法天は実行すること

 法天というのは、天に則るということです。道は人間の知覚を超越した実在ですから、道と一体化しない限り、天意と同化する=道の通りに行うといってもそれこそどうすべきか分からないと思います。しかし識天で述べたように、道は万物の奥に存在しておりますから、自然物を注意深く観察すれば、天意=道の通りにする方向性が分かります。

 老子は「上善如水」と述べ、水は万物を活かし、万物に利益を与えていながら、みんなが嫌がる低い場所にいるとして、人間の生き方の見本としました。
 諸子百家を始めとして古今東西の哲学者はこうして自然の在り方から道の法則を学び取りました。もちろん信天で述べたようにただ知っただけでは、真の生き方には到達しません。識天法で道の道理を知り、信天法でそれが万物に共有して存在していると信じたとしても、それだけでは普段の生活に天の理を応用して真生を実現する手段にすることができないのです。

 いかに高尚な思想を持っていても、どれだけ知識を持っていても、あるいは神仏を心底から信仰していたとしても、その思想、理念が現実の生活とかけ離れたものであったら、それらは無駄です。むしろ真の生き方には邪魔になります。
 何故なら私たちは今現在、生きているからです。それも本能のままに惰性に流されて生きていくのではなく、人間に与えられた能力、特性を正しく理解して活かし、且つ楽しく生きていくためには自然の法則・宇宙の原理を普段の生活にこそ活かさなければなりません。これが法天です。

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