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写真集「NATURE GUIDE」を読むためのガイドブック #1

写真集「ネイチャーガイド」は、90年代に建設された、小さな自然を人工的につくろうとした実験場の今に、フォーカスした写真集です。

はじめに

写真家の高田洋三です。「ネイチャーガイド」を読んでくれた方、興味をもってくれた方、ありがとうございます!
ここでは、私が写真集をつくるにあたってのアイデアをすこし紹介します。蛇足かもしれませんが、こんな考えもあるかというくらいで読んでもらえればうれしいです。

写真はフィクションか


私の基本的な制作の態度は、写真をフィクションと定義してみよう、です。私が写真を勉強をはじめた頃(1990年頃)、批評界隈では「シミュラークル」というキーワードをよく読みました。現実と複製という区別が意味をなさないくらい、複製がなんどもこすられ、その価値は現実の対象から解放されていることを示しています。

2024年現在、そんなことは当たり前なくらい、写真はSNSなどメディア産業と結びついているし、生成AIも発達している。もはや撮るということが、写真にとっての前提ではないようにみえます。
そんななかで私の写真家としての仕事は、圧倒的でスペクタクルな画像や、メッセージのための挿絵をつくることではないと思っています。

私の仕事は、フィクションとして提示するが、その映されているイメージの外部に対して想像力をはたらかせるようなものです。
私は、写真でしか表現できない(特に紙の上で表現される)肌理や、写真独自の具象性に惹かれます。
具象性とは。「NATURE GUIDE」でいえば、自然という抽象的テーマを扱っていますが、写真に映されている画像は、これが自然であると断定的に提示されます。そのとき同時に写真は、違和感や不自然という感覚を与えるはずです。私はその違和感や不自然を増幅するような作品をつくりたいと思っています。
そのためには、見る側の主体性を呼び起こすような鑑賞体験が必要です。作者の意図やコンセプトをいかに伝えるかというよりも、もっと原始的なリアクションを呼び起こすようなものです。
そんなことができているのかと問われると、恐縮してしまいますが、目指す作品はそこにあります。

フィクションだからこそおもしろい。見る側になにか引っかかりができればそれでいいかなと。すべてがフィクションであってもそれを体験することに価値があるはずです。フィクションからフィクションへのブリッジをつくること、またその移動が、本当は一番ワクワクするものではないでしょうか。

ネイチャーガイドのタイトルにあるネイチャーはカギカッコ付きの「ネイチャー」です。不完全で不自然でフィクショナルな「ネイチャー」ですが、ではあなたにとってのネイチャーとはなんぞやという問いを突きつけてくるものです。

(2024.7.10 更新)




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