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俺は、俺たちになった!『俺と俺と俺』/クローン取扱注意④

自分のクローンを作るということは、別の人生を作るということ。

そんなことを考えさせてくれる作品『俺と俺と俺』を紹介していく。


これまで3本のクローン作品を記事にしてきた。クローンを作ってしまうということは、もう一人の人間を作ることなので、そう簡単には収まらない。それぞれどのような決着をしたのかまとめてみた。

①『ジャイアンよい子だ寝んねしな』
のび太がジャイアンとスネ夫のクローンを作り育てようとして挫折。クローンが取り消しボタンを押して髪の毛に戻ってしまう。
<時間遡りパターン>
②『恋人製造法』
中学生の内男が好きな女の子のクローンを、宇宙人のクローン製造機によって作り出す。しかし隠して育てるのは限界と分かり、自分のクローンを宇宙人に作ってもらい、二人で宇宙へと旅立っていく。
<宇宙に送り出すパターン>
③『有名人販売株式会社』
浪人生の鷲塚の元にファンのアイドルのクローンが送られてくる。二人は逃避行するが、元になったアイドルが自殺してしまい、クローンが代わりに本物を演じることとなる。
<入れ替わりパターン>

クローンというSF作家魂をくすぐるネタを使って同じようなお話を構築しているようだが、落とし方のバリエーションが豊かである。そして本作もまた、異なるパターンのラストを迎えることになる。


『俺と俺と俺』
「GORO」1976年7月8日号/大全集異色短編4巻

これまでの3本のクローン作品と本作が大きく異なる点は、自分のクローンが登場するということだ。突然自分が二人になり、それほど取り乱さずに自分たちが置かれた状況を受け入れる。何となくクールな始まり方である。

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夜遅く、リュックを背負って帰宅してくる男。名前は黒田弘、29歳。妻(ワイフ)は和子、26歳、角のスナックでパートをしている。黒田は部屋の前で「遅くなった」と和子を呼ぶと、自分が中から顔を出す

二人ともこの部屋が自分の部屋だと譲らないので、「立ち話もなんだから」と、両者、部屋の中に入って話し合うことにする。二人そろって洋ダンスからウイスキーを取り出す。どうやら記憶は一緒であるらしい。

幸い(?)二人はSF愛好家だったこともあり、比較的冷静に二人が同一人物であるという不動の事実を受け止める。「俺は俺たちになった!!」と名言も飛び出す。

なぜ二人になったのかについて、「パラレルワールド」説だ、「タイム・スリップ」説だと議論が白熱するが、そこへ和子がパートから帰ってくる。二人とも玄関に向かうが、二人同時に顔を出すわけにはいかない。

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そこで和子にタバコを買ってくるよう頼んで、その間にジャンケンをして負けた方が家を出ることにする。最初に帰宅していたランニング姿の黒田が出ることになり、仕方なく一人暮らしをしている会社の同僚、沢井のアパートへと転がり込む。

「複雑な理由があるので一晩泊めて欲しい」とお願いするが、沢井はうるさ型の黒田の妻のことを気遣って、勝手に家へと電話を入れてしまう。

「ご主人を預かってます。今夜は僕と一夜を共にします。ご安心を」

という沢井の発言を和子は聞くが、黒田は自分の目の前にいる。

おそらくいつも麻雀などで遅くなる時には沢井が電話を入れて妻を安心させていたのだろう。ところがそれは口裏を合わせた嘘だったと和子は判断する。

急に顔色を変えて「今までもこういう手を使っていたのね」と狂暴化する和子であった。

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翌朝、沢井の部屋に泊まっている黒田は、二人で出勤するわけにはいかないので休むことにする。黒田は前の日も登山を理由に会社を休んでいたようで、出勤する沢井は「今日も会社休んでいいのか」と聞いてくる。「出るに出れないので放っておいてくれ」と沢井を送り出す。

沢井はここでも余計な気を利かせて、課長に嘘の報告をする。「黒田は出勤したがっていたが発熱して頭が上がらない状態だ」という仮病の報告である。するとそこへ、黒田が「遅くなっちゃってすんません」と出勤してくるのだった。


その夜、二人の黒田は公園で落ち合う。家の黒田は着替えと当座の資金として27500円を渡す。厳しい財政事情を反映した金額感である。

二人はどうしてこんなことになったのか。まずは二人で、今日までの記憶を突き合わせることにする。

・新潟県三島郡寺泊町出身(←現長岡市)
・昭和22年4月14日生まれ
・幼稚園の亀山先生は足が綺麗だった
・・・

話しても話しても内容はそっくり同じ。つまり、二人が分裂したのは最近のことであるらしい。

しばらくして、二人は同時に「ひょっとしてあれかな!!」と、同じ場面を思い描く。昨日の登山の際、山の中で大きなくぼ地の底に変な植物を見つけ、棘に指をさされた場面である。

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「俺は一瞬気を失った! ぼんやりしてリュックを置いて帰ってしまった」
「十時間は気絶してた。しかも素っ裸。リュックから着る物を取り出し、靴を麓の農家に借りた。」

と、初めて記憶が真っ向から食い違いを見せる。

これは現場に足を運ぶしかない。翌日朝早く、山へと向かうことにする二人。


現場はまるで隕石が落ちた後のような窪地。わずかの間に雑草が茂っている。そこから昨日刺されたつる草を見つける。よく見ると人工物のようだ。そこで二人は根元を掘りだしてみようと意見が一致する。

すると草の根本にはタンクのような機械がくっ付いている。異種の文明機器であるようだ。すると一人が再びつる草に刺される。「ヒュルルル」と機械音が作動する。二人は同時に厄介ごとが増えたと直感する。

少し離れた場所で何かが光っている。つるが伸びたその先に人間のようなものが包まれた袋が繋がっている。

このつる草は「クローン培養機」であったのだ。トゲが「細胞採取装置」で、採取したDNA情報を元にコピーが作られる。今から「第三の俺」が生まれつつあるのだ。

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袋の中身は次第に俺たちと変わらぬ背丈となる。一人の俺が、岩を持ち上げ、クローンが生まれる前に潰そうと考える。が、やっぱり手を下せない。仕方なく、タバコを吞みながら自分の誕生を見守ることにする。


新しい自分が生まれようとしている。二人はそれを見ながら同時に、それほど悲観した話ではない気がしてくる。それどころか、今まで考え付かなかった素晴らしい生活があるのではないか?

二人は徐々に盛り上がっていく。子供の頃から夢見ていたこと。それは何だっていい。これから第二・第三の人生をそれぞれが歩んだらいいのではないか。そして、

「定期的に三人が入れ替わる。時には家庭の束縛を脱し、時にはマイホームの甘さに首まで浸かり、時には新たなるロマンスも…」

二人は固く握手を交わし、新しく生まれてくる第三の俺に向かって話しかける。

「やあ、気がついたかい。俺たちは新しい俺を大歓迎するよ」

本作は<積極受け入れ型>といったラストとなった。

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人間の可能性は様々だが、その中から何か一つを選ばなくてはならない。選ぶことは捨てることだ。思い描いていた夢のほとんどは叶うことがない。

藤子作品では「パラレルワールド」を通じて今の自分ではない自分を描くことも多いのだが、本作もクローンを題材にしながら、人生の選択や可能性についてを描いている。

自分のクローンを作るということは、別の人生を作るということ。

そんなことを考えて、本稿の結論としたい。


藤子先生のSF短編の解説やっています。


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