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哀愁しんでれら、言葉を失い、言葉が溢れた

こんにちは!
昨日は土屋太鳳ちゃん主演の映画『哀愁しんでれら』を観に行ってきました。

観終わった後、言葉をまず失いました。
普段映画観終わった後って結構すぐにTwitterとかに感想書くんですよ、それがまったくできなかったんです。
そして一瞬の心の静寂の後に、次から次へと言葉が溢れ出しました。

ということで、今からしずる村上氏のnote(←彼は映画のネタバレせずに一万字も書いてるよ!!)に負けない勢いで映画『哀愁しんでれら』を観た感想を書こうと思います。

村上氏と違う点、、、それはネタバレをします!というところでしょうか。
ですが、途中で恒例のUターンゾーンを作ります。まだ観ていないよという方はそこでUターンしてくださいね。

なお、本ブログは3コーナーでお送りします。

1、しずる村上的ネタバレなしコーナー

ある日、わたしのSNSにこんな言葉が流れてきました。

「仮に産んでいないということが、ひとつの欠如であるとしても、それは経験の欠如ではなく、欠如の経験です。」

詩人、藤波玖美子さんの言葉だそうです。
映画を観終わった後、映画の印象的なテーマソングが脳内を流れる中、駅へと続く夜の道をゆっくりと歩きながら、わたしはその言葉をふと思い出していました。

土屋太鳳ちゃん演じる小春は、COCOちゃん演じるヒカリを産んでいないけれど、産んでないからこそ、その〈欠如〉を埋めるために一生懸命ひかりの母親になろうとしたんだろうなと。
でも、彼女はそれが<欠如>ではないことに気づけなかったし、どこかでうっすら気づいていたのかもしれないけれどそれに蓋をしたし、教えてくれる人も居なかった。

それが”わたし”が映画を観終わっての一番最初の感想でした。
あくまで”わたしの”感想です。

”わたしの”を強調したのは、この映画は主演の土屋太鳳ちゃんが舞台挨拶で言っていたように
「観た人の中ではじめて生まれる(完成する)」
たぐいの映画だからです。

100人観た人がいたら、100通りの感想があり、(予告でも流れていた小春や大悟が耳に手をやる象徴的なシーンのように)観ている人それぞれに映画を観ながら耳に手をやりたくなる瞬間があるんです。

ーー 耳に手をやる瞬間は人それぞれ ーー

だからこそ、誰かの感想を読んだとして、その感想と自分が違う感想を持つことが当たり前だし、むしろ、その自分の感じ方を事細かに見つめることで完成するような、そんな映画でした。

太鳳ちゃんが「観た後、語り合って欲しい」と言っていたのもそこにあるのかなと。
なので、まだ観ていない方で、ちょっと興味があるなという方はもちろんですが、あんまり興味がないけどわたしが珍しくすごい長文でブログ書くくらいだからちょっと観てみようかなと思ってくれた方は是非観に行ってください。
いざ!GO TO CINEMAです!
公式サイトはこちらからどうぞ!

さて、そろそろ内容にも触れたいから、Uターンゾーンですよ。
観てない人はバックオーライです!
観た方は引き続き読んでくださったら嬉しいです♡


バックオーライ、オーライ

オーライオーライ

オーライオーライ

(これくらい改行しとけば大丈夫かな?)

2、Uターンゾーンを挟んでのネタバレありコーナー

実は、わたしは小春の友達の志乃(田中圭くんファンにはお馴染みトライストーンの金澤美穂ちゃん)が言った言葉

「いい人と結ばれたい、いい暮らしがしたい、いい母親になりたい、そういう願望を全部捨てる」

これに極論ではあるけれど、答えと救いが入っていたなぁと感じたんです。

序盤にあのセリフがさらっと入っていたことって実はすごいなって。あの黒豆、あ、いや、渡部監督すごいなって。
なぜならわたしは「小春がもしも人生を巻き戻せるなら」という”もしもスイッチ”のことを考えた時に
「小春!お茶とケーキをおかわりして、志乃にその秘訣をどっぷり聞こうぜ!」って思ったくらいだから。
その何気ない顔してケーキ出してる友だちの何気ないセリフがあなたを生きやすくさせるためのすごいヒントだよ!って。
夢や憧れはあってもいい、だけど固執した時に一番に自分を苦しめるのも夢や憧れだから。

だから、ラストシーンを観た時に、あぁ、楽しくお茶飲んでたそこに戻してあげたいなぁって心から思ったんです。

でも、この「戻してあげたい」って気持ち、小春に同情してるっていうんじゃないのよ。
“同情”って、個人的には一番しょうもないと思っていて(口が悪くてごめんなさいね)、それはなぜかというと同情のあまりに「誰がいけなかったのか」という思考に入りがちになる気がしているからなんです。

大悟がいけなかったのか、いや大悟の母か、いや、ヒカリか?小春を捨てた母親か?学校か?
そんな風に終わりのない犯人探しを始めてしまう。でも、同情をやめてそこから離れた時に、初めて全体が見えてくるんです。
そして、あぁこれは誰も責められないし、誰が悪いっていう物語じゃないんだなって気づく。
全体が見えた時、同情もしなければ、馬鹿だなぁという気持ちも湧かないんです。なぜなら、その全体の中に自分もすっぽりと入っているから。
わたしに中に小春も大悟もヒカリもいるから。

少し話を変えますね。

わたしは、衝撃のラストシーンで使われていたインスリンがとてもこの物語の象徴的な存在だなと感じました。

ーー 摂取する量で薬にも毒にもなる ーー

人間の体というのは非常に絶妙なバランスで保たれていて、それこそちょっとでもそのバランスが崩れると致命傷になりますよね。
インスリンも適量であれば薬だけれど、容量を間違えれば毒になる。
いい親になろうとすること、自分の愛する、愛してくれる相手に合わせること、それって結構誰しもが普通にやっていることだと思うんです、意識しなくても。
でも、それを過剰にやってしまうと、一気にバランスが崩れていき、薬にも毒にもなる。
夢や憧れもそう、薬にも毒にもなる。
その象徴的な使われ方をインスリンがしていたように感じました。

さぁ、またまた話を変えますよー。

ーー 自分の中の善悪を点検する ーー

わたしは映画を観ながらそんなことを考えていました。
子どもは”善なるもの”そんな価値観を持っている人がいたら、それこそこの映画観たら考えがガラッと覆るかもしれないと。
でも、色々やっちゃってるヒカリですら一言で”悪い子”って分類することはできないなって思ったんです。
そしてその反面、ラストであのお手紙書いたメガネの女の子だって、”いい子”とは分類できないなって。どんな思いであの手紙を書いたかなんてわからないから。だってあの子、すっごく“無関心”だったじゃない?(わたしはそう感じました)

色々書いてきましたけど、ここまでお付き合いくださっている奇特な皆さま、お気づきだろうか……わたしがまだストーリーのことしか感想を書いていないことに……。
この後、それぞれの役者さんやら、音楽やら、衣装やら、それに手を出すと、そりゃあさ、しずる村上氏じゃなくても一万字だよ!

どうしましょう。まぁ一万字は書かないけど。
とりあえず続けますね。

まずは土屋太鳳ちゃん。
彼女の持っている真面目で明るくていい子というそのイメージが、ぱっと見の小春にもあるなぁって思ったんです。でも、すでに序盤からちょっとした言動に「あれ?」っていう影みたいなものを感じる。
いわゆる”普通の女の子”がちょっとした瞬間に影を見せる。後半になるに従ってその影はどんどん濃くなっていく。
でも、そのグラデーションをやりすぎない太鳳ちゃんの感じが、より背中に寒いものを感じさせるんですよね。
そしてもちろん太鳳ちゃんはお顔がとっても美しいんだけど、その美しさが手に届かない美しさというよりは親しみやすい美しさだからこそ、怖さも増すんだなと。
土屋太鳳ちゃんが小春で本当に良かったなと思いました。
誰よりも身近で誰よりも身近じゃない、そんな”しんでれら”になっていた気がしました。

次にCOCOちゃん。
え?これが初芝居?怖い怖いw
ヒカリってすごいことしてるのにホラーになりすぎないんですよね。こういう子っているなーっていう絶妙なところをとってもうまく表現していて、え?これが初芝居?怖い怖い(2回目)ってなりました。
子役の子にありがちな「技術的なうまさ」を感じなかったこともあるのかなぁ。他にはどんな演技ができるのかしら?違う雰囲気の役も見てみたいなって思いました。

さぁ、とうとう田中圭さんの話を始めますか?
と思わせておいてー、音楽の話をします(焦らす焦らす)。
テーマソング、「Bubble blower」
特報で聞いた時からすごく好きな曲だなと感じていました。今回、初日舞台挨拶の中継付きの回で観たんですけど、始まる前にずっとこの曲がかかっていたんです。
それによって、それこそ催眠術の導入部のように『哀愁しんでれら』の世界に入る準備が整いました。

ーー 優しく、儚く、美しく ーー

心にそのスイッチが入る。
音楽ってやっぱりすごいなって思いました。
観る前からこの映画は、どんなラストシーンをわたしに見せたとしても「優しく、儚く、美しい」そうなるんじゃないかって、その音楽を聞いた時に感じたんです。
そして、わたしは映画を観終わった時に「優しく、儚く、美しい」ものも、きちんと受け取っていました。
サントラは発売ないのかなぁ。
サントラ欲しいでーす!!(どこに向かって言えばいいの?)

追記:サントラ配信されてました。詳しくはこちら

音楽担当のフジモトヨシタカさんは現在放送中のBSテレ東のドラマ『ナイルパーチの女子会』の音楽も担当されているそうです。
こちらのドラマも「日常に潜む歪さ」みたいなものを描いていると思うんですけど、そこに無理に音楽で歪さを出さないところが、映像と音楽の関係の絶妙なバランスを見せていただいているなぁと思っています。

はい、次!!!!
衣装やインテリアの独特な色使いは渡部監督のこだわりを予告の時点から感じていました。それが映画館で見るとまたすごい威力なのよ。
小春と大悟の衣装、そして泉澤家のインテリアが一番印象的だと思います。あぁ、色が変わっていってるなって気づく、それだけで物語にさらなる深みを与えるんですよね。
なのに、小春の実家、福浦家のなんとも親しみやすいことよ!!!そのバランスの計算し尽くされた見せ方。
全てあの独特な色で演出することもできるだろうに、福浦家は最後まで”普通”なんです。だから観ている方は気づくんですよね。福浦家は裏おとぎ話には組み込まれていないんだって。
「オバケになっちゃえばオバケは怖くない」って言ったお父さんがもう核心を突きすぎてましたね。
裏おとぎ話に組み込まれていないって書いたけど、でも一瞬取り込まれそうにはなっているのかな、お父さんも妹の千夏ちゃんも。
でも、第六感みたいなもので気づいていた気がするんですよね、特に千夏ちゃんは。
大悟という人は、ずっと関わっていたらこちらの価値観を静かに変えていくタイプの人だってことに。

関わる人を少しずつおかしくしていく人。
外車に乗った王子様大悟様田中圭様!
そう、大悟は関わる人の正気を少しずつ狂わせていく人なんだろうなって感じました。
でも、サイコパスではないし、いわゆるよくあるエリートの空気読めない感じでも高飛車な感じでもない。福浦家に馴染んじゃうその絶妙なところ。
でも、自分の母親に見せるあの嫌そうな顔。
相反するようなどっちの顔も大悟なんですよね。
で、それを演じさせたら田中圭しかいない!!んもう!っていう。
台本読まずに主演土屋太鳳ってだけで即決する田中圭!んもう!っていう。

さぁ、いよいよ田中圭さんの話をしますか。

3、田中圭についてだけ飽きるほど語るコーナー


もう、さっきからフライングで語ってしまっているけれど、この開業医で金持ちでエリートなんだろうけど、高飛車な感じでもなく、周りの人にも合わせることができるのが大悟なんですよね。
でも、ちょっとした言葉に「あれ?」っていうのがある。ちょっと極論じゃない?っていう。そこに柔軟さがない。
その、<ぱっと見普通の人なのに、ちょっとしたところに柔軟さがない>みたいな絶妙な匙加減を演じさせたら田中圭でしょ!っていう。
でも、見た目は普通じゃないんですよね。あー、こんな素敵な人っているんだ!っていうテンプレートみたいな感じでしたね。
大悟は41才ってことで、自分のフルヌードをデッサンする時「身体が衰えていくのもわかる」って言ってましたけども、いやいやそんないい身体だったら毎晩おのれをデッサンしまくりますよ、っていうね。
そりゃ、疲れてるんだけどな、ってベッドで軽く拒否られても飛び乗りますよ、っていうね。
あの綺麗な指?噛みまくりますよ、っていうね。
(あれ?なんか方向性がおかしくなっているから、軌道修正します)
(まだお昼です、太陽が眩しいわね……)

そうそう、今月発売の月間『シナリオ』に『哀愁しんでれら』のシナリオが載っていたので読んでみたんです。

そしたら、びっくりするくらい脚本に忠実だった。脚本の世界観がもうすごかった。あぁ、こんなに読ませてくるんだなって。
それだけしっかりした脚本だっていうのもあると思うんですが、もう渡部監督のイメージしたもの、空気感、大悟がただのモラハラ夫ではない感じ、だけどどこかが少し壊れているっていう感じ。それが脚本からも読み取れました。
でもそれを演じた時に、ただのサイコパス、モラハラ夫にすることもできるのを、絶妙なバランスで表現しているのが田中圭さんなんですよね。
すっごくトリッキーとか、すっごく壊れているとかってイメージしやすいけれど、”ちょっとだけ壊れている人”って表現しにくいと思うんです。
それをちょっとしたセリフの緩急、ちょっとした表情で見せてくる。
なんかドラマの圭さんというよりは舞台の圭さんを思い出すような(『サメと泳ぐ』とかね)そんな感じでした。

トリッキーを演じさせたら上手い俳優さんはたくさんいると思うけれど、こういう”ちょっとだけ壊れている”そして”周りの人にそれが少しずつ伝播していく”みたいな匙加減、実は田中圭さんのお家芸だなと思うんです。
ほんとマジ匙加減俳優。

あとですね、完全に田中圭オタク目線で書きますと、、、まず衣装さんにマジでっかい感謝(急にラッパー風)。
結婚式の鮮やかなタキシード姿、ラフなジャケットスタイル、爽やかなコットンシャツスタイル、おうちスタイルのスウェットスタイル、黒タートルに黒縁のメガネ!そして白衣!!
映画の表現として洋服の色とかにとってもこだわりを持ってらっしゃるのは予告の時点から気づいていたんですが、こんなに沢山のパティーンを見せていただいて、もう、眼福でございました。
いいの、大悟さんがちょっとおかしくても、いいの、もう、好きにしてっていう感情になるよね。
点滴、大盛りで持ってきてくれぃ!わたしにも一本打ってくれぃ!ってなるよね(なんの病なのよ、これは)。
ちなみにその目線での個人的ベストシーンは「疲れてるんだけどな」って言うシーンでしたね。なんかこう新しい扉開けた感じしませんでした?
わたしだけ?
ま、それは置いといて。

土屋太鳳主演と聞いて台本も読まずに大悟を即決した田中圭が好きすぎました。本日も安定に好きでした。
台本読んでても引き受けたんだろうけど。
熟考していた太鳳ちゃんを引っ張り出してくれてありがとう。
天岩戸にこもったアマテラスな太鳳ちゃんを、おもしろダンスで外に引きずり出したアメノウズメのミコトを思い出しちゃいました。
あ、ダンスで思い出した。
ダンスシーン、ちょっとだけハラハラしたけど、うん、良かったよ。可愛かったよ。

ということで、ここら辺でわたしの感想は終わりにします。
他の人の感想も読まず(Twitterすら見ず)、パンフレットも見ず、自分の感覚だけで書きました。
でも、いまわたしたちに必要なのって、「自分の言葉で考える」ってことでもあると思うんです。
影響力のある誰かの言った言葉じゃない、自分の言葉と感覚を取り戻す。
その練習をするのにも、『哀愁しんでれら』はぴったりの映画だなと感じました。

長くなりました!
最後まで読んでくれてありがとう!
では、また!

最後に一つ。
「お伽話の中にいる時、物語の主人公たちは自分がそのお伽話の中にいることに気づいていない」
それは、どんな時でも、今、この瞬間もそう。
でも、物語は自分で作れるし、何度でも書きかえられる。
もし自分が何かのお伽話の中に入っているなと感じたら、それを思い出して書き換えていこうと思いました。

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