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【小説】ジャスミンの家

ジャスミンの花が咲いて、そして散る頃になると、私には思い出す家があります。

昔、この小高い丘にある町は、曲がりくねった狭い階段のような道ギリギリまで家を建て、多くの人が身を寄せ合うようにして暮らしていました。
彼らのほとんどは、夜が明けきらない時間にこの丘の町を降りて、大きな街に働きに出る職人たちでした。
大きな街では立派な建物や交通整備のために働き手が必要でした。
彼らは夕方まで働いて、疲れた体を引きずるようにしてこの町へ戻り、定食屋に入りお酒と軽い食事を取ると、眠るためだけに家に帰っていきました。
街へ降り、働いて、町へ戻り、食事をして眠る。
そんな繰り返しの毎日が何年も続きました。
そして、彼らの生活は何も変わらない代わりに、彼らの暮らす家からの景色が変わりました。大きな街にネオンが灯り、夜景と呼ばれる景色が広がるようになっていったのです。

彼らの息子たちも、大人になると街へ降り働いて、町へ戻りお酒を飲み食事をし、そして眠りました。
そのさらに息子は、
「もうこんな町で暮らすのは嫌だ」
と言って、小さな町から出ていきました。一人が出ていくと、ならば自分もと多くの若者がその町を去りました。

そして、この町には、老人と寂れた定食屋だけが残りました。
隣の家の会話が聞こえるくらいの距離で暮らしていたのに、気づけば空き家の看板が増え、階段の多い町を好む猫たちが道で自由気ままに寝て、家の前に出した椅子に腰掛けた老人たちがそんな猫にエサをやりながら、世間話をする、そんな町になりました。

「よろず屋」が町に現れたのはその頃だったと思います。
誰かが何軒か隣り合った空き家を買い取り、家々の間の塀を取り払い、一帯を何棟からなる屋敷のような形で整備したのです。
元々、その家々の塀の周りにはジャスミンの木が植えられており、昔から住む人たちはその家を「ジャスミンの家」と呼んでいました。

「ジャスミンの家は何になるんだろうね」
「街の人が買ったっていうじゃないか」
「お店かね?」
「どうせうちらみたいな年寄りには関係ないさ」

盛んに噂話に花を咲かせていた老人たちの興味が薄くなる頃、ジャスミンの家の修繕工事が終わり、小さな木の板に「よろず屋」と丁寧な字で書かれた看板が塀の外に立て掛けられました。

”よろず屋”といえば、どんな物でも取り揃えた町の雑貨店を思い浮かべますが、ここは店というわけではないらしく、鉄の門は閉ざされたまま、ただその小さな看板が立てかけられているだけでした。

しばらくすると、「よろず屋」に人がやってくるのを見かけるようになりました。彼らは街から来たようで、皆一様に仕立ての良さそうな服を着て、そして皆一様に疲れた顔をしていました。
彼らは数日から数週間「よろず屋」に滞在し、来た時とは別人のような晴れ晴れとした顔をして帰って行きました。

紹介が遅くなりましたが、私はこの町で定食屋をやっていました。
祖母の代からなので私で3代目です。
”よろず屋”は私の店を出て階段のような道を20段くらい登ったところにありました。
ですので「よろず屋」へ行く人も帰る人も皆、私の定食屋の前を通ったのです。
たまに、この寂れた店に入ってくれる「よろず屋」のお客さんもいました。彼らに町の人間が好むような食事が好まれるのか、最初私は疑うような気持ちで食事を出したと思います。
でも、人は疲れるとお金持ちでもお金がなくっても、求めるものは一緒なんですね。皆、美味しい美味しいと頬を蒸気させてうちのスープやご飯を食べてくれました。

ある日、「よろず屋」の店主を名乗る人から手紙が届きました。

【もしよろしかったら、「よろず屋」にスープ定食を届けてくれないでしょうか?】

そこにはあの看板の字と同じ几帳面で綺麗な字でそう書かれていました。
その頃の定食屋はお客さんも少なくなっていて、もう店を畳んだ方がいいのか?と悩んでいた時期でもあったので、私は喜んでその申し出を受けました。
手紙のやり取りだけで、店主という人とは直接会うことはありませんでした。それでも、文面から伝わる人柄ってありますよね。
どうもこの人はいい人だぞ、そういう感じがしました。

定食を頼む人数が前日に手紙で知らされると、私は大きめの鍋でスープを作り、その鍋と、何種類かのおかず、そして炊き立てのご飯を容器に詰めて、階段の道をを何回か往復しながら「よろず屋」に食事を届けました。

小さな「よろず屋」の看板を見ながら鉄の門を開け敷地に入ると、昔ながらの庭があり、芝生の上に温かみのある木で作られたテーブルや椅子が置かれていました。晴れて気持ちの良い日にはそのテーブルで食事ができるようでした。庭からは、眼下に大きな街が、この町の人たちが作った街が見えました。
その庭を横切った先にある炊事場のコンロの上に鍋を置き、他のおかずとご飯をテーブルに置いて、配達は終わりです。

こんな風に定食を届けていたある日、「よろず屋」のお客さんとばったり会ったことがあります。
炊事場に入ってきた彼女は、少し疲れた顔をしていましたが、スープの匂いを嗅ぐと
「あぁ、これこれ!おねえさんが作ってくれてたんですね!」
と嬉しそうに言って、私にペコリと頭を下げました。

きっとまだ20代でしょうか。
なんでこんなに若い女性が、こんな風に疲れないといけないんだろう。
私は悲しくなりました。

「よかったらお店にも食べに来てくださいね」
私はそう言うと、自然と彼女の手を握っていたと思います。彼女はびっくりしていましたが、私の手を握り返してくれました。そして、彼女が「よろず屋」での滞在を終えて街に帰る前に本当にお店に寄ってくれました。
「ここのご飯が食べられなくなるのだけが、残念」
何かが抜けたような明るい顔で彼女は言いました。

配達を始めて数ヶ月経った頃でしょうか、私の定食屋は当たり前に「よろず屋」の食事担当のようになっていたと思います。
お客さんが炊事場に入ってきてお喋りをすることもありましたし、街に帰る前にお店に寄ってくれる人も多かったです。
私も「よろず屋」が都会で疲れた人を癒すための滞在場所だということはうっすらわかってきました。
ただ、そこで何が行われているのか、それをお客さんから聞くこともなかったですし、私も訪ねもしませんでした。そして、店主に会うこともありませんでした。

お店も前のようにとはいかないまでも活気が出て、そして何より、定期的な一定の収入があることがとても嬉しかったのです。
そんな時、店主から手紙が来ました。

【ジャスミンの花が咲く期間の配達はご遠慮致します】

私は急に不安になりました。定期的な収入がなくなることもそうですが、改めて、やはり顔を見たこともない人とずっとやりとりしていたことに不安を感じたのです。

ジャスミンの花が咲き始めた頃、「よろず屋」の小さな看板が塀から消えました。
そして、白い花とその香りだけが狭い道に残りました。
夜、大して明るくない街灯の下で花の香りが鼻腔に漂ってくる時の、甘くひんやりとした冷たさ。
もしも香りが目に見えるとしたら、この家の周りをぐるっと煙幕のように囲んでいることでしょう。

お客さんもいない大きな敷地で、店主が一人で暮らしているのなら、食事は大丈夫だろうか?
好奇心とお節介が入り混じったある夜、私は一人分の定食を籠に入れると「よろず屋」を訪ねました。

大きな月が綺麗な夜でした。
あまりに月の光が強いので、庭の椅子やテーブルの影が、驚くほど黒く濃かったのを覚えています。

幸い鍵は閉まっていなかったので、いつものように炊事場に入るとそこに籠を置き、手紙を添えました。
その時、猫がスルッと庭から炊事場に入ってきました。
あぁ、これは困った。
「猫ちゃん、ここは入ったらダメだよ、外にいなさい」
私はそう言いながらそっと猫の頭を撫でました。この辺りの猫はみんな懐いているので、喉を鳴らして嬉しそうにしています。
私は人差し指で扉の外を指差しました。あっちへ出なさい。

その人差し指の先、扉の外の庭に一人の男性が立っているのが見えました。
彼があまりに静かに現れたのと、月の光が強いせいで顔が見えないことに私は驚き、どちらかといえば自分が不法侵入なことも忘れ、小さく叫んでしまいました。

彼は笑うことも自己紹介することも私を責めることもせず、淡々とした口調で言いました。
「動物を繊細に恐る恐る触る人を僕は信頼しています。あなたはいい人ですね」
私が返事に困っていると、彼の横を猫がスルッと通り抜けて庭に戻っていきました。
「ですが、この時期は僕しかいませんので、食事の配達は結構ですよ」
彼はそう言いながら炊事場に入ってきました。その時やっと彼の顔が見えました。彼もまだ20代後半くらいのように見えましたが、とても疲れているようでした。肌はくすみ、目には光が感じられませんでした。もし彼がここの店主なのだとしたら、なぜここに来たお客さんがあんなに元気になって帰っていくのに、その店主がこんなに疲れないといけないのだ、と。私は静かに憤りました。

「作ってきてしまったので、今日は食べてください!」
私は自分が何に憤っているのかもわからないまま、その静かな怒りを彼にぶつけていました。
今思えば、おかしな話です。
彼はやっとそこで笑ってくれたと思います。
「怒られるとは思わなかった。普段は人を癒す仕事をしているので、こんな風に労られたりすると慣れなくて困りますね。今日だけはご厚意に甘えましょう」

私は、なぜ自分が憤ったのかわからないまま、家に帰りました。
そして、あぁ、こんなんじゃダメだ。彼にちゃんとしたご飯を食べてもらおう、そう思ったのです。
しかし、翌日の夜、食事を携えて「よろず屋」の門を開けようとしても、その扉は固く閉ざされていました。
店主は私に心を閉ざしているのだ、そう感じました。
門の前に食事を置いても猫たちに荒らされてしまいます。私は諦めてその場を離れました。
その夜もジャスミンの香りが家を取り囲み、大きな月が小さな路地を照らしていました。

そんな風に、何日間かよろず屋の店主を気にかける日々が過ぎ、ふと気づいたんです。そういえば彼はいつ市場やお店に食料を買いに行ってるんだろう?と。
出前の人も通らないし、やはり食事をしていないのではないか?と。
私は手紙を書いて門から入れました。
「食事をしていないのではないですか、大丈夫ですか?」と。

その夜、固く閉ざされていた門が小さく開きました。
私はお店で準備したお鍋を持って、そっと中に入りました。
炊事場に入ると、そこはすっかり冷たい場所になっていました。人が何かを作った形跡もなければ、お湯すら沸かしていないことが私にはすぐわかりました。
コンロに火をつけて鍋を温め直すと、やっと炊事場に命が戻ってきた感じがしました。

鍋から白い湯気が温かく立ち上るのを見ながらお玉でかき混ぜていると、炊事場の扉が音もなく開いて、店主が入ってきました。
食事を摂っていないはずなのに、前に会った時とは別人でした。少し痩せたような気はしましたが、むくみが取れて顔色も良くなり、頬は七色に輝き、目には深い湖の湖面のような光が灯っていました。少し人間ではないような、そんな感じの美しさでした。

「気にかけてくださって、ありがとうございます。でももうすっかり元気です」
彼はお鍋を覗き込んで言いました。
「とてもお腹が空きました」

その後、私たちは温めたスープを変わるがわるよそって食べました。私はたくさん食べる店主を見て、安心しました。
なぜ人は、私の職業柄もあるのでしょうが、美味しそうに沢山食べる姿を見ると安心するんでしょうね。

大きめの鍋に持ってきたスープはあっという間に空になり、彼は丁寧に口元を拭くと「ごちそうさまでした、美味しかったです」とお辞儀をしました。
そして「明日からまたお客さんが来るので定食をお願いできますか?」と言いました。

そうしてまた「よろず屋」に定食を配達する日々が始まりました。
店主が炊事場に現れることも多くなり、お客さんと一緒に世間話をしたり、この町の話をするようにもなりました。
夏はタライに氷水を用意してスイカを冷やしたり、秋のお月見をみんなでしたり、冬には庭に積もった雪で小さな雪だるまを作ったり、お客さんはその都度変わっていきますが、私と店主を中心とした不思議なコミュニティが出来上がっていて、すっかり私も「よろず屋」の一員だな、と勝手に思っていたのです。

ですがそんなある日、また例の手紙が届きました。

【ジャスミンの花が咲く期間の配達はご遠慮致します】

そうか、もうあれから1年経ったのか、と思いました。
すっかり仲良くなったと思っていたのに、また目の前でピシャリと門を閉められたような暗澹たる気持ちになりました。

そっとしておいてほしいんだろう。
私は1年を通して店主の人となりを知り、そう感じました。
誰がどんなことを望んでいるかを察する力、話の機転の効かせ方、距離の取り方、あらゆるユーモアの引き出し、相手によって自在にそれを使い分ける能力。
そんな彼と話しているだけで、お客さんたちは元気になっていく。
ですが代わりに、彼は少しずつ元気を失っていくようでした。
そして、もう限界かもしれない、という時期にジャスミンの花が咲くのです。

今回は食事を無理やり準備したり訪ねたりはせずに花が咲き終わるまでそっとしておこう、そう決めました。
そして、小さな「よろず屋」の看板が下げられて、門が閉ざされ、白い花が咲き始めました。

私は夜に嗅ぐ花の香りが好きでした。
視覚に頼らない分、嗅覚が鋭敏になるのでしょうか、知らない道を歩いていて花の香りがしてくると、足を止めて花を探すこともよくありました。
ジャスミンの家にも、幼い頃からよく香りを嗅ぎに行っていたことを思い出して、その夜、久しぶりに夜の散歩に出てみることにしたんです。

その夜は、月のない真っ暗な夜でした。頼りにならない電灯の光が階段の道をスポットライトのように照らしていました。
私はよく知った道を目を瞑って歩きました。階段を登るごとに濃くなる花の香りを感じながら。
そして一番香りが濃くなったところで目を開けました。そこはいつも「よろず屋」の看板が出ている門の前で、扉が少しだけ開いていました。
戸締まりを忘れたのかしら?そう思いながらドアを閉めようとした時、どうしてそんな行動をしたのか、今でも思い出せないのですが、私は敷地の中に入っていました。
そして、いつも行く炊事場ではなく、違う方へ、ジャスミンの香りが濃く漂う方へと歩いて行きました。

お客さんたちが滞在するための家の横を抜け、さらに奥へ進むと、古い小さな木造の建物の、障子ばりの扉から光が漏れていました。それは蝋燭の光のような柔らかく温かみのある光でした。
懐かしさを感じながら、それでも火の不始末があったら大変だと思い、私はそっと扉を開けました。
開けた瞬間に、ジャスミンの香りがこれでもかと香り立ちました。
そして、その部屋の真ん中に店主が真っ白な絹の布団で仰向けになって静かに眠っていました。何日か前に見た時と違い、顔には光が戻ってきているようでした。
部屋の中に、蝋燭はありませんでした。
光に見えたのは、部屋の中に咲いたジャスミンの花たちが白く発光する姿だったのです。

その時、私は理解しました。
彼がこの時期に休息する理由も、なぜ食事を取らないのかも。
多分、こうやって花に囲まれてこんこんと眠るんでしょう。

私はそっと扉を閉めて「よろず屋」を後にしました。
後何日かしたら彼は起きるだろう。その時には美味しいスープをまた作って持っていこう、そう決めました。

その後の話ですか?
彼はちゃんと元気になって、私と一緒にたくさんスープを飲んで、また疲れたお客さんが来て、私は定食を届けて、季節の行事をやって、お客さんたちが元気になって帰って、そしてジャスミンが咲く頃に彼が眠って、の繰り返しでしたよ。
でも、何年か後にジャスミンが今年は咲かないな、という年があって、その年に「よろず屋」も店主も居なくなってしまいました。小さな看板も消え、ジャスミンは枯れ、空き家の看板が大きく掛けられてしまいました。

本当のこというと、寂しかったです。またこの町に一人で残されてしまった、と思って。その頃には「よろず屋」で元気になったお客さんがたまに街から遊びに来てくれたりしていたので、お店は安定していたんですが、なんていうかやはり、「よろず屋」と店主の存在が大きかったんです。お金じゃなかった。

元々”よろず屋”っていうのは何でも屋さんというか、お客さんが求めたものを出してくれるお店です。この「よろず屋」もそういう意味ではお客さんが失ってしまった心みたいなもの、忘れてしまった大切なことを、ほら、ここに、あなたの中にありますよ、って出してくれる場所だったんだろうなと思います。

そして、きっと今でも、どこかジャスミンが咲いている場所で彼は同じように誰かを癒しているんだろうなと思います。

(おわり)

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