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中年男の胸を突き刺す『権敷無妾付き』/冴えない中年サラリーマン①

子供向け漫画がほとんどの藤子F作品だが、少数ながら大人向け作品も存在する。その中から、中年サラリーマンを主人公にした悲哀たっぷりのお話をセレクトしてお届けしたい。 シリーズ名はずばり「冴えない中年サラリーマン」

子供向け作品となると、当然夢や希望のある終わり方が望ましく、藤子先生はその辺は外さない。しかし大人向けに振り切った時には、逆に戻れない人生の時間を強く感じさせたりして、読後感は結構辛いものがある。

本稿では「異色SF短編」の一本である『権敷無妾付き』(けんしきなしめかけつき)を見ていく。なお、タイトル中の「権敷無」とは、賃貸における権利金・敷金が無いという意味合い。妾の説明は・・カットします。


『権敷無妾付き』
「ビックコミック」1973年10月10日号/大全集1巻

本作を読み進めるにあたって、イソップ童話の「すっぱい葡萄」について確認しておくことをオススメしたい。詳しい内容は各自調べてもらいたいが、ざっくり、ブドウが入手できなかったキツネが、「酸っぱくて美味しくないはず」と負け惜しみを言うというお話である。


次に中年となった今の自分だから思うことを、少し書き出してみる。

ある一定の年齢までは、新しいこと、自分の身になること、刺激となることが身の回りに散らばっていて、それらを取り込むことで自分が成長している実感が湧いたものだった。

ところがある一定の年齢を過ぎた頃から、新しいこと、ワクワクすることが周囲からみるみる減っていく。その結果、気持ち的な停滞感にも繋がるし、力も出てこない。

そうして停滞が常態化すると、逆に新しいことが面倒くさくなったり、信じられなかったりする。新しい刺激を自ら否定してしまうのである。


中年サラリーマンは得てして、千載一遇の良い話があった時に、何故か目をつぶってしまってチャンスを逃し、その挙句負け惜しみだけ言う、という残念なことが起こってしまう。

まさしく「すっぱい葡萄」そのものなのだ。


では、そんな前段を踏まえて、内容を見ていく。

主人公は朴念寺清志、太い眉毛と濃いヒゲのいかにもおじさんといった風情の男性で、年齢は50歳くらいだろうか。職場ではカタブツとかマジメと言われている部長。家族は奥さんと息子、娘が一人ずつ。息子は中学生で、娘は小学校低学年くらいだろうか。

奥さんは良い人だと思うが、本当のところ、どういう風に夫のことを思っているかはわからない。急な女性からの手紙を見せてしまえる間柄なので、関係性は悪くないように見える。

ちなみに苗字の「朴念寺」は、頭でっかちな愛想の無い人という意味の「ボクネンジン」から取られている。


清志に、突然見ず知らずの女性から手紙が送られてきて、戸惑うところから物語は始まる。停滞していたはずの日常に、突如として新しいトキメキが届けられたのだ。

手紙には10月1日(月)午後6時に新宿中央公園にビックコミックを片手に会いに来て欲しいという誘いの文言。どうしてもお目にかかりたいということだが、具体的な要件は記されていない。

ちなみにビックコミックを指定しているのは、本作が掲載されたのがビックコミックであることから。また女性の名前が天知小百合となっているが、本作の発表時に中年男性に人気のあった「天地真理」や「吉永小百合」をイメージしているものと思われる。


手紙を受け取った冴えない中年サラリーマンの清志は、さっぱり心当たりがなく、どうもわからん、ということで、手紙をゴミ箱に捨ててしまう。しかし、結局は気にかかるので、もう一度手紙を拾い出し、出社する。

職場でも朝から手紙を広げて、もう一度読んだり考え込んだりするが、やはり「わからん」と言って、再度ゴミ箱に捨ててしまう。

その様子を見ていた部下の女性がゴミ箱から手紙を拾い上げる。手紙を読んだ社員たちは噂に花を咲かす。イタズラか否か、部長は公園に行くのか行かないのか。終業後、部下たちは清志の行動を追う。


会社を出て左に行けば公園、右に行けば駅でそのまま直帰である。清志は皆の期待に反して、右に折れる。部下たちは「やっぱりねえ!」という反応である。

しかし清志は、駅のキヨスク「オバキュー売店」でビックコミックを購入する。そして、雑誌を左手に新宿中央公園へと向かうのであった。

空いているベンチを見つけて座る清志。「夜の公園もいいもんだ!」と自分に言い聞かせたりして。しばらくして、近くに女性がやってきて座る。エヘンと咳ばらいをし、ビックコミックを見せびらかすように腕を動かしたりする。

反応が無いので、清志は思い切ってこの女性に話しかける。

「私ですよ!ほら!朴念寺です。いや、実は誰かのいたずらかと思ったんですがね・・。ひょっとして真面目な相談というケースもあり得ると思って・・・。失礼だがどちらのお嬢さんでしたかな?」

清志がどのように心の中で折り合いをつけてきたか、よくわかるセリフとなっている。スケベな興味を、真面目な相談のケースもあり得るというオブラートに包み隠したのだ。


ところが、この女性は別の男性と待ち合わせしていただけ。そして気がつくと、公園中にビックコミック片手に、時間を気にしている中年男性たちがわんさと湧いている。

「なんじゃこりゃ!」と呆れた清志は、クシャミを連発しながら帰宅する。奥さんは「珍しく遅かったわね」と迎える。既に寝ていたようだ。この会話からも、清志の生活が規則正しいものだということがわかる。


別日。今度は格安の「セカンドハウス」物件を見に、わざわざ会社を休んで現地へと向かう清志。これもまた突然届いた手紙の案内を信じてのことであった。ところが指定された住所はただの空き地で、マンションの影も形もない。

またニセ手紙に騙されたと憤る清志に、ベレー帽を被った怪しそうな男に話しかけられる。「お待ちしてました」と招かれるままに、近くのアパートの一室「千三津興信所」に通される。この男、探偵業の他にサイドビジネスをしていると言うのだが・・・。


男は清志「あなたにユメをお売りしましょう」と意味深なことを言う。要領を得ない清志に対して、男は番号の振られた女性の写真を何枚も出してくる。そして、

「まだおわかりになりませんか? お売りしようというのは、セカンドハウスプラス、セカンドワイフ。つまり妾宅! これみんな、オメカケ志望者です!」

いきなり妾(メカケ)を薦められた清志は、激昂する。「妾が欲しいなんて思ったこともない」と。ところが、探偵業の男は、清志を宥めすかしながら、ウソをついちゃいけませんよ、と語りかける。

男はここまでのネタバラシをする。
・商売柄調査済み。
・しかるべき地位や収入の方だけを選んだ
・中央公園に行った男性を写真に撮った

そして、清志の取った行動も踏まえて、
①女性の関心度
②家庭離れの欲求
③経済的裏付け
④積極性

これらの条件を全て満たされたというのである。


そして、妾を取る取らないで、男と清志が口論を重ねていく。清志の弱い部分に男が踏み込んでいく描写が抜群である。

清志「管理売春も手が込んできたものだ」
男「煩わしい家庭から解放され、好みの女性の心のこもった奉仕を受けられる。そこであなたは帝王として君臨される」

清志が一枚の女性の写真に目を止めていることに気付いた男は、

「先ほどから拝見してますと、特にその女性に興味をお持ちのようですな。毎週火曜の夜、あなたのものになります」

清志は、「自分は妾に興味はない、周囲からはカタブツ・マジメ部長と言われている」と反論するが、男は「それは悪口だ」とあっさり答える。

「マジメ人間とかカタブツを翻訳するとこうなります! ツマラン人間、ガチガチ人間、ヤボ天のボクネンジン!! 沈香も焚かず屁もひらず、人畜無害の空気人間!」

ズケズケと痛いところを突かれ、うまく言い返せずまま、部屋の住所と鍵を渡される清志。男は次なる顧客が現れたので、そっちに行ってしまう。バカにしてる、と言いつつ、鍵を持ち帰る清志・・。

ちなみに男のセリフに出てくる「沈香(じんこ)も焚かず屁もひらず」は、可もなく不可もなくな様を皮肉っぽく表現する故事である。


この日から火曜日まで、清志の逡巡が続く。妾などけしからん。道徳や倫理はどうなっているのか。妾になりたがる女も女だ。・・・心の声はそのまま本当の声に出してしまうので、周囲が眉をひそめる。

やがて清志は、妾志望の女に一度会って、不心得を諭してやろうという結論を導き出す。スケベ根性を正当化させるための、無理やり作り出した口実である。


火曜日。指定された部屋に入るや否や、「お帰んなさい、パパ!」と、若い女性が飛びついてくる。額にキスをして、清志を部屋着に着替えさせると、ご飯かお風呂かなどと聞いてくる。

女性のペースに巻き込まれた清志は、あちこち動き回る女に対して、話を聞けここへ座れと大声を出す。すると、女性は「なあにパパ?」と清志の足の上に腰かけてくる

清志は女に自分には妻の子もいると告げるが、「おメカケで満足、週一度でもパパが来てくれれば」と意に介さない。そして女は、お風呂を作りにバスルームへ。

清志も風呂場にいくと、女がバスタオル一枚になっている。ここから女が大攻勢を掛けてくる。逃げ出そうとした清志を裸で抱きとめ、妾はビジネスでしているけど、パパのことは一目見て本当に好きになったのだと言う。

清志は・・女を振り払って、部屋から飛び出していく。「家内は自分を信じ切っている。信頼を裏切れない」と言いながら走り出す。


そしてここからは、男の自己正当化が始まる。自分は信頼されているのではなく、馬鹿にされているのでは。妾の女性は自分を愛している、信じて欲しいと涙を流した。世間には一目惚れもある。自分がモテないというのは思い込みだったのでは・・。ブツブツと逡巡し、自分は乙女の愛を踏みにじったのでは、と思い至る。

「そうだ!! 男ならその愛に応えるべきだ!! 愛こそは人間の生きる証なのだ!!」

最終的に妾の愛情を信じた清志。もう一度部屋へと走って戻っていく。ところが、部屋の前まで来ると、中から女の声が聞こえてくる。

「あったまきちゃってさ! 言われた通りユメを売ろうと一生懸命やったんだよ! 何やっても通じないんだもん、あのボクネンジン!」

妾は興信所にいた男に愚痴っているのである。男も「世の中にはどうしようもない男もいたもんだ」と続く。清志は少なからぬショックを受けて、トボトボと帰路に就く。

「魔が差したとしか思えん。フン!妾なんて!」


週末。清志は娘ちゃんに絵本を読んであげている。内容から察するに、イソップ童話の「すっぱい葡萄」である。

その様子を庭から見ながら、奥さんと近所の女性が話している。

「ほんとにいい御主人で奥さまお幸せね」

対する奥さんはにこやかに、

「さあね、どうですかしら・・・・」

と答える。含みがありそうな答えにも見受けられる。


トキメキを失った中年男性に突如舞い込んだトキメく話。信じたいが信じられない女の愛。散々惑った挙句、愛情を得ることもなく、かえって己が傷ついただけ・・。

実は二十歳くらいの時読んでもさっぱり面白くなった作品なのだが、今読むと、心がズシリと痛い。そして我が事のように思えてならない。子供ごころを掴むことに長けたF先生は、実は中年ごころもガチっと押さえる作家なのであった。


「異色短編」考察、大好評です。


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