Sherry

日中の狭間でアイデンティティの迷いと国際社会問題に直面し、世界一周しながらSDGsに取…

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日中の狭間でアイデンティティの迷いと国際社会問題に直面し、世界一周しながらSDGsに取り組むも「認識」が変わらなければ心と世界の平和は実現出来ないと気づきnTech勉強中。ゆる~くいきます。

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なぜ自分軸は見つからない?

1.何をして、どう生きたい? 最近はよく友人と「自分軸」について話す。年頃だからとでも言いたいけど、これは人生のどんな時においても付き纏って来る疑問のように感じる。しかも、人生を通して不動で持てる自分軸なんて、あり得るのだろうか? 何をして、どう生きていきたいかなんて、生きながら見つけていくもので、稀に生まれてすぐに自分の「使命」のようなものに出会う人もいれば、大抵は死ぬ直前になっても悔いが残るのが人生。そんな人生の始まった理由も、終わる理由も分からない中、私たちは生まれ

    • ほんとうの「学び」を、知った

      私は友人や両親に、よく考える人だね、質問が多い子供だったよと言われる。そして私も、もっと疑問を持って生きていきたい、たくさんの知識を蓄え、経験を積み重ねたいと思ってた。 しかし令和哲学を学ぶ上で、疑問を持つ前に諦めていることの方がずっとずっと多くあったことに気が付いた。そして、本来疑問はその解析にクリエイティビティを発揮すること、経験は検証と楽しむ過程であることを知り、衝撃を受けた。 自分は何なのか? 幸せは何か? 何をやりたいか? 人間のあるべき姿は何か? こんな質問を

      • 世界を回り、帰ってきたのは日本だった

        私は、「今の」日本は嫌いだ。なのに、私はここで根ざすことにした。今思えば、苦しみながらも、もがきながらも、まだ見ぬ「日本の魂」を見たかったのではないかと思う。 私は中国で生まれ、祖母が中国残留孤児であるため、12歳の時に家族と共に日本に移住してきた。思春期を迎える頃だったのも大きく、当時の様々な衝撃は心に刻むこととなった。 とてもはっきりと覚えているのが一つある。私は中国で歌とダンスにとても力を入れており、自分が住む町ではちょっとした有名人でした。そんな自分は一番自信があ

        • 国の狭間で生きて辿り着いた「自分」への答え

          私は、考えも、感情も、言葉も、行動もブレブレの人間。 だけど、何一つ自分で生み出しているものも、ない。 人生は「選択の連続」。そんな言葉があるように、生活は無意識のうちにもたくさん判断と決断をしている。そしてその基準は、家庭によって、地域によって、国によって、時代によって変わってくる。 私は1996年に中国で生まれ、12歳の時に家族と共に日本に移住してきた。分かりやすく言えばカルチャーショックだが、新しい環境に馴染むために、私は自分の判断をすべて否定し、周りに合わせてい

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          究極のシンプルからしか、多様性は見えない。

          はじめまして、日中ダブルのシェリーです^^ おわかりの通り、私は異なる国・文化という分かりやすい多様性の中で育ってきました。多様性とは言わば「違い」で、「みんな違ってみんないい」なんて言葉も良く聞くようになりました。しかし、なんて美しくて居心地の悪い言葉なんでしょう。 12歳で日本に来た私は、誰にもない「中国語を話せる」という違いに誇りを持つこともあれば、「みんなと違う教室で日本語の勉強をする」という違いを嫌いになることもありました。 違和感と葛藤を抱きながら、私は大学

          究極のシンプルからしか、多様性は見えない。

          生きるってなに?幸せってなに?なんて「ありきたりなこと」は言いたくないけれど

          大自然に囲まれたところで生活したい、自分の畑を持っていろんなものを育ててみたい、オーガニック・旬なものを堪能し、自然と調和が取れた生活がしたい、人は少ないけれどみんな親しく挨拶を交わし、手伝い合ったり、お互いの食べ物を分かち合ったりする生活を送ってみたい…  すごく都会で育ってきたわけではないけれど、そんな生活がしたいとずっと思ってきた。これが自分が幸せになる道で、魂が喜ぶことだと。 そして、もう一人の自分もいた。自然が好きだからこそ、環境問題に興味を持ち、次第にはそれが

          生きるってなに?幸せってなに?なんて「ありきたりなこと」は言いたくないけれど