適応障害、二度の離婚…「何者にもなれなかった」私が、パン屋のパートから起業家になるまで
こんにちは、ひのりほ(@hinoriho0807)です。
本日2023年3月9日、「株式会社Sherpa」を設立し、代表取締役CEOに就任しました。
約3年前未経験からライターとして独立した私自身の経験を活かし、Sherpa of Writers「ことばの伴走者」養成講座の運営を行ってきました。今回法人化を決意し、本日に至るまで準備を進めてきた私ですが、実はもともと「起業しよう!」と思っていたわけではありません。
そんな私がなぜ、起業という選択を決断したのか。
私の人生にとって間違いなく大きな節目の日となる本日、これまで歩んできた道を振り返りながら、起業への想いを残したいと思います。
少し長くなりますが、最後までお付き合いいただけたらとても嬉しいです。
「自分が大嫌いだった」退職、結婚、そして離婚
私は昔から、漠然とそんな想いを持っていました。新卒で選んだのは、教育・人材系企業での講師職——いわゆる、塾の先生です。
生徒に教える仕事はやりがいがあるし、同僚にも恵まれている。それなりに充実した会社員生活を送っていました。
でも……楽しかったはずの会社員生活も、そう長くは続きませんでした。
新人賞をとったり、上司や同僚から褒められたり。どれだけ周りから評価されても、「いや、まだ頑張れるはず」となかなか自分を認めてあげられない。何をしていても、どこにいても、どんな自分の姿にも満足できなかった。そうやって自分自身を追い込んでいるうち、心身のキャパシティをとっくに超えてしまっていたことにも気がつかなかったのです。
だんだん、身体に異変が出るようになりました。仕事に向かおうとすると、なぜか涙が出て、止まらなくなる。「これはおかしい」と思って、意を決して近くの心療内科へ行きました。
そこで告げられたのは、「適応障害」の診断。自分には無関係だとすら思っていた病名を前に、ただ立ち尽くすしかありませんでした。
そんな絶望の中にいる私を救ってくれたのは、当時付き合っていたパートナーの存在でした。
正直にいえば、「愛する人と結婚して、かわいい子供を産んで…」世の中で“幸せ”だと定義されている人生を、私自身が本当に望んでいるかは確信が持てなかった。それでも、これ以上会社員を続ける自信もなく、何か自慢できるようなスキルもない。結婚して家庭に入れば、きっと“幸せ”が手に入る。そう思い込んでいました。それまで勤めていた会社を逃げるように退職し、専業主婦の道を選びました。
今思えば、当時の私は自分の人生から逃げていたと思います。私はどんな人生を歩みたいのか、本当にこのままでいいのか——向き合うことから逃げていたんです。そしてまた、そんな自分が大嫌いでした。
幸せな新婚生活で女性として愛される喜びを感じながらも、どこか自分に自信が持てないままで、「何かしなくては」と漠然と焦りを感じる日々を過ごしていました。
そんな焦りからか、派遣会社に登録してみたり、パートに出てみたり。表向きは「少しでも家計の助けになれば」と言っていましたが、本音では「社会との繋がりがほしい」という切実な気持ちの方が強かったのだと思います。
そして……結婚から2年目。想像すらしていなかった、離婚を経験することになります。私が唯一持っていたはずの“幸せ”すらも、失ってしまったのです。
どうしよう。私には、スキルも何もない。しかも、離婚。これから一人で、どうやって生きていけばいいの……?喪失感と焦燥感から、ひとりぼっちで必死に足掻いてもがいて、それでも何一つうまくいかず、八方塞がり。
「いっそ、この世界から消えてしまいたい」とすら思っていました。
「ここで人生変えてやる」たった2ヶ月でライターとして独立
そんな中で、偶然広告で見かけて強烈に惹かれたのが、女性向けキャリアスクール「SHElikes(シーライクス)」でした。
離婚して間もない2020年3月、無料体験レッスンを思い切って予約。
「ここで人生変えてやる」
そんな大きな期待と決意を持って、藁をも掴むような思いで、その場で入会を決めました。金額的にも決して安くはない投資です。当時の私にとって、大きな決断でした。
それまでの私は、「仕事って、トレードオフなんだ」と思っていました。何かを得るなら、何かを諦めないといけない。この社会では、それが当たり前だと思い込んでいたんです。
スクールに入ってからは、不安を拭うようにがむしゃらにライティングや広報、マーケティングを勉強しました。毎日オンラインで講座を見たり、課題をこなしたりしていくうち、少しずつ、グレーで色のなかった世界に彩りが戻ってきたのです。
なんか、楽しいかもしれない。私はライターを仕事にしていきたいんだ。
そう思い始めてからは、もう止まりませんでした。これまで止まっていた時間を取り戻すように、実績もないのに企業へ飛び込み営業をしたり、求人媒体を覗いたりする毎日。無我夢中で動きまくるうちに、実績ゼロの私を見つけて、仕事のチャンスをくれる方に少しずつ出会いました。
初めてライターとしてお金を稼いだ日の喜びは、今も忘れません。
そしてそのあと、SHElikes入会から約2ヶ月というわずかな期間で、ライターとして独立することを決意。人生が、ものすごいスピードで変わっていくのを実感しました。
やっとの思いでいただいた、企業との繋がり。そこから数年かけて、さまざまな企業や行政、公的機関などとお仕事をさせていただきました。
ライターを目指した当時の想いは、実は今も変わっていません。
『ひのりほライター家庭教師サービス』をリリース
ライターとして活動しはじめてから約1年半が経過した2021年10月、Sherpa of Writersの前身である『ひのりほライター家庭教師サービス』を始めました。
「ライターを仕事にして、私らしく働こう」というコンセプトで、私が爆速でライターになった経験やそこで得た知見を、ぎゅっと詰め込んだ講座です。私のようにライティングスキルを使って人生を変える人を生み出したい。そんな思いでサービスを作りました。
最初はもちろん、「こんな私のサービスに集まってくれる人がいるのかな……」と不安もありました。でもそれ以上に、7年ほど教育に携わった経験や、「人に物事を伝える」「教え導く」ことが好きだったことを思い出して。不安より、ワクワクの方が強かったのを覚えています。
サービスを提供して、相手に喜んでもらいたい
相手の「なりたい姿」を心から信じ、ともに目指したい
そうすることで、大嫌いだった私を、私自身が肯定してあげられるような気がしたのです。
『Sherpa of Writers』誕生のきっかけは、ある“違和感”から
しかしこの頃から、自分の肩書きについて違和感を覚えはじめました。
私はライターと名乗っていいのかな?私が提供している価値は一般的なライターとは少し違っていたからです。
例えば私がやっていたのは
などなど。他にも世の「ライター」とはさまざまな違いがありました。
次第に「ライターの域を超えて、もっとできることを増やしたい!担当者さんに喜んでもらいたい!」という気持ちが大きくなってきて。私自身も企業とコミュニケーションをとる中でいろいろなご相談をいただくうちに、少しずつ「ことば」に関するあらゆる業務をお任せいただくようになりました。やっと自分でも胸を張って「ライター+αの役割を担っている」と言えるようになったのです。
私はやりたいのは単なる「ライター養成講座」じゃない。もっと幅広く社会で活躍できる「ライティング人材」を育てたいんだ。そう確信しました。
そして、2022年6月。
約4ヶ月かけて『ひのりほ家庭教師サービス』のリブランディングを行いました。自分が未経験からライターとして独立して経験してきたことや思いを絞り出し、コンセプトや提供価値、したいことやしないこと…すべて洗い出しました。
「産みの苦しみ」を感じながらも、一つひとつがことばに、形になっていく過程が本当に嬉しかった。そして壁打ちをしながら「ことばの伴走者」ということばに出会ったとき、「これだ!」と腑に落ちたのを覚えています。
前から思っていた想いがより一層強くなりました。
「ことば」の力で人生の選択肢を広げたい。私が起業を決意した理由
『ひのりほ家庭教師サービス』を展開していた当時、一番嬉しかったことがあります。
それは、受講生がフリーライターとして独立し、自分らしく成長していく姿。自分の成功より、何百倍も嬉しかった。
自分の手で、自分らしい人生を切り拓いていく彼女の笑顔を見るうちに、もっとこんな人を増やしたいと思いました。
そんな想いが日に日に強くなっていきました。もっと言えば、
この壮大な構想を実現するためには、個人ではなく、組織としてもっと力をつける必要がある。そう思い、起業を決意したのです。
二度目の離婚と収入7割減。それでも前に進む
大きな志と覚悟をもって起業を決意したものの、起業については人脈も知恵もノウハウも、何もない。ゼロから、いやマイナスからのスタートが始まりました。「女性起業家」の華々しいイメージとは裏腹に、現実は実に泥臭く地道な道のりです。
そんな中、追い討ちをかけるようにさらなる悲劇が私を襲いました。
なんと、再婚して1年ほどで二度目の離婚をすることになり、約3年お仕事をいただいていたクライアントとの契約も切れ、収入の7割を失うことに。
クライアントワークで得た自身の収入をSherpaに投資していたこともあり、業務委託でお手伝いいただいているメンバーに報酬をお支払いできなくなりました。当然、組織としての動きは鈍化していき、できることがどんどんなくなっていきました。
やりたいことや思いはあるのに、事業を進めることができない。
完全に私の実力不足でしかないのですが、本当に苦しくて、悔しかった。
この絶望的な状況を見て、周りからは「もうやめておけば?」「うまく行かないんじゃない?」など、耳の痛い声もありました。正直、正論だと思います。
それでも。
無謀かもしれないけど、私に「やめる」という選択肢はなかった。
Sherpa生たちが、私を信じて飛び込んできてくれたから。
Sherpaのメンバーが一生懸命に取り組んでくれているから。
真剣にSherpaを信じてくださっている皆さんがいるから。
私の役目は、想いを伝え、全体を鼓舞する存在でいること、どんな困難があっても、前を向いて進み続けること。
ただ、それだけだと気づいたのです。
株式会社Sherpaが目指す未来
Sherpaは「ことば」で前向きな未来を創れるような会社を創ります。
ここで簡単に株式会社Sherpaの事業内容をご紹介させてください☺️
大きく分けてtoB向け事業、toC向け事業の2つございます。
1.(toB) 企業向け事業「ことばの伴走」サービス
「ことばの伴走者」による企業の課題解決
2.(toC) 個人向け事業「ことばの伴走者」養成講座
「ことば」の力で誰かと一緒に山頂を目指す人になる
株式会社Sherpa設立を通して目指す世界
株式会社Sherpaの事業やMVVなどについては、ここに書ききれないので(笑)、また別のnoteで詳しくお話しさせてください!
さいごに
ここまで長文にお付き合いいただき、本当に本当にありがとうございます!
色々と書いてきましたが、まだ発展途上の“小さな小さな集団”であることは否定できません。「なんで株式会社にするの?」という疑問も聞こえてきそうなくらい、資金も売上も決して潤沢ではないし、クライアントの数も多くはない。
それでも、自分の人生から逃げ続けていた私がどん底から這い上がったとき、こんな私にも「立ち上がってくれてありがとう」と言ってくれる人がいました。
自分の行動が誰かの勇気になると気づいたとき、私はポジティブな使命感を持ちました。そうだ、私は挑戦し続けたいんだ。私を、Sherpaを、信じてくれる人がいる限り、心を燃やし続けたいんだ。そう気づいたのです。
「ことば」で前向きな未来を創りたい。
「ことば」の力で、多くの人を救えるような企業になりたい。
壮大な夢かもしれませんが、私は本気でそう思っています。もっともっと頼ってもらえるようになるために、ゆっくりでも確実に力をつけ、Sherpaを大きくしていきます。
これから、いままで以上に頑張ります。
株式会社Sherpaを、そしてひのりほを、どうぞよろしくおねがいいたします!
2023年3月9日
株式会社Sherpa 代表取締役CEO
ひのりほ
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Text:Riho Hino
Design:Kazusa
Edit:Aya Ajimi
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