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シニカルなロミオとジュリエット『宇宙人レポート サンプルAとB』/宇宙人に観察される①

藤子作品におけるSFとは、「少し不思議」であることは良く知られている。しかし、藤子先生が残したSF短編の数々は、とても「少し」なんていうレベルではない。価値観の逆転だったり、未来予測だったり、奇抜な設定だったりと、ハードSFそのものである。

絵柄が例のかわいいタッチなので、「少し不思議」という言葉が良く似合うのだが、実際のところハードなSF作家だという認識をきちんと持っておくべきと考えている。


そんな藤子作品の中で、現実の人間社会を全く別角度から捉え直すタイプのSF作品がいくつか存在する。特に、宇宙人が地球人を観察するという形式で、人間生活の営みを客観視する試みがなされている作品がある。

「神の視点」を持ち込んで人間を客観視するという思い付き自体は、それほど目新しいものとは思わないが、このアイディアを着地させるのには、相当なSF的手腕が必要だ。

新感覚の表現を用いらなければ、それはただの企画倒れとなってしまう。どこかで見たような表現では、作品への驚きが出てこないからである。


そこで、「宇宙人に観察される」と題して、全3回に渡り、藤子先生が抜群のセンスで人間生活を捉え直した作品群を紹介していきたい。

3本とも構造は同じ。宇宙人が、地球人を観察するというものだ。その同一構造の中で、藤子先生が成し遂げたものを是非ともご堪能いただきたい。


『宇宙人レポート サンプルAとB』
「別冊問題小説」1977年夏季特別号/大全集4巻

まずは一本目。徳間書店発行の「別冊問題小説」に掲載された作品となる。

本作最大の特徴は、画を藤子先生が描いていないという点にある。本作で画を担当したのは、女性マンガ家の小森麻実氏。藤子先生がネームまで書き上げて、画だけを小森氏が担当している。

小森氏は「ドラとバケルともうひとつ」という企画において、『リトベラのたて琴』という作画を担当したことで、藤子ファンの間で知られた存在である。『リトベラのたて琴』で小森さんの絵柄を発見し、以前から秘めていた本作のアイディアを成就させたようである。


本作はタイトルからわかる通り、宇宙人が地球人をレポートするという立て付けとなっている。あくまで第三者的に、地球と地球人について、詳細にレポートしていく。

読み進めるとすぐにわかるが、宇宙人が観察しているのは、「ロミオとジュリエット」の世界である。

「サンプルAとB」とは、ロミオ(男性)とジュリエット(女性)のことであり、シェイクスピアの悲恋をモチーフにして、人間の男女の恋愛感情を、冷徹に客観的に捉え直すという挑戦をしている作品となる。


まずは、この作品を理解するために、藤子先生のインタビューが残されているので、一部抜粋しておきたい。本作の狙いがほぼ全て語られている。

「ボクらが非常にロマンチックに考えている恋愛感情というものも、ちょっと離れたところから見ると、実に生物学的と言いますか、あらかじめプログラミングされている種族保存の本能を色々と複雑化して楽しんでいる、案外それだけのことじゃないかという気もするわけです」

(東京三世社 漫画スーパーギャンブル7月号増刊
「少年/少女SFマンガ競作大全集」PART2 1979年7月25日号)

普段、子供向けの作品を描いているとは思えない程の冷徹さが見られる。このSF的な顔こそが、藤子先生の真骨頂なのである。

インタビューでは藤子先生の冷徹さを踏まえて、「シニカルな作品」だと指摘されるのだが、

「なるべくシニカルに徹しようと思って描いたんですが、やっぱり結末の部分で甘さが残ってしまいましたね。突っ放しきれなかったというか、本当はもっと辛口にしたかったんですけど・・・」

と答えている。


先に書いてしまうと、本作は「ロミオとジュリエット」を場面ごとにシニカルな表現に逐一置き換えていく構成だが、ラストではオリジナルな結末を用意している。

このオリジナルな部分を指して、甘さが残ってしまったと語っている。後ほどまた触れるが、藤子先生はこのように答えているものの、僕としては本当の本音ではないような気がしている。非常に狙いの籠ったラストだと思われる。


作品内容をざっと見ていく。ストーリーは「ロミオとジュリエット」そのものなので多くを語らず、藤子先生の「置き換え」について抜き出していく。

まずは序盤から
・海水→塩分
・人間→炭素系生物
・衣服→繊維質の外皮
・歩行→二本の下肢の付け根を支点とし、重心の移動によって前進する
・会話→大気の波動(口=発振器官・耳=受振器官)

この調子で進んでいく。人間を炭素系生物としてしまうのは笑ってしまう。

人間=炭素系生物


宇宙人たちは、まずロミオ側=サンプルAから観察していく。

・家=石と木で構築された巣
・家族=巣に共生する個体

食事のシーンのレポートが、藤子先生の力が入っている。

(食べ物を)身体上部の穴へ押し込む。これを摂取することによって、身体構成素子を増殖し、活動のエネルギー源としているらしい。数時間後、不要物質排出が見られた。摂取→排出孔は曲がりくねった長い管で接続されている。極論すれば、この生物のモデルは一本のチューブで表し得るわけだ

人間をチューブ扱いである。


さらに観察は続く。
・灯り=可視光線を酸化熱によって作り出す
・ダンス=上肢をつなぎ合い、律動ある単調な運動を繰り返している
・音楽=特定の周波数律動、組み合わせによる振動が快いものである

そして、ロミオとジュリエットが邂逅する。男女の出会い(一目ぼれ)をどのように表現するのだろうか。なお、ジュリエットがサンプルBである。

A、B両者の受光孔はいっぱいに開かれ、一ルックスの反射光を逃すまいとした。酸素吸引器官は平常時の1.3倍の速さで動き、酸素及び栄養搬送のための液を体内に送り出す器官は、実に2.5倍の運動を開始した。

見事にロマンチックではない表現に落とし込んでいる。


宇宙人たちは二人の「恋愛感情」を理解できないようで、彼らのレポートでは「この異変の原因は不明である」とされる。以降、この不可解な「恋愛感情」について、一体どういうものなのか、そこに興味がフォーカスされていく。

宇宙人には「恋愛」が理解できない


まず宇宙人が考えたのが、人間のルックスである。

一つの因子と推定されたのは頭部表面の凹凸である。他の個体の観察例を集計した結果、凹凸の微妙な差と異変との間に、明らかな相関関係が示された。

要は、見た目重視という身も蓋もない結論にしている。


続けて、「ロミジュリ」の名場面、あのシーンがシニカルに語られていく。

AはBグループ群生地に引き返し、Bの静止室に接近した。静止室外台上にBが現れた。両者の間には、未知の吸引力が作用しているごとく思われる。大気振動の応酬が再開される。ひそやかに・・しかし熱中して・・応酬は明け方近くまで続けられた。

ちなみに「静止」とは睡眠のことである。


ロミオとジュリエットは、対立した一族の男女だが、その恩讐を超えて結ばれる。結婚式が行われるが、その模様のレポートも秀逸だ。

この儀式には第三者が介在していたようだ。「至高の存在・万能者」などと呼んでいた。そんな高等動物になら是非会ってみたいと手を尽くして探査したが、ついに発見できなかった。

有神論者が聞いたら怒り出しそうな文面となっている。


ロミオとジュリエットは結婚したが、ロミオの親友が殺されたことでカッとなり、ジュリエットの親戚をロミオが殺してしまう。これにより、二人の間は引き裂かれることになる。

ここから、ロミオとジュリエットがたった一晩だけ二人で過ごすシーンが出てくる。元の戯曲でこういったシーンがあったか忘れてしまったが、この性行為の描写がまたも凄まじい。

外皮を取り去った両者の体には相違点がある。AとBはその相違点を奇妙な形で利用しあったのである。この行為は、相求める両者の欲求の帰結であったらしい。AもBも深い充足感に満たされた。相違点の利用は、夜中、飽くことなく繰り返された。

性行為を種族保存の本能の帰結と捉える、アンチ・ロマンティズムな表現である。おそらくこの部分を藤子先生は描きたかったのではないかと想像される。

宇宙人には「切なさ」が理解できない


夜明け、ロミオとジュリエットがベッドで会話をする。別れる運命にある二人の切ない会話のはずが、宇宙人のレポートでは全くの無感情表現となる。「朝が来て欲しくない」という切なさが微塵も感じられないことになっている。

その後、二人は仮死の毒を使った計略に失敗するのだが、ここについては、

その後のバカバカしい経過については詳述する必要もあるい。全て彼らの貧弱な知覚能力と鈍い洞察力のためにおきた、手違いにすぎないからだ」

とバッサリ。確かに取ってつけたような勘違いが起きるが、それが物語というものでは・・。


ロミオとジュリエットが死に、両家の対立は解消されるが、宇宙人たちは既に人間観察の興味を失っていた。AとBが求めあう力の激しさにもっとも惹かれたからである。

そこで宇宙人たちは、二人を再生させて、二人だけでも暮らしていける無人島に送ることにする。宇宙人の最後の関心は、二人が惹かれ合った激しい力は不変なものか、風化して変質してしまうものなのか確かめることであった。

ところが、この結末を宇宙人たちはレポートしない。500年経っても実験結果を調べに戻ってこなかったからである。

愛は続くものなのだろうか?


この本作におけるラストシーンを、藤子先生は「甘かった」と振り返っている。けれどこの「甘さ」こそが藤子作品の良い点だと心から思う。

本作の着想は、「人間の恋愛は種族保存の本能によるもの」だというところから始まっている。この流れからすれば、愛し合った二人は子供を産み、そこで本能による愛情を失ってしまうことが予測される。

しかし、私たち人間は種の保存という役割を終えた後でも、家族として、夫婦として暮らしていくことになる。それは恋愛感情とは違うものかもしれないが、それもまた別の愛情に違いない。この部分を突き放して考えることは難しいのだ。


なので、本作のように、結ばれた後のロミオとジュリエットのその後は読者に委ねるという姿勢こそが、藤子先生らしい物語の帰結なのではないかと、僕は考えるのである。


SF短編の考察やっています。


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