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『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』を読んで

こんにちは!
今日はいつもの雑文とはちょっと雰囲気が違いますが、お付き合いいただけたらとっても嬉しいです。

この本はBTSが好きな友人がSNSで紹介していて、読んでみようかなと軽い気持ちで買ったのがきっかけです。
軽い気持ち、と書いたけれど、実はわたしの中にはBTSや韓国の俳優さんを推していく中で目にする情報にけっこう頻繁にモヤモヤが発生することがあったんです。

そして、今こうやって感想を書いているのは(普段、映画や舞台の感想は書いてもあまり本の感想って書かないんですけど)、多くの人にこの本を知ってもらいたいし、読んで欲しいと、心から思っているからです。

ということで、頑張って書きますね(腕まくり)。

わたしのモヤモヤ

はじめに、わたしのモヤモヤはこんな感じでした。

推しの俳優さんが”反日”という情報がやたら多いけど、なんでなの?そういう映画に出たらしいけど、そもそもどういう映画?調べても反日しか出てこない(モヤモヤ)

兵役が近づいているであろうアイドルの推しに対して「悲しい」「つらい」というツイートを見るたびに感じる、正体不明の違和感(モヤモヤ)

そんなモヤモヤを時々感じながらも、わたし自身はそれ以上深く考えることを拒否して、彼らのお芝居や音楽や文化だけを楽しもうと思っていたんです。
でも、朝鮮の(ここでは本のなかの表現に合わせてそう書きますね)文化に触れるたびに、やはりどこかでこのモヤモヤを置き去りにはしておけないんじゃないかという気持ちがムクムクしちゃって。

例えば、バンタン(BTS)がバラエティの中とかで「朝鮮時代はこんな感じだったかな?」とかいうシーンがあって、朝鮮時代ってどんなかな?って調べてみると、その時代を終わらせたのが、紛れもない日本だと知るわけです。
軽い気持ちで調べてはモヤモヤうーん。

もう元には戻れない

本を読み終わったわたしの率直な感想は、「あぁ、もう、元の無知で無邪気だった自分には戻れないな」でした。
(無邪気はちょっと違う意味で使ってますよ)

知ってしまったら、これを知らなかったことにして文化だけ楽しむことができるとしたら、それはよっぽど鈍感か、よっぽど何か見ないようにしたい理由があるか、だなと。

そして、その”よっぽど何かを見ないようにしたい理由”がものすごく怖いなって感じました。

そんなこと言われたら読むの怖いよ!って思う方もいらっしゃるかもしれないですよね、うん。
でも、読んでもらいたくて書いていますw

マレーシアとカナダとパリでの体験

ここで少し話題を変えてわたしの話をします。

昔、マレーシアに旅行に行った時に、日本人なら行った方がいいと言われて案内されたのは日本統治下のマレーシアの様子を伝える場所でした。そこでみた展示には欧米の植民地支配からアジアを解放するため、インフラなどを整えたというようなことが書いてあり、好意的に受け止められているようでした。
そして、ふわっとした歴史認識しかなかったわたしは、
(そうか、アジアで大変なことがあった地域もあったけど、こういうふうに好意的なところもあったんだな)
と、そう、喜ばしく思ったんです。

短絡的すぎる自分に、今ならほんと「おい!」って突っ込みたい。
だけど、同じ経験をしたなら、多くの日本人の気持ちは、わたしと同じようになるんじゃないでしょうか?
悪いことをしたけど、好意的な国もあったし、もう過去のことだよね、と。

さて、時代をもっと昔に遡って、カナダ。
カナダへは高校の修学旅行で行きました。そしてそれがわたしの初海外でした。そしてそこで人生初めての「人種差別」を受けました。

ショッピングモールでトイレに入った時に、地元の同い年くらいの女の子たちにお辞儀されて、とっさにお辞儀を返したら、すれ違いざまに爆笑されたんです。人種差別って言うには大袈裟なと思うかもしれないけれど、わたしはそれが結構ショックでした。
今でこそ、それは”カジュアルヘイト”と呼ばれるもので、彼女たちに”悪意”はなかったんだろうと思うんですが、”悪意”がないからとそんなふうに相手の国や風習や外見などを揶揄していいわけありません。


最後はフランスでの話。友人と2人でパリに行った時に、宿泊先のホテルの朝食会場で韓国人の男の子たちに出会いました。
どうしてそうなったかは覚えていないんだけど、お互い拙い英語でコミュニケーションをとって、観光地の情報を交換したり楽しく会話したのを覚えています。
さらに同じ旅行中に、街の中でアジア人女の子4人くらいのグループに手を振られたので立ち止まると韓国語で話しかけてきて、わたしが慌てて英語で「日本人なんだ」と言うと「ごめん、韓国人だと思って道を聞こうと思った」と。
でもなんとかまた拙い英語で道案内をして、彼女たちとも友好的にその場を離れました。

何が書きたいかというと、わたしはこの歳になるまで、

自分が人種差別をされる側(被害者)になることはあっても、する側ではないし、過去に日本が悪いことをしたけれどアジアの人は概ね友好的だし、韓国とは国同士ではいろいろあるかもしれないけど、出会う人はみんな好意的だ。

そう思って生きてきたってことです。
自分の少ない体験と浅い歴史認識がそうさせてきたんです。

わたしは加害者側である

だから、この本を読んで、日本は、わたしは加害者側であり、差別してきた(いまでもそれは続いているので”している”)側であり、決して友好的になんかなれない理由を持っている方たちが沢山いる、という事実を知った時に、正直愕然としました。

そう、もう、元には戻れないなって思ったんです。
重いですかね?
わー、楽しいことだけ見てればいいのにこいつクッソ重いな(言葉悪くてごめんよ)ってなりますかね?

こういう現実を目の当たりにした時、
「それは過去のことで、国や日本軍がやったことでしょ?私は関係ないよね?」
って思う人も多いと思うんです。
重いのお断り、わたしは関係ないし、韓国文化もアイドルも好きだし、私は差別なんかしてないもんって。

でも、日本で生きてきて、出版されて本屋さんに並んでいる本やSNSで目にする言葉、もしかしたら親しい人や知り合いとの会話などに差別的なものを感じたことはなかった人はいないと思うんです。
もし、そういうものを目にしたことがないとしたら、それは”よっぽど何かを見ないようにしたい理由”があるし、わたしはそのフィルターが怖いです。

本書の中にも書いてあったんですが「自分は中立」だと傍観すること、どうせ国は変わらないと傍観することは、もしかしたら加害者側かもしれない。
そして、人が変わらないと国は変わらないということ。
これに尽きるな、なんです。

自分が加害者であると認めるのはしんどいです。
もしかしたら被害者であるほうが時として楽かもしれない、とすら思います。だから、そんな風に見ないことにしてきたものが、この国には沢山あるんじゃないかなって。

結局、何が変わったのか

本書を読んで、わたしは何が変わったのか。
たぶん、ほんの少しの歴史認識と、ほんの少しだれかの気持ちになって考える視点を得たくらいです。
でも、そのほんの少しが大切だという気がしています。

自分が変わることでしか、相手は変わらない。
人が変わることでしか、国は変わらない。
ほんの少しでも変わった自分をまずは褒めてあげたいのです。

最後に、わたしの大好きなBTSのこれまた大好きな景福宮でのステージを貼ります。韓服モチーフの衣装で歴史的なこの場所で踊って歌う彼らはとても綺麗です。
そして、彼らは「ここで歌えることが誇らしい」と語ります。

過去に日本はこの場所で何をしたのか、それは本書を読むとわかります。それを知ったうえでもう一度このステージを観ると、また少し見え方が変わりました。でも、彼らを好きな気持ちはそのままでした(むしろもっと好きになった気もする)

彼らはアジアンヘイトに対してタグをつけて抗議したりする“もの言うアイドル”でもあります。今年はありませんでしたが過去には光復節のツイートもありました。
そんな彼らを素敵だなと思うのであれば、自分の国のことだけは棚に上げて見ないフリをするのではなく、そこも含めて自分事として捉えて行動することこそ、彼らのファンでいることとしても一番矛盾がないんじゃないなと。

そして、BTSは“LoveMyself”を大切に、というグループです。
まずは自分を愛すること、わたしもそれが一番大切だと感じます。
でもそれと同時に、他者の気持ちになってみること、その人の人生を想像する想像力を使うことを絶対忘れちゃいけない。

誰かの犠牲の上の幸せや愛なんて、ホンモノじゃないなと思うから。


さて、ほんとうの最後に(何回も最後って言ってる)

最初の方ににわたしのモヤモヤを2点書きましたが、結局、原因はなんとなーく分かったものの、このモヤモヤはまた別の形で続いていくんだろうなとも、思います。
でも、そのモヤモヤをちゃんと自分で認識して手にとって、いろんな角度から見つめてみることが、出来るようになった気がします。

いい本に出会わせてくれて、それも大きくくくればBTSのおかげなので、BTSにもありがとうと言いたいです。

まとまりのない文章を読んでくださった方、ありがとうございます。興味を持って、本を手に取ってくれる人がいたら嬉しいなと思います。
アンニョン!







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