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ドクター・ホフマンのサナトリウム

こんばんは。
先日、神奈川芸術劇場で上演されている舞台『ドクター・ホフマンのサナトリウム〜カフカ第4の長編〜』を観に行って来ました。
上映時間は3時間30分。
始まる前は長いかな?と思っていたのに、あっという間にカフカ的KERAさん的世界に引き込まれ、あっという間に迷わされ、笑わされ、深く考えさせられました。

以下、ネタバレしながら感想を書きますね。

舞台は<カフカの遺稿が発見され、その遺稿を出版社に売り込もうとする男のいる2019年現代>と、<その遺稿小説の世界>と、<その遺稿小説が書かれた1924年>を行ったり来たりしながら描かれます。

舞台冒頭、小説の世界の主人公であるカーヤ(多部未華子さん)は婚約者ラパン(瀬戸康史さん)と列車に乗っています。
二人が話していた”何気ない夢の話”、そして、”何気ない過去の話”。不穏さを含む演出で舞台は幕を開けました。

でもって、そこからのオープニングのかっこよさ!
まるで椎名林檎のライブのオープニングを思わせるような、音楽と映像とが一体となって、役者さんたちをさらに引き立てていました。あんなかっこいいオープニングの舞台を観たのは初めてです!(大興奮!)

<現代パート>では、渡辺いっけいさんと大倉孝二さんの掛け合いが堪らない”間”で繰り広げられて、思わず声を出して笑ってしまいました。
ずるい、ずるいよ、あんなの。
思い出しても笑えます。
舞台終わったらすっかり大倉さんの虜になってましたもん。カーテンコールの時、大倉さんを目で追っていましたもん。

わたしが唯一”安心”して見ていられたのがこの<現代パート>かなぁ。
ここで言う”安心”っていうのは、他があまりにもカフカ的”不安”に満ちていたからなんですけれど、でもそんな安心して見ていた<現代パート>も舞台の終盤で、ブロッホ(いっけいさん)の100才の祖母(彼女がカフカと接点があり、遺稿のノートを持ち出した)が、大倉さんのことを「あなたはいない、わたしが魔法で出したのよ」っていうところで鳥肌が立ってしまいました。
というのも、その直前までいっけいさんと大倉さんは(役名がないのでそのまま呼ぶけども)、祖母がカフカと接点を持った1924年にタイプスリップしてしまっていて、そこで大倉さんは殺されてしまったんです。
無事に現代へ戻ってきたけれど(殺されたはずなのになぜ戻ってこれたのかも謎だけど)もしかしたら、本当はもう「いない」のかもなぁ、と。
どこかで違うパラレルワールドに迷い込んでいるのかもしれないな、とか。
そういう点に関しては、先日鑑賞した舞台『終わりのない』にとっても通じるところがあって、自分の過去が自分の知っている過去ではないかもしれない、それくらいこの世界は多元的なんじゃないかなと感じました。

冒頭の列車のシーンに戻ると、、、
それは彼女の「夢」だと言い切れるのだろうか、二人に共通した「過去」だと言い切れるのだろうか。
そして、人の存在すら「ここに在る」と言い切れるのだろうか?ということです。
舞台を見ながら、そのうっすらとした怖さをずっと感じていました。

舞台最後のシーンで、カーヤとガザ(ラパンの双子の弟)は列車に揺られています。
そして、概念的に乗り間違えてしまった列車の話をする。
人生を自分のものとして生きるためには、乗り間違えてはいけない。
いや、乗り間違えていると気づいた時、違和感を感じた時にその列車から降りないといけない。その判断は<いま>という瞬時瞬時にしていかないといけないのでしょう。
違和感をそのままにして(あとで対処しよう、あとで考えよう)とすると、またその乗り間違えた列車がわたしたちの目の前に停車するんです。
エッシャーの騙し絵のような演出がありましたけれど、同じ道をぐるぐると回るように同じような問題が起きる。

あと、カフカ的と言っていいのか分かりませんが「人間的な怖さ」を感じるシーンが結構あって、それをカーヤ(多部未華子さん)が表現していたように思います。
無邪気で真っ直ぐなカーヤ、優しく思いやりのある”風”だけれど、実は自分のことしか考えていないし、自分可愛さに、あっさりと「殺してしまってください」「火をつけましょう」という。可愛い声で。
そこを面白おかしく演出していたので、観客も笑っていたけれど、わたしは怖いなー笑えなーい、と思って観ていました。
人間の嫌な側面を、あの可愛い多部未華子さんで伝えてくるんだもの。
わたしはずっとカーヤって怖いなーしかなかったですよ。
無邪気な悪意というか、悪意ですらないというか。
それを、こちらも無邪気に笑えるのか、それとも、わたしみたいに(わわわ、鳥肌)ってなって笑えないか。
そのどっちもあるなと。そしてどちらが正解というのでもないんですよね。
ケラリーノ・サンドロヴィッチさんがどういう気持ちでああいうシーンを書いたのか、わたしにはわからないですが、笑ってくださいと言って書いたわけじゃない気がします。

本でも映画でも舞台でもドラマでも、作り手が「さぁ、ここは笑ってください」と思って作っているところと、「ここは人によって受け取り方が違うだろうけど、どうとってもいいですよ」って思って作っているところがあると思うんですが、わたしは後者のような「さぁ、あなたはこの部分からはどんなことを感じました?」と問題提起されるような作品が好きだなぁと改めて思いました。

少し話は変わるのですが、実は『おっさんずラブ〜in the sky〜』の第4話で自分以外の人の片思いを興奮のあまり本人の前でバラしてしまうというシーンがありました。
それは卓球バトルで面白いシーンではあったんだけど、心からは笑えなくて、どこか冷静に見ている自分がいて。
それは多分、人の恋愛事情勝手にバラしちゃうんだー、えー、ドン引きーっていうのがあったというのもありますが、作り手が「さぁ、ここは笑ってください」って思ってるんだろうなというのをうっすら感じてしまったからだろうなと。
でも、そのあとの展開と心情描写は大変面白く、役者さんたちの演技も相まって引きつけられたんですけれど、笑えないなーと思う人がいるであろうシーンを「さぁ、笑ってください」と提供されるのは、正直ガッカリしてしまうのです。
わたしは田中さんのめっちゃファンだけど、ストーリーというか演出の仕方としてそう思うんです。
田中さんのめっちゃファンですけどね(大切なことなので2回言ってみた)。
この舞台を見て色々考えさせられた1時間後にドラマ見たっていうのも影響あるね、これは。うん、仕方ないです。

それにしても、『ドクター・ホフマンのサナトリウム〜カフカ第4の長編〜』面白すぎましたし、カッコ良すぎましたし、怖すぎました。

そうそう、舞台パンフレットがまたすごいんですよ。
全ページ袋とじ!(エロくない袋とじは「石井ゆかりさんの星占い」以外では初めて!)
会場にペーパーナイフ置いてありましたよ。
読み応えもたっぷりだし、何よりかっこいい!本好き紙好きなわたしには堪らないやつでした。
もう、パンフレットも含めて1つの作品なんだと感じました。
そうそう、そのパンフで知ったんですけど、まだこの舞台ができる前、KAATの芸術監督の白井晃さんがKERAさんに
「カフカの未発表の第4の長編小説が見つかった」
と騙された?ところから始まったと書いてあって、もうその始まり方からして、作品の一部だなぁと。
あっぱれです。

余談ですが、KAAT(神奈川芸術劇場)には初めて伺ったんですけど、トイレの同線最高!でしたw
それも含めて気持ちよく観劇することができました。

舞台、面白いです。
生身の人たちが目の前で観せてくれる世界。しかも同じ舞台は二度と観られないなんて。
なんて贅沢な芸術なんだろう。

最後まで読んでくれて、ありがとう!
では、また!

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