自分の幸せはなぜ大事なのか:自分が幸せでなかったら、人に分けられません!
こんにちは。天道です。
今回は、自分の幸せはなぜ大事なのかのお話です。
「幸せになりたい」が人類共通の望み・願い
幸せになりたい。
結局それが、人類共通の望みであり願いだと思います。
なにかを望み、願う。
あるいは、ある目標を立て、その実現のために励む。
何を望むのか、目標が何なのかの違いはあっても、
その本質が「幸せになりたい」であることに変わりはないと思います。
「お金が欲しい」もそうです。
「素敵なパートナーが欲しい」もそうです。
人が「豊かさ」を求めるのも、幸せになりたいからに他なりません。
本質的に、不幸になりたい人は誰もいないはずなのです。
自傷行為などに及ぶ人もいますが、こうした方も、実は幸せになりたいはずだと私は思います。
それが果たされないがゆえの、「幸せになりたい」の裏返しとしての自傷行為ではないでしょうか。
自分の幸せは悪いことなのか?
ところで、「自分の幸せ」といった場合、そこに後ろめたさを感じる方もおられるかもしれません。
特に日本人は、自分の身を犠牲にしての「滅私奉公」的な倫理観が染みついている傾向があるように感じます。
「自分の幸せを求める」=「エゴ」のような感覚でしょうか。
これは、たとえば「自分を愛する」も同じくかもしれないですね。
「自分を愛する」に、どこかエゴ臭を感じてしまう。
やっていいことなのかと迷ってしまう。
そういうとこってありませんか?
これは、日本人の心がそれだけ「一人だけの幸せ」よりも「みんなの幸せ」を良しとする表れであり美質であるともいえると思います。
つまりは、「公(おおやけ)」の心を持っている。
それはそれで素晴らしいのだと思います。
ただ、それが自己否定に繋がっては元も子もありません。
そもそも、「自分の幸せ」を求めることって、悪いことなんでしょうか?
それはエゴなのでしょうか?
次は、私に起きたわかりやすい事例です。
私に起きた「氣枯れ(けがれ)」体験
私は気功整体(エナジーヒーリング)の施術者として、「氣」を使って施術をおこなってきました。
気功を習ったわけでなく、ある整体療法を修得するうちに、勝手に氣が出てきたのですが。
自分の外から氣(エネルギー)を取り込むことは、感覚的にわかっていました。
ですが、施術に熱中するあまりに、いつしか自分の中の氣ばかりを使うようになっていったのです。
自分が施術する以上、「やったけれど良くならなかった」にはしない。
絶対に良くなってもらう。
そういう信念もあってのことでした。
ところが、何年も経つうちに、私自身の氣が枯れていったのです。
あんなに自分の手に感じた氣を、なんとも心もとなく、弱々しくしか感じられなくなったとき、正直「これはヤバい」と思いました。
最終的には入院が必要なほどの重い鬱病にもなってしまいました。
「氣枯れ(けがれ)」の状態に陥ってしまったのです。
これは言ってみれば、「フォースの暗黒面」(笑)に堕ちたようなものです。
そうした中で、偶然出会った同業者で、やはりエネルギー療法を実践できる人の言葉が改めて自分に刺さったのです。
まず、自分を満たす。
ああ、そうだった、と、その時に思い出したわけです。
まずは自分にチャージしないと、分けられない。
それを思い出してからというもの、私の氣はみるみる回復していきました。
鬱状態からも脱しました。
そして、それ以前以上の成果がクライアントさんに現れるようになっていったのです。
まず、自分を満たす。
そのことの大切さを、身をもって知った経験でした。
自分が幸せじゃないと、幸せを分けられない
その体験もあって、私は改めて学びました。
自分が満たされていないと、人に分けられないんだ、と。
自分が幸せじゃないと、人に幸せを分けられないんだ、と。
だから、自分が幸せになることは、少しも悪いことじゃないんですね。
私がエネルギー療法の施術者として体験した、自分をまず満たすことでクライアントさんがより良くなるという事実がすべてを物語っていると思います。
私が自分をまず満たすことが、相手のメリットにちゃんとなっているわけですから。
私は政治や経済の専門家ではないのでわかりませんが、日本が今のように衰退してしまったのには、いわゆる「滅私奉公」精神が災いした面もあるのではないかと思っています。
滅私奉公は、一面尊いかもしれません。
でも、それで良かれと思っても、結局は誰も豊かに、幸せにできないのではないかと思っています。
自分も人も幸せに。
これがベストではないですか?
もともとが「ワンネス」だとしたら
ちなみに私にとっての幸せは、
自分自身であること
愛であること
他を益すること
です。
これが最も宇宙(天)との繋がりが良くなるのも、エネルギー療法の実践者として実感します。
それは、もともとすべての存在が「ワンネス」だからだと私は感じます。
ワンネスの世界には、「自他」の区別がないのです。
もともとがワンネスだとしたら、幸せは「分ける」のが(宇宙の法則として)前提になっているのではないかと私は考えるのです。
それが「共生」であり「調和」なのではないでしょうか。
共生と調和で成り立っている「自然」は、その最たる例ではないかと思います。
おもしろいことに、幸せは、分けると増えるのです。
そして、悲しみは、分けると減ります。
これも宇宙の法則なのだと思います。
なので、幸せや豊かさを分けるほどに、この世は豊かさを増していくのだと私は思います。
実現するなら、そういう世界を実現したくないですか?
そのためには、自分が幸せにならないと、じゃないでしょうか?
自分が幸せになることは良いことですが、私利私欲だけのエゴでそれを望むとしたら、その限りではないでしょう。
ましてや他人を陥れたりは、自分が不幸になるだけです。
人の不幸の上に自分の幸せは築けません。
それも宇宙の法則(因果応報)といえるでしょう。
次の記事も参考になれば幸いです。
まとめ
形は様々でも、誰しもが幸せになりたい
「まず、自分を満たす」の大切さ
自分が幸せじゃないと、人に幸せを分けられない
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