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目的・目標・手段は違います!:「目標・手段の目的化」を避ける

こんにちは。天道です。
今回は、「目的」「目標」「手段」をごっちゃにしないように!というお話です。

目的・目標・手段

  • 目的:何のためにそれをするのか

  • 目標:目的達成のために目指すポイント

  • 手段:目的・目標を達成するための方法・ツール

私はそう理解しています。

山登りで言えば、目標が登頂、ルートが手段、山に登る目的は「健康のため」「自然と親しむため」「達成感を得るため」など、様々でしょうか。

ところが、これがごっちゃになっている例を多く見受ける気がします。

特に、目標や手段が「目的」になってしまうと、本末転倒になってしまう場合があります。

次に例を見てみましょう。

英語学習の例:目標の目的化

たとえば、英語学習です。

英語を学習する目的とは何でしょうか?
もちろん、その人それぞれの目的があって良いのですが。

私の場合で言えば、月並みですが、世界の人たちとコミュニケートすることです。

これが私の場合、英語をやる「目的」です。
実際に、そのように英語を仕事で「使って」います。

一方で、その目的達成のための学習目標として、たとえばTOEFLやTOEIC、英検などの検定試験を受けて腕試しをする、ということがあります。

これはこれで何ら問題ないと思いますし、私自身もひところはその種の検定試験を受けてもきました。

ただ、ここで、目標であるはずの検定試験が「目的」になってしまうと、話が変わってきてしまいます。

私はこれを「目標の目的化」と言っています。

検定試験は高得点なのに、英語がまるで使えない、といった事実があるとするならば、それは目標が目的化した例として考えられると思います。

断っておきますが、検定試験で高得点を得ることがその人の「目的」であるのならば、何ら問題はありません。

自分にとっての「目的」は何なのかをよく鑑み、目標が目的化しないことが、目的達成のためには大事、というお話です。

空手の例:手段の目的化

上の英語の例では、検定試験は「目標」でもあるとともに「手段」でもあります。

空手でも同じことが言えます。
たとえば空手には「型」の稽古があります。

型には型の意義があるのですが、専門的になりすぎるのでここでは述べません。
型は型で存在意義はあるのですが、空手の「目的」は何かということです。

私個人は、空手は自分と自分の大切な人を守るためのもの、というのが第一義です。

もっと言えば言えますが、これも煩雑になるのでここでは割愛します。

この場合、先に述べた第一義は、「型」を修練しただけで果たせるだろうか?なのです。

「たくさんの型を知っていること」が目的になってしまったら、どうでしょうか?

これも、もちろん「型をたくさん知ること」が最初からその人の目的であるならば、何ら問題はないのです。

しかし、もし私のように自分や大切な人を守ることが目的なのだとしたら、目的が達成できないことにもなりませんか?というお話です。

この場合、型はあくまでも「手段」という考え方もできます。

なので、「型をたくさん知ること=強さ」と勘違いしている人がいたとしたら、それは「手段の目的化」といえないでしょうか?

整体の例

上にあげた二つの例は、「目標の目的化」や「手段の目的化」で、いずれも本来の本質的な「目的」にたどり着けない(可能性がある)例です。

同じことは、何にでも言えます。
たとえば「健康になる」ことにおいてもそうです。

私は気功整体の施術者でもありますが、クライアントさんでたまに見かけるのが「健康マニア」的な方々です。

実は、こうした人ほど健康じゃないのを実感することが少なくないのです。

「いろいろな方法を試す」こと(手段)が目的化してしまって、本来の「健康になる」という目的が果たせない方を実際に見ます。

これは施術者も同じで、様々な整体技法を学ぶことが「目的」になってしまっていると思しき人が少なくないと感じます。

知識やテクニックはよく知っているけど、実際の施術でまったく成果を上げられないとしたら、それは「手段の目的化」ではないでしょうか。

整体の本来の「目的」を考えれば、それは本末転倒ではないでしょうか。

その他の例

これは、たとえばスピリチュアルも同じだと思います。

パワーストーンを集め、パワースポットに行くことが「目的」になっている場合はないでしょうか?

だとしたら、それで本来の「目的」が果たせるものでしょうか?

先ほども述べましたが、パワーストーンやパワースポットが最初から「目的」であるならば、それは一向に構わないのです。

それらを否定しているわけではまったくありません。

あなたにとっての「目的」は何なのかを考えないと、「目標」や「手段」に振り回されて、果たしてどれだけその目的が達せられるだろう?というお話です。

数字が目的になっていた

私の場合、たとえば仕事の「数字」が目的化していた頃がありました。
その日の売り上げなどの数字です。

ですが、「数字」が目的化していた頃は、数字も伸びませんでした。

伸び始めたのは、本来の「目的」を思い出してからです。
その仕事がなぜやりたいのか、なぜ選んだのか。

自分のできることで、自分も人も幸せにしたかったんじゃないのか?
ということをです。

仕事の上で「数字」が大事じゃないと言っているのではありません。
大事だとしたら、なぜ大事なのか、というお話です。

それが本来の「目的」なはずだからです。

私の場合ですが、「自分も人も幸せにしたくてこの仕事をやっている」んだとしたらです。

「そのためにはどうしたらいいのか」という発想になっていきます。
これは、「数字がヤバい。どうしよう」という発想とは大きく違います。

たとえば私の気功整体が予約で埋まり、回数券が毎回売れるようになっていったのも、こうした本来の「目的」に沿った発想をした結果といえると思います。

これは、先に述べた英語でも空手でも、すべて同じことが言えると思います。

チェックポイント

目標や手段が目的化していないかどうかは、目安として以下でチェックしてみてください。

  • あなたが今やっていることで、どれだけ自分の目的が満たされているか。

  • あなたが今やっていることで、どれだけ自分は幸せになれたか・人を幸せにできたか

  • あなたが今やっていることで、お金回りや人間関係がよくなったか

もしこれらが思わしくない場合、目標や手段が目的化していないか考えてみてください。

まとめ

  • 目的・目標・手段はきちんと区別しましょう

  • 目標や手段が目的化してそれに振り回されるのは、本末転倒になってしまいます


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