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初期ドラ最大の問題作・ガチャ子が操る「クル○ーでんぱ」

『クルパーでんぱ(おかしなでんぱ)』
「小学一年生」1970年11月/藤子・F・不二雄大全集3巻

初期ドラえもんに5作だけ登場して、その後単行本にも収録されず完全に消えたキャラクター、ガチャ子。ガチャ子とは何者かという記事は前回書いているので、できれば先にご一読いただきたい。

ガチャ子5作のうち、最後の登場となった「クルパーでんぱ」という作品があるのだが、これがタイトルから予感できるように、現在では公にできないような内容となっている。

今回はその初期ドラ最大の問題作と言える、本作を検証していこう。

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学校生活をしているのび太君。授業では15-1=10と計算してしまったり、徒競走でもビリを快走するなど、何をやってもダメだと、友だち(主にスネ夫)にバカにされる。

ちなみに初期ドラの、特に低学年向け作品では、のび太の敵役はスネ夫である場合が多い。「意地悪」というキャラクターが、最初の関門にピッタリなのだろう。ジャイアンは「乱暴者」なので、相応しい敵役ではなかったのだと思われる。

翌朝のび太は、バカにされるので学校に行きたくないと駄々をこねるが、そこにガチャ子が、引き出しの中から現れる。ガチャ子4カ月ぶりの登場なのだが、この間不在だったのは未来に帰っていたからだろうか。

ガチャ子は、バカにされないようにするので、のび太に学校に行けという。ドラえもんは何をするつもりか聞くのだが、ガチャ子は内緒だと言って答えない。

学校では、皆の様子がおかしくなっている。先生は1+1が解けなくなってしまうし、鼻水やよだれを垂らし、目つきも怪しくなっている。生徒も皆バカっぽくなっている。その中でのび太は1+1=2と答えて驚かれるし、競争でものび太が圧倒的な一番となる。

皆にチヤホヤされる姿は、「一生に一度は百点を」の冒頭の夢のシーンとほぼ同じ構図となっている。

気持ちよく帰宅するとドラえもんとガチャ子が口論となっている。この二人、ガチャ子の初登場からずっと喧嘩ばかりで、結局最後までそれが続いてしまっている。両雄並び立たず。喧嘩でしか成立しない関係性だということだ。

ガチャ子は、クルパーでんぱ(おかしなでんぱ)を発射して、のび太以外の人をパーにしていたのである。のび太はしばらくこのままにしたいと言うのだが、パパママが大変な事態に陥っていた。

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パパは会社にも行かず西部劇ごっこをし、ママは金魚をクジラに見立てて釣りをしている。その姿はいわゆるアッパラパーというやつ。

当然ママはご飯も作れず、パパも慌てて会社に向かうが、行き方を忘れて戻ってきてしまう。

のび太は、パパには代わりに会社へ行ってと頼まれ、ママにはご飯作ってと抱きつかれる。そして二人は「はあらへった、はらへった」と踊り出すなど、完全なカオス状態に陥る。

早く直して、と懇願するのび太に、やれやれ顔のドラえもんと、どこ吹く風のガチャ子なのであった。そしてガチャ子はこのコマを最後に姿を消してしまう。

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本作は藤子・F・不二雄大全集では、「おかしなでんぱ」と改題され、作中のセリフも改変が施されている。セリフではうまくヤバさを解消させているが、おかしくなった両親や先生に対する容赦ないアホっぷり描写は健在だ。

F作品では主に「パーマン」で、クルクルパーの表現が割と散見される。

この時代、精神病患者などに対して狂っている、というような表現がごく普通に使われていた。これ自体、今の時代からすれば大いなる偏見に基づく表現だが、時代がまだ追いついていなかった。子供向けマンガを主戦場としてきたF先生ですら、本作のような表現を採用していた点が何よりの証拠であろう。

本作は、藤子・F・不二雄大全集の収録にあたり、偏見に基づく表現は、現代の常識に照らし合わせて、大きく改変を施された。

ちなみに藤子作品だと、狂人ネタの他には、食人族のネタが改変のターゲットとされることが多い。この部分はまとめていずれ検証しなくてはなるまい。

Fマニアとしては、やはり元々の表現通りで読みたいし、差別の歴史を隠すことなく明らかにするべきという観点から、作品の改変については基本反対である。その一方で、注意書きや差別史についての注釈を加えるべきだとも思う。


ところで、ガチャ子と「クルパーでんぱ」を調べているうちに、衝撃的な事実を知った。それが何と本作が最初のドラえもんのアニメ化の第一話で放送されたというのである。

いまやドラえもんの黒歴史と言われている、最初のアニメ作品は、現在本当に見ることが困難だ。けれど死ぬ前に一度は目にしたいと強く思い直したのであった。

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