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【不要なものを削ぎ落とす】

"A calm water is like a still soul."
穏やかな水は、平穏な魂のようだ。

この言葉が凄く好きで、できるだけ自分の心も凪でありたい…と常々思っているのにも関わらず、予期せぬ出来事が起こったり、予期していても想像以上のダメージを受けてしまったり、心がざわざわと波立ってしまうことが多いのも現実。

そして、ここ数日の私の心は凪どころかさざ波も通り越して荒波。冬の日本海の波のようにザバーンザバーンと荒れていて「穏やか」「平穏」とは程遠い所にいます。

このように心が荒ぶってしまう時、それは大抵"人との関わり"が上手くいかなくなった時。
自分自身と戦ったり向き合ったりする時、心の中は割と静かで穏やかなのに、対「人」となると急にざわざわと波が立ち始めます。

人付き合いということに関して、あまりにポンコツな私ですが、ご縁があって関わらせてもらっている人達に対してはできる限り誠実でありたいと思っています。
しかし、自分はしっかり想いを伝えたつもりでも、全く伝わっていないこともあるし、思ってもいない形で伝わって、思ってもいない形で返ってくることもあるのです。

残念ながらどんなに歩み寄ろうとしても、どうしても分かり合えないこともあります。
きれいごとだけでは生きていけない。
それを知りながら、実際そのような場面に直面すると、毎度受け入れるのに膨大な時間と労力と落ち込みを使ってしまう自分をどうにかしたい…。
現在もその落ち込みからの回復真っ只中。

これまでの私は、それでもなんとか関係を修復しようと違和感や蟠りをゴクリと飲み込んで、ヘラヘラと笑って丸く収めてきたように思います。
その方が波風立たず平穏だったから。
いつもいい顔して全員に好かれようなんて到底無理な話で、なんて傲慢な想いだったんだろうと今は感じています。

ここ数年で本当に沢山の出逢いがあり、そのご縁をどれも大切にしたいと思っていたのも紛れもなく本心です。
どれも大切にしたくて欲張って、いつの間にか抱えすぎて溢れてしまっていたのかもしれません。
きっと"ご縁タンク"みたいなものがあって、入れられる容量が決まっているんじゃないかな…
いつも溢れかえっていては、新しい素敵なご縁を受け入れられない。
「縁」に必要とか不要とかないのかもしれないけれど、もし自分の気持ちに正直でいられない縁があるのだとしたら、思い切って手放すこともとても大切なことなのだと思います。

自分の意志で"手放す”って凄く勇気のいることで、精一杯の勇気でそれをした後も、本当にこれで良かったのかな…と心がざわついてしまったり。
自然と離れていってくれた方が余程楽なのかもしれません。

でもどんなに痛くても、不要なものを自分で見極めてどんどん削ぎ落していくことが今の私にとって最も必要なことなのだと思うのです。
そうしないと本当に大切なことを見落としてしまいそうだから。


削ぎ落とそう不要なものを。
出逢いも別れも目まぐるしいこの世の中で、
フットワーク軽く、心も軽く、穏やかに日々を過ごしたい。

ここ数日心の中で滞っていた何かが、凄く時間がかかってしまったけれど、こうして書くことにより整理されて浄化されました。
明日からまた前に進んでいけそうです。
これからも自分の言葉で、自分の思っていることを正直に書いていきたいと思います。
最後までお読みくださり有難うございました。

追伸。
明確に削ぎ落さないといけないものがあるので、必死にトレーニングジムに通っております。笑


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