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クリスマスの予定はいつ頃決めるものなの?/小さな山の中で家具職人をしている若者の話[13]

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先日、仕事で大学の授業を手伝う機会があった。
ある学生の女の子がキラキラした目で私にこう言った。
「先生!クリスマスは何する予定ですか?私は恋人とホールケーキをひとり一つずつ食べるんです!」

何それ可愛い!!と思って思わず笑みがこぼれた。

クリスマスに前もって予定を立てるということをいつからしなくなったのだろう。
ハロウィンだってクリスマスだって私の仕事にとっては何の関係もない。平日の仕事終わりに予定を入れるなんて、むしろしたくない。
いつも約束が守れなくて何度も謝ってきたし、何度も辛い思いをしてきた。
恋人でもいればお祝い気分になれるのかしら?

週に1日しか休みがないのに、その一日を恋人に当てても私は正気でいられるだろうか?
昔は恋人とは1分1秒でも側にいたいなんて甘い気持ちだったけど
自分一人の時間だってとっても大事だ。

友達はまた付き合ったら気持ち変わるんじゃない?と言ってた。

でも休日に掃除と洗濯をして、自分のことだけで手一杯だよ。


あれは一昨年のクリスマス。
事の発端はもうなんだったか覚えていないけれど、何はともあれ仕事が詰まっていた。

どうしてこうなったのか、考える時間も心の余裕もなかった。

学生時代から、徹夜でテスト勉強、課題制作、慣れきってた。

どこかで、「徹夜をすれば間に合う」「寝なくても大丈夫」「ちょっと寝不足なくらいで死にやしない」そんな考えが浮かんでいた。

身の危険を感じたならば、投げ出すことはいつだってできた。
でも誰もしなかった。

無理をしていなければ頑張りが足りていないのではないか?
根性が無いのではないか?

弱音や文句を吐くのは負けた気がして嫌だった。
成し遂げてからじゃないと、文句は言えない。
生産性のないことかもしれないが、そういう性分なので仕方がない。

あの頃頑張れたのは、きっと他のみんなも頑張っていたから。
あの頃というほど遠い昔の話ではないのだが、今の気持ちや考えはあの頃から大きく変わった。

クリスマスイブ、私はツリーバージョンになった東京タワーを都会のマンションから眺めていた。
悪夢の始まりはきっとここから。
もうあれは2年も前のことなのか。
何だかここ最近は記憶の時系列がごちゃごちゃだな。


真冬の森はとても寒い。
雪だって降るし、バケツの水も芯まで凍る。

気温はマイナス。

ある日、工房の温度計が−7℃を指していた。

そんなことがあるだろうか?

人が労働をする環境で−7℃…?

私たちの感覚はもうとっくにイカれている。

これを読んでいるあなたには想像ができるかなあ。
この環境の状況が伝わっているかなあ。

今私は暖房の効いた暖かい部屋でこれを書いている。
痛みや寒さ、感覚を思い出すのは難しい。
ただ辛かったという記憶が残るだけである。

毎年夏が来て、なんでこんなに暑いんだ、去年はどうやって過ごしてたっけ?って思うみたいに。
でも秋が来てしまえばどれくらい暑かったかなんて覚えてやしない。

そして毎年冬が来るたびに、寒すぎる!絶対に冬を超えられる気がしない!と騒ぎ立てては
気がつけば春になっている。

今の私には、もうあの頃の辛さを表現する感覚が無い。

ただ、辛かった、大変だった、よく頑張った、という記憶だけ。

私たちはその時も、ありえない!どうして!と怒りとか絶望とか色んな感情が混ざっていたけれど、
良くて疑問に思ったとして、答えなど鼻から求めてはいなかった。
受け入れることが生き延びる術だったから。

工房には灯油のストーブが3台あって、そのうち2台は大体稼働している。
それでもほぼ外みたいなものなので、部屋全体が暖まることはない。
私たちは休憩時間にストーブの前に集まって、ストーブの上で温めていたアツアツの缶コーヒーを飲むのだ。
灯油が私たちのライフライン。タンクを4つ使って切らさないよう気に掛ける。
24時間やっているガソリンスタンドが本当にありがたかった。

お腹と背中にカイロを貼って、ニット帽を被って、ハイネックのトップスにダウンジャケット、タイツに裏起毛のパンツ、もこもこの靴下とスキー場で履くようなブーツを履いて、頭の先から足の先まで出来る限りの防寒対策、それでも寒いんだから。
特に指先は暖まるということを知らないらしい。

東京出張までのカウントダウンと共に、私たちの睡眠時間も減っていった。
「納期」という単語はいつから恐ろしく、卑しく、怒りをも含むようになったのか。

日付が変わる少し前、納品する家具と一緒に私たちは工房を出発した。

高速を走り続けた。

運転はシショーがしてくれるので、私は助手席で寝ていればいい。
とは言っても揺られるハイエースの中でうたた寝したところでHPがフル回復する訳はないのだが。

時々サービスエリアで仮眠を取りながら、翌朝なんとか現場まで辿り着いた。

シショーともなると、半分寝ながら高速を走ることができるらしい。
無になるというか。

全然笑えないけど。

死にそうになりながらも東京の現場を征した私たちは晴れて正月休みを取ることができた。
クリスマスツリーに扮した東京タワーを見ただけで元気が出るような楽観的なこの性格を気に入っている。

束の間の休息。
思い返すとこの年の正月は、シショーは一人大晦日まで仕事をしていた。
本当にイカれている。
正月休みが年々少なくなっているように思う。
実際にはそんなことないけれど、日々が忙しすぎて割に合わないと感じてる。

年明けからたった3日で仕事始めなんてどうやって気持ちを切り替えたらいい?


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