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#9 北欧のしあわせの基礎体力は、 ケーキのスポンジにあり!

毎年3月20日の「世界幸福デー」に発表される世界幸福度ランキングでは、今年もフィンランド🇫🇮が1位でした。そして毎年聞かれるのが、「フィンランド人にとっての幸せは、日本人にとっての幸せとは違うのでは?」という声。この問いに答えるには、両国の文化をよく理解している方の協力が不可欠です。今日はフィンランドよりゲストをお迎えして、それを実現します!
 実際に対話した記録を記事として投稿、導入部分はメンバーとゲストによるトークでお届けします。再生ボタンを押して放送をお聴きいただけると光栄です✨


〜 以下の記事は、上の stand.fm 放送の続きです 〜

しあわせ探求庁、 はじめてのゲスト紹介


「しあわせ探求庁」最初のゲストは、東京都出身で収録当時はフィンランド在住の小久保茉央まおさんです。幸福度調査で7年連続首位に輝いたフィンランドのしあわせの秘密はどこにあるのか、しあわせに対する価値観は日本とどう違うのか、そしてその違いはどこから来るのか……茉央さんのフィンランド留学レポートもぜひご覧ください

「がまん」としあわせの関係


すでにいくつかキーワードが出てきたように思いますが、茉央さんが「日本とフィンランドの幸福感の違い」と聞いて、まず最初に思い浮かぶことは何ですか?私も幸福度第2位のデンマークに一年間暮らしていたので、共通点が見出せるかもしれません。

私は日本に生まれ育って、高校時代と大学時代に二度フィンランド留学を経験して、まず最初に思うのは幸福感がどんな時にやってくるかの違いです。日本では、「がまんした後の達成感」「ストレスからの開放感」が幸せの大きな要素になっている気がします。
 日本にいるとあまりにも当然に考えられてしまいがちですが、何かを「頑張っている人が偉い」という価値観がまずあって、「頑張った後の喜び」が幸せという感覚です。一方、二度のフィンランド滞在で気づいた「フィンランド人にとっての幸せ」は、特に頑張った後に得られるものではないということです。普通に「今日は天気がいいね」ということで幸せを感じていたりします。

大学などでの飲み会やパーティーでお酒を飲む目的も、少し違っている気がしますね。ドイツでもオランダでも、みんな本当にゆっくりお酒を飲みますね。乾杯してビールをぐびぐび飲んで、「ああ、たまらない!」みたいな感じがないんですよね。日本ではどうしても、ストレス発散のために飲んでいるという感覚がありますが、ヨーロッパではあまりそういう感覚はないですね。

パーティー文化は日本以上にあると思いますが、お酒の位置付けがあくまで「打ち解けるため」になっている気がします。フィンランド人はシャイな人が多いので、お酒を飲みながら距離を縮めるという感覚が強くて、日本での飲み方とはやはり違う気がします。
 日常的に、「どこまでやったら休んでいいか」を自分で決める文化なので、いわゆる「頑張りすぎる」状態になることがないようにも思います。日本にいる時はどうしても「もう休んでいいよ」って人に決めて欲しいと思う自分がいました。

自己の外にある行動の動機


私が留学していた、デンマークのフォルケホイスコーレでも、面白い出来事がありました。フォルケホイスコーレでは授業が午後2時半位には終わってしまって、全寮制なので帰宅するための時間もなく、そこからはすべて自由時間なのですが、かつて日本人の学生から「何をしていいか分からないから、宿題を出して欲しい」という要望が出たそうです。
 ゆったりした時間をぼんっとたっぷり渡されても、日本文化でそういうものの扱いに慣れていないので、どう時間を使っていいか、分からない人が多かったということですね。

起きている時間には目一杯何かをしていなければならない、何か活動したことが成果で、評価される対象だというような強迫観念があったのだと思います。思えば、高校入試が終わっても常に中間考査、期末考査があり、その次は大学入試、大学に入っても「就活のためには〇〇はしておいた方がいいよ」と、次々と「すべきこと」がやってきて、自分ですることを自分で決めるという経験そのものが日本人にはあまりないからかもしれません。何かをやる時の動機が、自分の内面からではなく外にあるということかもしれません。

その、「行動の動機が自己の外にある」というのは、日本文化の特徴かもしれませんね。日本人はそれだけたくさん活動しているということではありますが、教師時代の経験も考えると、それが必ずしも多くのものを産んでいるとは言えないような気がします。
 なんというか、学校の授業で、生徒も先生もあまり意味がないと分かっていることを「やることになっているから」という理由で時間を使って扱って、あまり役に立たなさそうな宿題を出して、それをこなすのにさらに時間を使っています。「本当に意味があることに限ろう」という発想がないのかもしれません。会社でも、あまり意味なく時間だけ消費する会議が多いというようなこともありますね。

あり余る自由時間をどう使う?


フィンランドでは、高校までの段階でも基本的に宿題はなく、学校の授業時間に集中して勉強します。放課後の部活もないので、終わったらすべて自分の時間です。その時間に何をするか、自分の興味関心と適性を見定める必要が早い段階からあるので、趣味というかライフワークというか、「自分の楽しい探し」をみんなが早い段階から始めている感じです。
 私も高校時代、趣味と呼べるものがないのがコンプレックスで、チアリーディングの部活を始めました。でも部活を始めると今度は部活だけになってしまって、結局「自分は何が本当に好きなのか」に目を向けることができませんでした。フィンランドに来て、改めて「自分の楽しい探し」を始めた感じです。

私も、昔から自己紹介を書く時に「趣味」の欄が苦手でした。趣味は自分本位でいいはずなのに、その内容まで「人に認めてもらえるか」を基準として考えてしまって、結局は自分が「何を好きで、楽しいと感じるか」ではなくなってしまっていました。透さんは、結構多趣味ですよね、音楽とか?

趣味に関しては、一つ嫌な思い出があります。教師時代に、フルートを始めました。週に一度レッスンに通っていたのですが、楽器は通勤カバンには入らないので、朝出勤する時、カバンとは別に楽器を持っていました。
 本来、仕事が終わった後の時間は自由なはずですが、自分が教えている教科に関係のないことをしていると、「その時間は、教材研究や指導法の研究に使う方がいいのでは」という雰囲気がありました。結局、他の先生の目を避けるためにフルートがすっぽり入る大きな書類カバンを買って、楽器を隠すようにして通勤するようにしました。学校は本来、多様な価値観を教える場だと思っていたので、大いなるモヤモヤでした……

根本的な違いはどこから


趣味を人生の彩りと考えるならば、思い出すのが日常生活を支えている公共施設の違いです。フィンランドでは、学校や役所、図書館などの公共施設にお金がかかっていてデザインも素敵で、そういった施設を運営している政府に対して「何かあれば助けてもらえる」という安心感があります。いろいろ事情は違うのでしょうが、日本の役所を見てそういう気持ちになったことはありません。何かが根本的に違っているのだと思います。ヘルシンキ市民の誇りとも言われる市民図書館 Oodi を紹介します。

日本の公共施設は基本的に競争入札制度で決めるので、構造的に素敵なものはできないようになっているのだと思います。公共施設にお金をかけるなら、その分は福祉や医療補助に回そう、という発想ですね。実際、「素敵な図書館を建てるから、税金が上がりますよ」というと、図書館を選ぶ人は少ないような気がします。労働時間が長いため、完成した素敵な図書館を使う時間を取れる人が限られている、という問題もありそうです。

日本では、公共施設のデザインや使い勝手が「生活に必要不可欠なもの」という認識がないのでしょうね。デンマークは日本よりもずっとフィンランドに近かったように思いますが、透さんが前にいたドイツはどうでしたか?ヨーロッパ圏内でも違いってあるものなのでしょうか?

ドイツの公共施設は、図書館は例外として、役所などは日本に近いと思います。大学の事務の方と話したことがあるのは、国の人口がある程度以上の規模になると、移民問題や生活保護など、不可避的に発生する出費が膨らんでいって、文化的な要素に使える予算が限られてくると。
 「デジタル・AI・デザイン」の3つが進んでいるのは、フィンランド、デンマーク、オランダといった「人口の少ない国」だとその人が話していたのが印象的でした。例えば、今住んでいるオランダは人口が約1,700万人なので、約3,400万人いる東京首都圏の半分の人口しかいません。街のゴミ回収ステーションの鍵が市民に配布されたICカードで開き、住民登録情報の変更はスマホアプリでできるなど、徹底的なデジタル化が進んでいます。

人口という意味では、フィンランドもウクライナをはじめとする他国からの移民の方々を、都市を分散して受け入れるなどの工夫というか方策を取っているようです。それでも、移民受け入れに消極的な、どちらかというとネオナチ的な政党も台頭してきていて、予断を許さない状況ではありますね。

ハレのしあわせ、 ケのしあわせ


話は政治から少し変わりますが、デンマークでは学校が終わった後に「森に散歩に行く」ことが立派に毎日の「すること」になっていて、多くの人がそういった時間を大切にしていました。これは以前しあわせ探求庁の記事でも取り上げた、「ヨーロッパ人は土に近いところに行きたがる」と関係あると思いますが、自然と幸せの関係については、どう思いますか?

それについては、面白い話があるんですよ。フィンランド人の間では、「初めてのデートでは森に行く」という習慣があるそうです。森に行っておけば、途中で話が続かなくなっても、自然を楽しんでいればごまかせるから、だそうです。フィンランド人たちが集まって話しているのを聞いても、「〇〇の川では何の魚が獲れる」とか、そういう話を楽しそうにしています。生活が自然に根差している感じですね。こんな記事もありますよ。

いかにもフィンランドって感じですね。日本やアメリカだと、始めてのデートで森に行くなんて、「危ないからやめなさい」って言われそうですね。それに、森に行って話が続かなくなるのを、逆に気にしてしまいそうです。きっと、話が続かなくても、そこには沈黙ではなく、自然との交流があるという感覚なのでしょうね。

日本では「周囲に誰もいない森は危ない」という感覚ですが、フィンランド人は「周囲に誰もいないのが安心」という感覚です。私も最初は森に入っていくのがとても不安でしたが、今は何よりの喜びになりました。
 何というか、特別な何かのある、「ハレの日」に感じる幸せというよりも、なんでもない日常の、いわゆる「ケの日」に感じる幸せが占める比率が高いということかもしれません。

着物やドレスなどの「晴れ着」に対して、日常服を意味する「褻着けぎ」というような言葉を聞くことも最近増えましたが、当たり前に存在している何気ない日常に根差している幸せが大きいということですね。お金を使って買う必要も、発散する必要もないわけですね。

フィンランドと日本では、いい悪いということではなく、気持ちの波の上下の幅が全然違うように感じています。日本で暮らしていた頃は、頑張っている時、解放されている時の違いが大きくて、波が大きい感じ。フィンランドにいると、全体的に揺れ幅が小さく、ある意味毎日が単調な感じです。
 日本の文化の方が「メリハリがあっていい」と感じる人もいると思います。でも私は、フィンランドにいる今の自分の状態の方が「自分のことを好きでいられる」と感じているので、一年後に大学を卒業したら、まずはフィンランドで就職してみたいと思っています。

僕もあと四年間はオランダにいるので、茉央さんが就職で戻ってきたら、フィンランドに会いに行きますね。

北欧のしあわせの基礎体力は、ケーキのスポンジにあり!


今気づいたんですけど、その「ハレの日の幸せとケの日の幸せ」って、ケーキに例えるとうまく表現できる気がします。日本はクリスマスケーキで言うならば、表面のクリームやサンタクロースの飾りなどを幸せと捉えている感じです。対して、フィンランド人にとっての幸せは、ケーキのスポンジの部分ですね。
 基礎体力がしっかりしているので、個々人に何かしら不幸な材料があっても、「根本がしっかりしているから、やっぱり幸せだよ」っていう感覚になるような気がします。言い換えれば、幸せは当たり前なものとしてあるので、「フィンランドがまた幸福度世界一になりました」ってニュースが出ても、「ああ、そうなの」ってあまり興味を持たない人が多いのも納得です。イラストを描くのが好きなので、この話、ちょっとイラストにしてみますね。

日本と北欧の「しあわせのケーキモデル」〜 どの部分にしあわせを感じるか?
イラスト by 小久保茉央さん

いいですね、この考え方!日々学校や職場でいろいろと嫌なこともあるけど、「がんばった私に〇〇のご褒美!」「お気に入りのカフェで過ごす何気ないひとときが幸せ!」と、クリームや飾りの部分で幸せを感じる文化と、逆に日常生活にあたるケーキのスポンジ部分で幸せを感じていて、逆に人によってクリームや飾りはない場合もある、というフィンランド人の幸せ感はちょうど対極にあるのかもしれませんね。

以前に、ワークライフバランスについて対話した回でも取り上げた、「幸せや楽しみをお金で買う文化かどうか」と密接な関係にありそうですね。でも日本にいると、いきなり「森へ行って自然を感じろ」って言われても、森もないしそうすることができる日常生活でもないし……私は、新しく引っ越してきた東京の街にお気に入りのカフェや公園を見つけて、休みの日にそこに通うような時間も大切にしたいです。サンタクロースの飾りも、クリスマスケーキには欲しいですよね🎄

私も、自分が将来どちらの文化で長く暮らしたいのか、まだ分かりません。今は、6月に日本に戻って来年大学を卒業したら、日本文化の価値観に完全に戻ってしまう前にフィンランドに戻ってきて、自分がこの国で感じた幸せの可能性を試してみたいというか、自分の人生の中で表現してみたいという思いです。まずはやってみないと、分からないので。

そうですね、実際には日本と北欧以外にも、中東や南米の幸せ観も全然違っているかもしれません。幸せの探求を止めることなく、進んでいきたいですね。

茉央さん、今日は本当にありがとうございました。フィンランド、オランダ、日本の三箇所を繋いでの対話、本当に楽しかったです。年末には三人とも日本に戻っているので、一度揃ってお会いできるといいですね。これから来ていただくゲストの方や、活動に興味を持ってくださる方々で集まれると素敵ですね!楽しみにしています。

ありがとうございました。私も、今日はフィンランドと日本の幸せ観について長らくモヤモヤしていたことを言語化できて有意義な機会でした。残り少なくなったフィンランドでの時間を大切にしたいと思います。


「 今ここで、しあわせを繋ぐ意味がある」
〜 しあわせ探求庁でした✨
 また来週水曜日にお会いしましょう!
(2024年6月12日)

しあわせ探求庁|Shiawase Agency
  
日本支部:成江 美織
  (miori @しあわせの探究
オランダ支部:佐々木 透
  (ささきとおる🇳🇱50歳からの海外博士挑戦
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