と思う。
相手を愛する努力としては、自分が尊敬できる面が見える状況を自分から作りにいくのは面白いと思う。

例えば自分が努力のできる人が好きだとする。その場合、最近相手が興味を持っていること、仕事の取組みなどを何気なく聞いてみる。デートスポットを相手の趣味や得意分野に関連付けてみる。結果、惚れ直す(はず)。

さいごに

巷では結婚の決め手として、相手に嫌なところがなかったことを挙げる人がいる。

自己理解と価値観の共有が深まっていくとその条件は満たせそうだと思う。嫌なところもすり合わせたり、厳しければ別の関係性として名前を付けるのも良いかもしれない。

何はともあれ、恋愛下手で苦しんだ自分が2年も「恋愛」を継続できたのは上記をパートナーと繰り返し行ったからだと思う。(付き合い始めは1や2を恐れていたせいか、パートナーにはだいぶ迷惑をかけたが…)

関係継続に向け、今後も精進していきたいと思う。

おまけ

p.s.恋愛に苦しんだ時に特に参考にしたコンテンツを共有する。誰かの役に立ったら嬉しい。

書籍(自己理解を深める)

HP(ジェンダーを知ることで自他理解が深まる)

YouTube(恋愛、結婚についてプロの意見がわかる)



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