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昨今の中東情勢を目にして、10年前のシリアの友人との会話が思い出された話。

最近のパレスチナとイスラエルのニュースが急に自分ごとになったのは、このニュースを目にしてから。

「北京でイスラエル大使館員が刺される」(10/13)

どこか遠い話のように感じられていたけれど、いま住んでいる国でも事件が起きるなんて。

それから遡りつつ、今起きているニュースを改めて追って行った。(このNHKの「映像の世紀」とクロ現取材ノートは、とても分かりやすくて参考になった↓)


突然フラッシュバックしたのは、10年前にイギリスで出会ったシリアからの留学生との会話。
当時彼女は26歳くらい。シリアの赤十字で働いたのち、イギリスの大学院で医療系の政策(公共政策だったか)を学びに来ていた。若いながらに使命感を持って生きていた彼女から受けた影響は計り知れない。


「日本人が信じている宗教はなに?」

「神道とか仏教とか色々あるけど、葬儀のときだけ関係してくる場合も多いから、宗教を信じていない人が大半かな」

「それは羨ましい!私の国だと、信じている宗教=その人のアイデンティティとして扱われるんだから。子どもの頃からずっとよ、学校でもどこででも、外に出ればそうだった。常に喧嘩や争いの種になるくらいなら、ない方がいいのよ。」


彼女は卒業後、ジンバブエの赤十字で働き始めた。それからは連絡が途絶えてしまって、今はどうしているのか分からない。

「自分の身にも危険があると承知の上で、どうして争いの地で働くの?」
以前、彼女に聞いたことがある。愚問かもしれないが、それほどまでに彼女を突き動かすものは何なのか、知りたかった。

「家族はみんな、シリアにいる。国に帰れば争いに巻き込まれて苦しんでいる人たちがいる。そんな惨状を知っていて、私だけが安全な場所で何もしないわけにはいかない。長生きしたいなんて思ったこともない。」

結婚して子どもでもいたら、また少し違ったコメントになるのかも知れないが、当時の彼女は生きることに執着がなかった。むしろ、いつ死が訪れるか分からないからと、思いついたら即行動に移していた。突然イギリスの片田舎のパブで住み込みで働いてみたり、忙しい授業の合間に思いきり休んでスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに巡礼に行ったり。周りの声に惑わされず、常に自分の意見を持っていて、「私はこうしたい」と言える人だった。


誰かにとっての大義名分が、別の誰かにとっては脅威になる。なんの罪もない人が命を落としてしまう。そんな不条理な世の中で、今できることはなんなんだろう。こういうときに、使命感を持って動ける人はすごい。憎しみの応酬が繰り返される現実。途方もなく複雑な難題を、私はただ茫然と見つめているだけだった。


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