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言葉にできない、そんな夜。#22[4/25放送分]

前回に引き続き、「言葉にできない、そんな夜。」というEテレの番組について書いていこうと思う。

なお、番組の詳細については下記からご覧いただきたい。

この番組では、上手く言葉にできない瞬間に当てはまる言葉を模索していく。それに倣って、私も番組内で話題になったシーンを自分なりの言葉で描写してみたいと思う。



1. おいしい!以上のおいしさの表現

トーストの上に載せられた、カリッカリに揚げられたカツレツ。
サクッと中央にナイフを入れると、そこからバターがじゅわっと蕩け出た。
小さく切って口の中に入れると、ジューシーな鶏胸肉とサクサクの衣がバターにじゅんわりと絡め取られ、重厚なハーモニーになって口腔内にやってくる。
下に敷かれたトーストには溢れ出た肉汁とバターが染み込んでいて、これがまた美味だ。
バターは、いつだって幸福の味がする。たとえどんなに辛く悲しくても、バターの前では圧倒的な喜びにひれ伏すことしかできなくなる。

たちばな朱音

これは以前旅先で食べたチキンキエフ(キエフ風カツレツ)についてなのだが、正直に言って食レポは私の不得意分野だ。これに関してだけは夫の方がよほど上手いと断言できる。
きっとそこまで舌が繊細でないことが理由なんだと思う。

前々から思っていたが、文章で描かれる食事は実際に食べるよりもよほど美味しそうに思えるのはなぜなのだろうか。
今回紹介された文章も食事に関する素敵なものが多く、見ているだけでお腹が空いてきた。

その中でも、バターつながりで柚木麻子先生の文章を紹介したい。

「美味しいバターを食べると、
 私、なにかこう、落ちる感じがするの」
「落ちる?」
「そう。ふわりと、
 舞い上がるのではなく、落ちる。
 エレベーターですっと
 一階下に落ちる感じ。
 舌先から身体が深く沈んでいくの」

柚木麻子「Butter」

この何者にも抗えない感じがすごく共感できるし、特に「舌先から身体が深く沈む」という表現が素敵だなと思う。


2. すごく楽しそうに話しかけられたのに、聞き取れなかったとき

音の迷路に迷い込んでしまった
出口を早く探さなければ

たちばな朱音

このテーマが出たとき、この悩みは普遍的だったのか!と嬉しくなった。
カクテルパーティー効果とやらを起こしてくれる機関がぶっ壊れてるのか、私は「音が発せられていることはわかるけど、音の種類が認識できない」という状況に度々陥るので、このテーマはみんなどう感じているのだろう、という別ベクトルでの楽しみ方をしていた。

特にシンガーソングライターの吉澤嘉代子さんの表現には、私も覚えがある。

どのくらい おもしろかったことにしよう
わたしは笑い顔を慎重に調整する

吉澤嘉代子 番組書き下ろし

聞き逃してしまったとき、頭をフル回転して正しいリアクションを探りに行っている。それが気軽に「ごめん、聞こえなかった」と言えない相手なら尚更。
大抵、私は曖昧な笑顔で「そうだねえ」と返している。それもあってより共感できた表現だった。


3. 美しい夕焼けを見たとき

それは、世界の全てを奪いに来たような、鮮やかな橙色だった。
夕日が宵闇を引き連れて、空を塗り替えにやってきた。
宵闇を幾重にも薄く塗り重ねた薄紫色の空と夕日のグラデーションがあまりにも美しかったから、私は無性に心細くなり、独り泣き出したくなった。

たちばな朱音

これは実際に撮った夕焼け写真を見ながら書いてみた。

大半は夕焼けの美しさにスポットを当てている文章が紹介された中で、太宰治の表現は独特だった。

「その時、どうだったね。
 やっぱり、こんなに大きかったかね。
 こんな工合に、ぶるぶる煮えたぎって、
 血のような感じがあったかね。」
「いいえ」(中略)
「朝日は、やっぱり偉いんだね。新鮮なんだね。
 夕日は、どうも、少しなまぐさいね。
 疲れた魚みたいな匂いがあるね。」

太宰治「みみずく通信」

これは、太宰が生徒と夕日を見ながら会話するシーンが綴られており、富士山から朝日を見たことがあると言った生徒に対しての会話である。

夕日に対するノスタルジーを「なまぐさい」と表現するひねくれ度合いが好きだ。


次からはリアルタイムでこの番組を追っていきたいと思う。
次回は私の好きなハチクロにも触れるようなので、今から楽しみだ。

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