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映画『哀愁しんでれら』(2/5(金)公開)を心の底から観て欲しいという天井のない欲望



◎以下、ネタバレが全くありません。映画のあらすじや、観るべきポイント、観たくなるようなちょっとした内容や大まかな展開、観ることを決める上で知っておきたいラストシーンに関しての情報などは全く出て来ないです。何分、ご注意ください(役者さんやスタッフさんの話はしています)。
※あくまで、映画を観た僕個人の過剰なまでの熱量が込められた長い感想です

⚠️映画情報なしで9,000文字以上ありますので、その内容で全文読むとなると拒否反応を起こす可能性が大いにあります。
その場合は、悪いことは言いません。
直ちに退却して下さい。
読んでいたらそれがハッキリとわかるリトマス試験紙みたいな記事です。

大まかに三部構成となっております。
・僕の作品に対する熱量だけの只々うるさい何千文字
・試写を終えたばかりの僕を襲った出来事
・監督さん、キャストさん、スタッフさんのこと
(各々、改行されていますので好きな箇所を読んでください)


まず、言わせてもらいたいこと。
この映画は絶対に、絶対に観てもらいたいです。
作品に何も関与していない部外者の僕に“観てもらいたい”などとほざく権利は一切としてないのはわかっています。
でも、それでも、『哀愁しんでれら』という作品を観てしまったのが最後、ただの部外者だとしても声を大も大にして“観てもらいたい”と叫ぶ以外に今の自分を保つ方法がないんです。
そうでもしていないと、叫びたい欲求・感情が僕の体の大きさまで膨らみ上がって、最終的に僕の全身が張り裂けてしまう気がするんです。
もうおこがましい事を言わせてもらいますと、身勝手なまでに始めたこの広報活動は僕が勝手に創り出した宿命とさえ思っています。
思えば、この作品に出会った時、悪魔に囁かれた気がします。
「お前の出来得る限りの声量でとにかく呟け」
僕はその言葉に従うことにしました。
『哀愁しんでれら』のために、まずはSNSをフル活用しようと思いました。
そして、その一つとしてこのnoteという手段を選びました。
その上で、言わせて下さい。
観てもらいたい対象は、日本全国民です。
いや、全世界の人間です。
勿論、物理的に考えてそんなことが叶わないことはわかっています。
ただ、叶わないとわかっていてもそれを理想と考えるくらいは許してもらいたいんです。
そう思うことは自由なはずですから。
一旦、小休止。
勢いのままに話してしまって、申し訳ありません。
続けます。
要は、一人でも多くの人間に観てもらいたいんです。
ちなみに、それは“人“にではなく、“人間“にです。
何故、僕がこの場面でわざわざ“人間“と言うのか。
この作品は、個人的な感覚で言うと“人”や“人々“がテーマというニュアンスではなく、まさしく“人間”の核心を突くドラマだと思ったからです。
僕は試写会で『哀愁しんでれら』を観終わった後、しばらく席から立ち上がれませんでした。
そんなことは本っっっ当に生まれて初めてでした。
これは、あくまで大して映画を観て来たわけでもない凡人の戯言です。
ただ、仮にも40歳になる男をそんな状態に陥らせるだけの凄まじい威力がその映画にはあったんです。
エンドロールで監督の名前が上に流れ去って行った後、真っ黒になったスクリーンを見つめながら、“この映画はまだ終わっていない”そんな感覚を覚えました。
そして驚くべきことに、今も尚、その感覚が僕の中に残っているという事実。
大袈裟でもなんでもなく、比喩でもなんでもなく、『哀愁しんでれら』という作品は僕の体の一部になってしまったんです。
そうですよね、わかる気がします。
村上、それは一体どういうことだ?ということですよね。
では、僕が何故こうまでして言うのか。
それは、この映画が余りにも“自分ごと“だったからです。
ここで言う“自分ごと”というのは「自分も似たような体験をしたことがある」、「自分に近い感覚のキャラクターが出て来た」、「自分が考えていたことと作品が重なった」のような直結的なことを言っているのではありません(直結的に楽しめる作品も勿論素晴らしいエンターテインメントだという前提で)。
僕が言いたい“自分ごと”とは“これからの自分のこと”ということです。
僕はこの映画を観て“これからの自分のこと“を果てしなく深く考えさせられました。
観終わった後、ハッキリと直結した答えが見つけられなかったんです。
そういう意味で、僕の中では作品として完結しなかったんです。
バカみたいな但し書きですが、勿論映画のシナリオとしては完璧なまでに完結しています。
それはもう本当に完璧です。
でも、僕がやっぱりバカなんでしょう。
この映画を観た上で受け取った気持ちを一つも上手く結べなかったんです。
だから、僕は上映後、椅子に張り付けられ動けなくなったんです。
それは、まだ名前も付いていない新しい感情を抱かされて何もまとめることができなかったから。
そこで初めて、“これからの自分“ないしは“改めてこれから自分が関わっていくであろう近い人間(遠いと思っている人間も含め)”のことを否応なく考え巡らさせられたんです。
これはもうジレンマなんですが、その時の僕の胸の中はこんな文章じゃ全然足らないくらいの感情で溢れていました(僕のボキャブラリーの貧しさに反吐が出ます、悔しい)。
今思い出しても、その時の僕を包む全てが混沌だったとしか言いようがありません。
ここですみません、また小休憩。
そして、いきなりですがここで話をとっ散らかさせて下さい。
未来を舞台にした映画と言われて、皆さんはどんな作品を思い浮かべますか?
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『レディ・プレイヤー1』『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』『アバター』『2001年宇宙の旅』など、数え切れない程の沢山の作品がありますよね。
これらは一般的にSF映画と呼ばれるものです。
めちゃくちゃ簡単に言ってしまうと、ファンタジーというものをテーマにこの先の未来を描いているもの、いわゆる未来映画ですよね。
こんなもん、とにかくワクワクして大好物です。
宣言通り、ちゃんと話がとっ散らかって、本当にすみません。
でも、何故わざわざ僕がこんな話をし出したのか。
それは、僕にとって『哀愁しんでれら』も未来の映画だと思うからです。
誤解を招くかもしれませんが、僕がここで言う未来とは、“これからの自分“という意味でのそれです。
いわゆるSF映画を挙げた際に俗に言われるであろう、映画の舞台が未来ということではなく、この作品を観た後に、自分(はたまたは大切な人)の未来を考える映画という意味で、未来の映画(未来に繋がって行く映画)と僕は言いたいんです。
そんな僕の考えから、この『哀愁しんでれら』という作品ってものは、舞台は現代でありながらも新しい形の未来映画だと思うんです。
言うなれば、SF映画のようにスクリーンに映る未来を楽しむ映画ではなく、終幕後に目を閉じて現実社会に生きる自分の未来を考える映画。
未来の僕を考える“自分ごと“の映画。
だから、もう観終わったのにも関わらず『哀愁しんでれら』という映画は僕の中で上映され続けているんです。
それを受けて言いたいこと。
それはこの世の中に“これからの自分”のことを考えない人間はいないんじゃないかなということ。
すみません、ちょっと止まれません
だとしたら、『哀愁しんでれら』=“これからの自分を考える映画“と捉えている僕が、「この作品は全ての人間が観るべきだ」という極論に辿り着くことは不自然なことじゃないんじゃないかって思うんです。
ただ、この映画を観て「自分には関係のない映画だ」という方もそりゃいるかと思います。
それは、ここまであーだこーだ話して来た僕にとって、正直とても悲しいことです。
でも、それは仕方のないことです。
そんな可能性はいくらだってありますから。
それどころか、全然あることだと思います。
しかしです。
そんな可能性もあるということすら、この映画は言ってくれている気がするんです。
これから生きていく上で、喜ぶことだって、怒ることだって、悲しむことだって、楽しいことだって、やりきれないことだって、嬉しいはずなのに怖いことだって、痛くて痛くて痛いようなこと、喜怒哀楽みたいなこんな文字四つじゃ分けられないくらいの無限の感情や状況が、幾度となく僕を襲うでしょう。
その上で、それら全てが『哀愁しんでれら』には余りにも詰まってしまっていると思うんです。
しつこいくらいに言いますが、試写後に僕がその場をすぐに離れられなかった理由は、ここまで書いてきたようなことが瞬間的に頭の中をグルグル回っていたからなんだと思います。
改めてですが、本当に文頭の注意書きに漏れることなく『哀愁しんでれら』の映画的なポイントや面白い具体的な話を一つもせずに思いのままをたらたらと書き綴ってきてしまいました。
今思えば、どの口がこの映画を宣伝したいとか言ってたんだって話です。
でも、更にすみません。
こんな広報不向き野郎の僕にまだ余談がありまして。
もし万が一、まだ付き合ってくださる方がいらしたら、試写で作品を観た直後の僕のお話を聞いてやってください。

※以下は本当に余談中の余談で、映画を見終えた後の僕のただのブログみたいなものですので悪しからず!
その後に、キャストさん、スタッフさん、監督さんへの思いを綴っています。

「(とんでもない映画だ。これは、まず何から、一体何を、思えばいいんだ)」
『哀愁しんでれら』を観終えた僕は、グチャグチャになった頭でそんなことを考えながら背もたれに体を預けしばらく呆然としていました。
「(やばい。考えても考えても、考えられない。やばい。でも、考えずにはいられない。やばい。だから、考えなきゃ。でも、やばい… )」
その時の僕は、もはや何を考えているのかもよくわからない状態でした。
感覚で言うと、脳の中はギュウギュウに詰まっている感じもしたし、空っぽにも感じてもいたと思います。
そんなボーッとした(で合っているかすらわからないですが)頭をなんとか動かし、椅子にへばり付いた重たい腰を何とかギシシと持ち上げようやく席を立ちました。
会場から外へ出て、視界こそ僅かに開けてはいるけどフワフワとした無意識なような頭で何とか出口に向かいロビーを歩いていたら一人の男性の声が聞こえてきました。
「村上様、この度はご覧頂きありがとうございます」
夢心地でいた僕は、その声に気付き慌てて挨拶を返しました。
伺ってみると、その男性は『哀愁しんでれら』の宣伝部のお方で、僕みたいな者にわざわざ声をかけてくださった、とても気品のあるお方でした。
芸人の端くれの、一昨日から来た方がいいような僕にそうやって声をかけて下さるなんて光栄極まりなかったです。
そんな方が半人前の僕なんかに、言葉を続けてくださいました。
「よろしければ、映画のご感想をお聞かせ頂けたらありがたいのですが」
一昨日きてくれ。
そう思いました。
その時の僕と言ったら、寸前まで観ていた映画のことに考えを巡らせに巡らせ、その摩擦のせいでついさっきまで焦げ付いていた頭がまだ一つとしてクールダウンできていない状態だったわけです。
考えをまとめるどころかほぼ思考停止に近い状態なのに、そんな僕にましてや感想などふざけないで頂きたい。
言い方は悪いですが、事故に巻き込まれた気分になったほどです。
まぁでも逆に良い言い方をしたら、えっと…、ちょっと思いつかないんですけど。
ただ、仮にも僕が仕事関係者ということで試写に呼んでくださったチームの、しかも宣伝部の方がわざわざ感想を求めてくれているわけです。
それに加え、映画を観させてもらったこちらはビタ一文払ってないんですから。
仮にも40歳になる男として、微力ながら僕が出来得る仕事はしなければなりません。
そう発起した僕は有難いそのお伺いに少しでも応えようと、恐らく使い物にならなくなったであろう先ほどのあの頭を何とか再起動させて僅かでもいいから海馬を動かそうと試みました。
その結果、「あー、えー…」と悶絶するような声を漏らし体を捻りながら、ただただ天井を見上げることしかできない僕がそこにはいました。
難しすぎる問いを前にして、文字通り言葉が出なかったのです。
ただ、そう悶え始めてから数秒後、僕はあることにハッと気付き「あ!!!すみません!面白かったです!それもめちゃくちゃ!それはもう、はい!面白かったていうのは勿論あって!」と先ずすべき感想をやっとこさ吐き出しました。
そして、僕はまた「でぇー、えーっとー…」と言いながら天井に視線を戻したんです。
キモっ!!!
だって、あちらからしたらただ軽く感想を聞いただけなのに目の前で変な芸人が、苦しそうな表情で天井を見上げ、何故だか悶え始め、それに結構な時間つき合わされた後にいきなり「おもしろかったです!!!」などと誰でも言えるような感想を大声で言われただけですから。
でも、心の中では引いているはずのその方は「ありがとうございます」と大人の対応で答えて下さいました。
それなのに、僕はこともあろうにその優しさにあぐらをかき「あー、えー… ちょっと待って下さい!」と頼まれてもいない恐怖の延長コールをしてしまったんです。
宣伝部の方からしたら、地獄のまた待つんかい状態。
そんなことは傍目に、とことんタチの悪い僕はあの地獄の悶え天井見上げモードにまさかの再突入。
「えっとぉー、その、あれですね… はい… そうですね、はい、あの、はい…そうなんですけど…、はい… あのー、」
お前、もう帰れよ。
人の貴重な時間を奪ってまで、恥ずかしい。
クソ感想者が。
全試写会、出禁だよ。
ただ、ただ、わがままながらその時の僕の気持ちに戻って言わせて下さい。
あの心震わされた感動を、出来ることならその場で本当に言葉にしたかったんです。
それはもう、心底にです。
頭の中には色んなシーン、台詞、演者さんの表情、景色、他にも様々のことを受けて感じた感想があったんです。
でも、頭に浮かぶどんな言葉もしっくり来ないというか、口に出してしまったらその場で切り取られただけの、すぐに消えてしまいそうな言葉になりそうで、容易に吐き出したくなかったんです。
中途半端な吐瀉物は嫌だったんです。
吐くとしたら、僕を通したでっかい塊を、魂の言葉を身から投じたかったんです。
この映画は観終わってからすぐ僕の心に大きな何かを訴えかけまくってくれました。
先にも言いましたが、数週間経った今の僕に対しても同じまま尚そうなんです。
そうなったら、この作品はあのタイミングで当たり前に完結していないから、僕のこれから考えることと絶対に繋がってくるから、この先もずっと僕らの生活と結びついて来るものだから、先ずもって簡単に結論なんて出せるわけがないから、だからこそ僕はそれらを言語化できなかったんです。
すみません。
ここまで同じようなことをあれやこれやと長々言うのは、僕の気持ち悪い趣味なのかもしれません。
ただ、何度でも言いますが、こんな体験は僕の人生で未だかつてないんです。
そんなこんなで、今になって堪らなくなって、どうしようもなくて、noteの記事をこうして書き始めて、何日かかけて文字に書き起こしています。
それでもまだ、『哀愁しんでれら』という作品をやっとこさ1ミリくらい整理できたかなって感じです。
この言われようのない感情は一体なんなんですか。
ったく、もう。
は!
忘れていました、ロビーでの話に戻します。
所在なさげな男性を目の前にしながら、悶え続けていた僕は相も変わらず何も思えぬままそこに立ち尽くしていました。
そして、そんな色んなものが渦巻いた頭と、すぐそこにいる宣伝部の方の真っ直ぐな目が交わった瞬間だったと思います。
ジュン。
変な思わぬタイミングで、鼻のちょうど真裏くらいですかね、初めて感じた水分が込み上げて来たんです。
「え??? なんか、やばそう!」と思った時にはもう遅くて、恐らく涙みたいなもんがブワって勢いで昇り上がって来て、危ねえって止めようと思って、でもそれも虚しくもうチョビっと吹き出しちゃって、宣伝部の方が前にいるからその瞬間すんごく恥ずかしくて何だかわかんないけど申し訳なくて。
そうなっちゃうと、感情的にそれはもう恐らく止められないもんだろうって大人だからわかるもんで、反射的に止めようと頑張るけど、やっぱりどうにも抑えきれなそうで。
で、止めようと思ったその努力の結果。
ブワ!⤴️
クン!⤵️
ブブワ!⤴️
クン!⤵️
ブブブ⤴️⤴️
クン!⤵️
ブブブ、ブワ⤴️⤴️⤴️
ク,クン⤵️
ブワワワワワワ⤴️⤴️⤴️⤴️
ク⤵️
ブワブワブワワワワワワァー⤴️⤴️⤵️⤴️⤴️⤴️⤵️⤴️⤴️⤴️⤴️⤴️って
僕は変なリズムで泣くのを堪え、最終的に生まれて初めての形の涙の決壊を体験しました。
これまで映画を観ながら目の前のスクリーンに身を任せ、ほろっと泣いたり時には嗚咽したりなど何度も涙を流してきました。
実際に今回もこの映画に泣かされました。
はい、泣かされたんです。
ただ、思い出して下さい。
僕はこの映画を“観終わってから“、変な勢いで泣いたんです(劇中でも泣いた場面はありました)。
初めて会った人に感想を求められて数秒考えた後に、その人の前でこんなことになってしまったんです。
よく知らない涙を僕はそこで流し、それを必死に止め、でも流れて来ようとするから止め、また流れそうになるから止め、みたいなものをただただ繰り返し、結果、止めることが出来なかったんです。
その時、僕はずっとあの天井を見上げる格好でした。
それを見させられ続けた宣伝の方はそれはそれは戸惑い、引きに引いていたと思います。
引くでお馴染みのあの天下の引き潮も、もしその場にいたら自己ベスト更新レベルの引きを見せていたでしょう。
宣伝部の方にとっては、何の気なしに感想を聞いた後1分もの間、僕がこれまで書いた一部始終を見させられたわけです。
その時の宣伝部の方の気持ちを考えたら、元凶である僕が言うのもあれですが、本当に居た堪れない気持ちでいっぱいです。
しかもですよ、そんな全てを1人で受け止めなきゃいけなかったんですから。
目の前にいるそいつは情緒がどうにかしてるとしか思えませんもん、逆の立場だったら。
この場をお借りして、宣伝部のお方、その節は誠に申し訳ありませんでした。
今振り返ってみても、あのロビーでの一幕は本当に恥ずかしい出来事でした。
ただ!
一つだけ苦し紛れの言い訳をさせてもらうと、それもこれも『哀愁しんでれら』という作品が未だかつてない形で僕の情緒をどうにかさせる作品だったからなんです。
それだけは分かってください。
お願い致します。
…ん?
待てよ。
と考えたら、僕があんな辱めを受けさせられたのは『哀愁しんでれら』という作品のせいなんじゃないか?
だって、そうでしょ?
私事ですが、僕は過去何度かお邪魔させてもらった他の試写会で同じような失態を起こしたことは一度としてありません。
それはそれは社会人然とした紳士な振る舞いで、過不足ない大人の対応を完遂してきました。
今考えたら、そんな優等生な僕が今回のような一件を引き起こすなんて考えられません。
これはもう今、ハッキリと気付きました。
映画の試写界隈で安定のパフォーマンスを見せていたあの僕が、この映画に出会ったことで恥辱の淵へと追いやられたのです。
抗えば抗うほど、あんな深い沼に飲み込まれていったのは『哀愁しんでれら』という世界に触れてしまったからです。
そうかそうか。
僕に無邪気に微笑みかけてきた天使は、悪魔だったんだ。
許せない。
僕は今回の事件を絶対に許さない。
これは宿命だ。


申し訳ないが、僕は犯人を洗い上げることにする。
そんなことをする自分が性格が悪いってことはわかっている。
ただ、こっちは被害者だ。
その権利は間違いなくあるはずだ。
もう知らない。
趣味は悪いかもしれないが、これからその戦犯たちを一人一人炙り出させて頂く。
まずは、福浦小春を演じる土屋太鳳氏。
麗かという言葉が良く似合う、汚れなき真水100%みたいな女性。
稀代の品だけに包まれた人。
そんなあなたは、こちらがハッとするほどの役者として新しいページを開き過ぎた。
劇中に幾度となく魅せた、あの目だけでの演技はとんでもない威力だった。
そのせいで、いつもは万全なはずの僕の映画への感想が著しく妨げられた。
わかるよな、威力業務妨害罪だ。
続いて、泉澤大悟を演じる田中圭氏。
スマートなのに自然体な安心感があって、それでいて艶やかさも持ち合わせ、終いには機微のある笑顔を浮かべる男、そう信じられる人間だと思っていた。
それがどうだ、今作では真っ直ぐ過ぎる故の歪んだようにも見える感情の表現。
こちらを振り回す、そんな演技を見せられるとは思ってもみなかった。
こちらはそれに騙されたショックで動揺して、上手く喋ることができなくなったよ。
失望したよ、詐欺罪だ。
そして、泉澤ヒカリを演じるCOCO氏。
子ども離れしたカッコよさに加え、ワールドワイドなセンスの持ち主。
若くして既に一つの雲の上のような存在な子。
そんな君が見せてくれた子どもは、余りにも僕らに近かった。
君が笑えば心は洗われたし、君が叫べば心臓が震えた。
君を見ていると、開いた口がずっと塞がらなかった。
おかげで、言葉を奪われたおじさんは宣伝部の方の問いに対して閉口し続けることしかできない羽目になった。
やってくれたな、窃盗罪だ。
紹介しきれないが、他のキャスト陣も寄ってたかって最高の演技でドラマを創り出し、とことん打ちのめして来やがって。
俳優部全員だ、共謀罪も甚だしい。
照明部も画をより良く見せるように、絶妙な光を当ててその世界観を浮き彫りにした罪。
そこに存在する音はこれしかないという調度で様々な声を拾い上げた録音部も罪だ。
美術部もその見事な綺麗さで色んなものを手に取らせ易くしたという罪。
その時の感情をこちらに訴えかける色やコーディネートを施した衣装部も罪。
同じ様に他にも優秀過ぎる故、罪深きスタッフが沢山いたぞ。
お前達のしっかりとした仕事が透けるように見えたよ。
他にも、この映画に関わった全てのスタッフさんを洗い上げられなくて、ごめんなさいだ!!!
そして、それらを傍から見てこの映画を面白く見えるように転がしているフィクサーもいたらしいな。
Pとかいうコードネームの暗躍者達全員、何て罪深き人間たちなんだ。
で、その命を受けて一部始終を盗撮していたカメラマンも罪でしかない。
高性能なカメラを使って、その場その場を最高に切り取りやがって。
全員の親の顔が見てみたいよ。
でも、一番ヤバい奴を俺は知っている。
これら全ての糸を引いていた大元凶。
それは、渡部亮平という凶悪犯罪者だ。
こいつが撒いた種に全員が喰いついた。
お前のせいで何故か生まれたその世界に、これまで俺が吊し上げた人間が集まったんだ。
そんな支配者は、風上にも置けない。
だってそれをニヤニヤしながら、時には葛藤しながら、盗撮を始めとした諸々の準備や用意、全ての演出をしてたんだろう。
時間かけて何やってんだ。
変態じゃないか。
しかも、聞くところによると全てはお前が描いた台本らしいじゃないか。
とことん趣味が悪い監督だ。
で、これらを総じて渡部組だ?
ヤバい組だな。
ん?
それで、よくよく考えたら元はと言えば宣伝部のアイツが最終的に俺を泣かせたんだよな。
放火犯は現場に戻るって聞いたことがあるぞ。
絶対にそれみたいなことだ。
くそう、一番近くにも犯人がいた。
ただ、罪深き作品を試写会で観た俺は、そこで一度手を染めたのにも関わらず、その後オンライン試写でもう一度その罪的映像を観た(30代最後の2時間、40歳直前をこの時間に捧げた大罪)。

結局、僕も大犯罪者でした。
ただ、本当にそんなつもりはなかったんです。
良かれと思って行動したら、罪を犯してしまっていました。
だから、どうかこれを読んでくださった皆さんには絶対に僕と同じ罪を犯さないで頂きたいです。
お願いです。

『哀愁しんでれら』は絶対に観ないでください。





















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