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MEMORIAE | 入道雲の下で、駆け抜けた夏


都内の高層ビル、無機質なLEDの照明の下、パソコンといつも向かい合っている。石のように凝り固まった首と肩を少し回して、何気なく窓の方を見ると、そこには絵に描いたような入道雲が立ち込めていて、ふと、北関東の田舎町で過ごした小学生の夏休みを思い出した。

お盆の時期になると毎年、北関東にあった母の実家に遊びに行った。田舎の敷地は驚くほど広く、とても羨ましかった。野球でも、サッカーでも、何でもできるくらいだった。だが、何より自分を魅了したのは昆虫だった。図鑑の中でしか見たことのない虫たちが目の前に、手の届く距離にいて、心臓の鼓動が高まった。

既に都市開発が進んだ自分たちの町では、めっきり虫たちが見られなくなっていた。唯一近所にあった市民の森も、住民の反対運動の甲斐も虚しく、最終的には伐採された。跡地には商売っ気の強いピカピカの新築住宅がそびえ立ち、かつての市民の憩いの場は跡形もなく消えた。

祖母の手作りの朝食を食べ終えると、虫籠を肩から掛け、虫網を片手に、祖父母宅の敷地から裏手の林道に向かう。癇癪のように鳴き誇るアブラゼミの合唱の中、宙を優雅に舞う蝶を追いかけて林を駆け抜けた。道に沿う用水路には、ザリガニやドジョウが泳いでいた。また、水が綺麗で底が見えることに驚いた。

木漏れ日に照らされたアサギマダラが、群れで青白く輝く光景が幻想的で、それはまるで異世界に舞い降りたかのようだった。地元ではモンシロチョウやアゲハチョウなどの代表格の蝶でさえ、姿を見せなくなっていた。アサギマダラの半透明の淡いブルーに黒い翅脈(しみゃく)が走るその羽根は、芸術品そのものだった。

アサギマダラを一頭捕まえ、羽根に優しく触れてみる。親指と人差し指のふくらはぎを擦り、鱗粉が少ない特徴に気づく。それを確かめると、すぐに手離した。アサギマダラは飛び方も芸術的で、他の蝶のように細かく羽ばたかず、ふわりとした幻想的な飛び方をする。半透明の大きな羽根を持って優雅に飛翔するその様は、ずっと見ていられた。

夏の日差しは全てを溶かすかのよう強く、首筋をつたうヒヤリとした汗の感覚を今でも覚えている。汗を拭い、林を抜けた先に見えた光景は、どこまでも続く晴れた日の青い空だった。そして、そこには真夏を象徴するかのような大きな入道雲が立ち込めていた。その白さがあまりに眩しく、目に残像として残る。

それから時が立ち、祖父母は亡くなり、田舎に帰るきっかけはほとんどなくなってしまった。自分も大人になり、虫籠を持って夢中で林を駆け抜けることもない。ただ、そうした夏の思い出と入道雲の白さだけは、これから先もずっと胸の内に残り続けることだろう。そして、そうしたささやかな記憶は、都会の喧騒で疲弊する心を、きっとふとした時に優しく支え、抱きしめてくれることだろう。


Shelk🦋

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