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言葉にできない、そんな夜。#27[5/30放送分]

前回放送分はこちら↓

当記事ではEテレの番組「言葉にできない、そんな夜。」について書いていきたい。
この番組では、上手く言語化できない瞬間をどう言い表すか模索していくが、それに倣って私も各テーマの言語化を試みるものである。

なお、番組の詳細については公式ホームページをご覧いただきたい。



1. 人と比べて焦りを感じるとき

ふらふらと街中を歩いていると、忙しなく働いている社会人たちが否応なしに目に入る。
あの人たちは役割を全うしている。それに比べて私は。
社会の歯車にさえなれない事実を突きつけられたような気がして、次第に胸からどろりと溢れた黒いスライム状の何かに全身が包まれた。

たちばな朱音

日中に散歩や買い物をしていて、働いている人たちを目にしたときの感情をリアルに書き起こしてみた。

番組内で紹介された文では、ゲストの松居大悟さんの文にぐさりと刺された。

結局そうやって酔っているんだろ。
「足りない」「できない」「負けている」
穴が空くほど人よりへこんでいる部分を探して、
もう少し膨らます部分がある自分を見つけて
うっとりして、それを誰かに指摘されるまで、
ずっと助走をしている。

松居大悟 番組書き下ろし

初っぱなの「結局そうやって酔っているんだろ」の一文でバッサリ切られ、それでもそんな焦っている自分をどこか肯定してくれているような、ちょっと不思議な文章だった。


2. 気になる人との焼き肉。タンと上タン、どっちを頼むか迷うとき

見栄と懐の天秤

たちばな朱音

上タンにしてかっこつけたい見栄と、懐具合を気にする自分とを天秤にかけている感じをかけてみた。

ゲストの文では、松居大悟さんの「タンか上タンかで迷うくらい大切な人なんだな」というのが温かくて好きだった。
正直どっちでもいいんだろうけど、それでも見栄を張りたいのが恋心なんだなあと思う。


3. カッコつけすぎて恥ずかしいとき

あああ、やってしまった……!
スマホを布団にぶん投げて頭を抱える。
何度もリフレインする、らしくない私の発言の数々。
内心笑われていたんじゃないか。馬鹿にされたかも。
そんなことばかりをぐるぐるぐるぐる考える。
もう過ぎてしまったことなんだから忘れよう、と脳内列車に恥ずかしい記憶を乗せて見送ってみるけれど、見送ったはずの記憶はすぐに折り返し運転して、手を振りながらこちらに戻ってくるのだった。

たちばな朱音

過ぎたことは考えるな、と思っても何度も何度も考えてしまう気持ちを描写してみた。

紹介された中では、アヴちゃんの文章が面白かった。

あ゛ーーー転けた滑った恥ずかしい!
やり過ぎた!言わなきゃよかった!
やらなきゃ、良かった?いや、でもさ!でも!
意識の外から眺めてるわたしが、
絶賛声も無く叫ぶ心を突ついて笑ってる。
「これ引き摺るねー?」
いや、お前が引き摺れや!

アヴちゃん 番組書き下ろし

「意識の外から眺めてるわたし」=客観性が自分をおちょくっているというのがユニークだった。


この番組は言葉にしづらい場面を絶妙にチョイスしてくれるので、見応えがある。
明日の放送からはまたゲストが変わるようなので、楽しみにしたいと思う。

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