作画4人体制? 異色のべんきょうまんが「パン太くん」/ちょっぴりマイナーな幼児向けF作品⑨
膨大な量を誇る藤子作品から、あまり世間的に知られていない幼年向け作品をご紹介していくシリーズの第九弾。これまでは名前は聞いたことがあるタイトルが多かったと思うが、本作の存在は本当に知られていない。かなりマイナーな一作だ。
僕自身も大全集の発売で知って、初めて読んだ作品である。そのタイトルとは、「パン太くん」である。
まずなぜマイナーかといえば、全部で4作しか描かれなかったという理由が一つ。しかも、F先生自身が作画まで担当されたのは初回のみで、残りの3作品はネームのみで、作画は当時のアシスタントたちが描くという異例の作品となっている。
その意味では、レア中のレア作品である、実際にネット上で「パン太くん」を扱った記事などはほとんど見たことがない。
全4話、かつ全てが1~2ページの作品ということで、あっと言う間に紹介し終えてしまうかも知れないが、どうぞお付き合いいただきたい、
まずは本作が執筆された1973年とはどういう年だったのか、確認してみよう。
藤子先生は1970年から「ドラえもん」という自身最大のヒット作の連載を始めている。しかし連載開始当初は思ったより話題にならず、信じがたいことに打ち切りの話も出ていたとされる。
実際に1971年の4月からは「新オバケのQ太郎」の連載が、学年学習誌で一斉に始まっているが、これは「ドラえもん」に代わる作品という意味合いがあった。
しかし「ドラえもん」に手応えがあったとされる藤子先生は、「ドラえもん」の連載を維持しながらオバQを描いている。1971年4月からでは「ドラえもん」が4誌、「新オバQ」が10誌での連載だったことから、「ドラえもん」が劣勢だったことが伺われる。
オバQは丸二年の連載期間だったが、その後も「ドラえもん」と並行してかなりの数の別作品が学年学習誌にて連載されている。それが「ジャングル黒べえ」だったり、「モッコロくん」「バケルくん」「みきおとミキオ」等である。
そういう最も多作だった時期が1970年~1975年くらいであったが、「パン太くん」もその中の一本だったのである。
ただし、本作はそうした超多忙期の作品だったこともあるのか、一作目以外は作画をアシスタントの方々に任せている。しかも3作とも作画の方が違うという異色な作品群であった。
「パン太くん」のコンセプトは「べんきょうまんが」である。毎話、読者となる小学一年生~二年生に対して、漫画を読むと何か新しい知識が身につくという内容になっている。
後ほど詳しく見ていくが、今でいう「生活」教科の勉強要素とギャグを織り交ぜた作品となっていて、理想的な「べんきょうまんが」だと言える。
主人公の名前はパン太くん。おそらくは小学一年生のパンダである。家族には年の近いと思しき妹に、パパとママのパンダがいる。
少しおっちょこちょいだが、色々と物知りなライオンの先生が毎回登場して、知識を披露してくれる。友だちはネコやタヌキやサルやイヌなど。「パン太くん」の世界では、色々な動物が一緒になって生活しているようである。
それでは一本ごとに詳しく見ていこう。
本作は藤子F先生が作画している。一月号掲載作品ということで。たこ揚げがテーマである。パン太の妹の凧が破けてしまい、お兄ちゃんのパン太が貼り直して、パンダの絵を描いてくれる。
凧を持って空き地に行くと他の動物たちも集まっていて、そこへライオンの先生も凧を持って現れる。そして唐突に、「君たち、タコは、なぜ揚がるか知ってるかい」と尋ねてくる。
次の一コマで凧が揚力で浮上することを図解している。ここが「べんきょうまんが」のハイライトである。
そしてオチとしては、先生が凧を揚げようとして、全然うまくいかず、「知ってるだけでも、ダメなんだなあ」と生徒たちに指摘されるというもの。その直前のコマで「先生は何でも知ってるんだなあ」と感心されているので、見事なフリとオチとなっている。
第二話目は、作画をしのだひでお先生が担当されている。しのだひでお氏は、完全なる藤子スタジオのアシスタントではないが、一時期はスタジオに机が用意されて、F先生A先生の一部の作品の作画協力をしている。
「ドラ・Q・パーマン」の作画を担当されていることでも知られており、藤子先生の信用の厚い方であったようだ。
お話はパン太が草むらで爪切りを落としてしまい、探しているところからスタート。先生が磁石を使って見つけ出そうと提案し、集まってきた生徒たちに磁石を引きずらせて、草むらを探す。
すると爪切りが見つかり、他の仲間は空き缶や釘などを吸い寄せる。そして、ここで「磁石は鉄でできているものをくっつけるんだ」という説明コマが入る。
そしてオチ。先生の磁石が紐から切れてどこかへ行ってしまい、半泣きで草むらの中から磁石を探すハメになるというもの。こちらもお後が宜しいようで。
本作の作画は永田竹丸先生が担当している。永田竹丸氏は藤子F先生とほぼ同じ歳の方で藤子不二雄両先生やてらだひろおらが結成した「新漫画党」のメンバーの一人。1970年代の超多忙期の藤子スタジオにおいてチーフアシスタントをしていた。
パン太たちは影踏みごっこで遊んでいると、段々と影が長くなってくる。そこへ先生が登場して、「陽が落ちてきたからだ」と教える。そして、太陽の位置で影の長さが変わるという説明コマが登場。
ラストは日が暮れるから一緒に帰ろうと言うことで、先生と生徒が一列に横並びして帰路につく。背が一番高い先生の影が一番長いね、というほのぼのした気持ち良い会話で終わり。
小学二年生に学年が繰り上がっての連載継続。(ただしこれで最終回)
作画は松山しげる先生が担当されている。
4月号作品ということで、春がテーマ。パン太兄妹が歌いながら森を散歩していると、木の室(むろ)で寝ていた熊が、目を覚ましてしまい「うるさい」と怒る。
ここで唐突に先生が登場して、熊は冬の間眠っているという、冬眠の説明が入る。そして先生が熊に「もう春が来たんだよ」と説明すると、熊は喜んで起きだす。
パン太は帰宅すると、ママからお使いを頼まれるのだが、「冬眠しています」と張り紙をして、押し入れで眠ってしまうというオチにて終了である。
しかし、藤子作品は読んでも読んでもまだまだ出てくる。本作のようなあまり知られていない作品を取り上げるたびに、作者の膨大な執筆量に驚かされるのである。
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