ほんとうの「学び」を、知った
私は友人や両親に、よく考える人だね、質問が多い子供だったよと言われる。そして私も、もっと疑問を持って生きていきたい、たくさんの知識を蓄え、経験を積み重ねたいと思ってた。
しかし令和哲学を学ぶ上で、疑問を持つ前に諦めていることの方がずっとずっと多くあったことに気が付いた。そして、本来疑問はその解析にクリエイティビティを発揮すること、経験は検証と楽しむ過程であることを知り、衝撃を受けた。
自分は何なのか? 幸せは何か? 何をやりたいか? 人間のあるべき姿は何か? こんな質問を誰しも持ったことはあるでしょう。
幼い子供なら、何で口から声が出てるの? 何で手の指は5本なの? 鼻ってなに? 何で目はここにあるの? 甘い、苦いと感じるのはなに? なぜ髪の長い人をママと呼び、声が低い人をパパと呼ぶの? こんな当たり前なことへの止まらない質問に、まずは答えがないことを学んでいく。
そして大きくなっていけば、当たり前のように1+1=2を学び、たくさんの方程式を暗記していく。しかし、
1/3=0.3333...
左右に×3すると
1=0.9999...
これが私たちが学んできた学問なのだと21世紀の悟りを得たノ・ジェスは明確に示してくれた。1を定義できない未完全学問の中、学べば学ぶほどわからない、考えれば考えるほど混乱する。そして次第に考えることを諦めていく。この暗記教育の限界に、世界も気づきはじめている。しかし、この先どこへ向かうべきなのか、明確に示してくれた人はいなかった。
コロナパンデミックは、個人主義の限界を顕在化させ、自己を追求できるようになっても、科学技術が発達しても世界は一つになれず、「誰一人取り残さない」の言葉に、人々は諦めの気持ちでスタートさせている。そんな中、こんな状態が絶望的だと叫ぶことすらできなくなった人は肉体的な終わりを選択する。精神の問題は精神で解決しなければならないのに…
戦争や病気による死者は減っても、鬱や自殺による死者は増えていく。
苦しい中で幸せを探り、絶望だらけの中で希望を見つけ、一時的な答えで今をごまかしていく。本気な疑問を持つことを多くが諦めている。
しかし、これはこれまで間違った道を進んできたのではなく、次のステップに進む時がきたことを言いたい。これはつまり、これまでの未完全学問を一度すべて手放す必要があるということでもある。令和哲学を体系化した世界基軸教育はその道を示し、その先の学びを探求する楽しさを見せてくれている。
私は今、自分の人生に関係はないと思っていた数学、物理学、科学を創ってきたすべての学者たちと繋がり、「あなたと語りたい」という気持ちに満ち溢れている。
これからは学問を創る時代、多様性を生み出す時代。
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