悪魔に悪魔と叫ばれた男。『メフィスト惨歌』/ちょっぴりホラーな物語⑧

「ちょっぴりホラーな物語」と題して、ホラーテイストで描かれた藤子F作品を調べているが、今回は洋ホラーの象徴である悪魔(メフィスト)をテーマとした作品を検討していきたい。

もちろん、悪魔ものと言っても、藤子先生が良くあるお話を展開する訳がない。従前たる「悪魔と悪魔に魂を売る人間」という構図を利用しつつ、そこに独自のヒネりを加えている。

また、悪魔という存在を古式ゆかしき存在、すなわち時代遅れの遺物という捉え方をしているのだが、悪魔に対抗する手段として、近代的な要素を武器にしている。この点が本作最大の特徴となっているので、後ほど詳細に説明する。


『メフィスト惨歌』
「漫画アクション増刊S・F1」1979年4月14日号

本作は双葉社発刊の「漫画アクション」の増刊に掲載された一作目の作品。漫画アクション系には、1978年頃から年間3本ペースで、計17本の作品を発表している。

藤子先生は執筆雑誌の読者のニーズにピタリとハマるSF(少し・不思議)作品を描き分けていたことで知られているが、見事に漫画アクション読者(=バリバリのサラリーマン)の心を掴む作品ばかりである。

本作は少し冴えないサラリーマンが、ちょっとした「悪魔の心」で成功を掴み取るお話となっている。もっとも、作品を精読してみると、主人公はサラリーマンの方では無かったことに気が付くことになるのだが・・。


なにはともあれ、一応の主人公の名前は高木健。パッとしない風情の男性である。冒頭、幼馴染みの瀬川ユリにフラれるシーンから幕を開ける。

「二人の仲はこれっきりというわけ?」とユリに尋ねると、「意味ありげな言い方はよして、単に幼馴染みってだけのことなのに」と非難されてしまう。高木健の認識とは異なり、ユリは最初から付き合っていないと言わんばかりである。

ただ、高木健の独りよがりだったわけでもなさそうで、ユリから「ある一時期エリートみたいに光り輝いて見えて、憧れたこともあったわよ」と言われているので、何となく良い関係にはなっていたものと思われる。

そんなユリを一人の男性が車でデートの迎えに来る。高木と違って、いかにもエリートというスマートな風貌で、ユリはこの男に心を奪われてしまっている模様。

ちなみに、この幼馴染みの女性が自分の知らない世界の男性に連れて行かれてしまう展開は、その後、『宇宙からのおとし玉』(1983年)という作品でも描かれていた。


一人取り残され肩を落とす高木を、何者かが物陰から覗いている。高木が公園のベンチに座っていると、目の前にボボボボーンと白い煙が噴き出して、一人の男が姿を現わす。悪魔である

高木は「ビックリした、何だ悪魔か」と呟くが、言葉とは裏腹に、あまり驚いた様子ではない。

本作では高木の身に不可思議なことが続いていくが、終始一貫して冷静沈着な態度を取る。パッとしない風貌とは異なるクールさを持ち合わせているようだ。

悪魔は、自分のことをすぐに悪魔と認識したことに驚く。悪魔の話によれば、科学文明の発達した二十世紀の日本で悪魔の存在を信じる者がいなくなったというのである。

何気ないやりとりだが、「時代遅れの悪魔の存在」という本作のテーマがここで既に浮き彫りとなっている。悪魔は、自分を悪魔と認めれくれたので「助かるなあ」と嘯くのだが、皮肉にもこの後、全く助からない展開になっていくのである。


悪魔は高木に近づいたのは、とある「商談」のためであった。高木はたった今恋人だと思っていたユリに捨てられたが、その他にも友人の裏切りに遭い、失業の憂き目にあったという。弱り目に祟り目であったのだ。

そこで悪魔は、絶望して自殺をしてしまいそうな高木と掛け合って、死後の魂と引き換えに快楽に満ちた新しい人生を送らないかと提案してきたのである。


少しここで、悪魔との取引(deal with the Devil)について、補足説明をしておこう。

そもそも悪魔とは、キリスト教における神と敵対する存在(アンチテーゼ)として知られてきた。デビルとかディアボロスとかデーモンなどと呼ばれる。

人間の形に似ていて、本作の悪魔のように、一見上品な身なりをしていることが多い。人間に近づいてきては誘惑して、堕落させる存在だとして、教会の敵とされたのである。

そしてゲーテの著作で有名な「ファウスト伝説」に代表されるように、悪魔と取引をした人間は、自分の魂と引き換えに、膨大な知識(才能)と現世での幸せを得ることになる。

古今東西、悪魔に魂を売ったとされる人物や伝説は数多いが、たいていの場合、一定期間の大成功を得た後に、最終的に不幸となる。伝説上のファウストも、錬金術の実験中に爆発事故を起こして五体バラバラになったとされている。

悪魔との取引には、ゆめゆめ手を出してはいけないものなのだ。


主人公の高木健は、そうしたキリスト教的な「悪魔との取引」についての知識があったので、悪魔の申し出に対して、「お門違いだ。僕はクリスチャンじゃない」と答えている。

悪魔を見てすぐに悪魔と見抜いたのは偶然ではなく、悪魔に関する知識を事前に持っていたからなのであり、この後、悪魔との契約で自分の有利な文面を作り出すことになるのは、必然だったのである。


さてこの悪魔、少し喋りすぎの傾向があるようで、自分の置かれたポジションをベラベラと高木に話してしまう。

・魂のバイヤー(買い手)は何人もいる
・彼らは餓狼みたいな連中で、成績を上げることしか念頭にない
・地獄ではそんな奴らが出世するが、自分はお客本位

その上で、まずは幸せになるテストをしないかと高木に持ち掛ける。

ここまでの悪魔の対応は、若干自らの手の内をさらけ出し過ぎている感があり、実はこの時点で既に高木に足元を見られて始めているように思われる。

悪魔は自分のことを一瞬で悪魔と認識してくれた高木を、勝手に好意的な目で見ているようだが、高木はそれほど良い性格ではないことは、この後徐々にわかっていく。


高木は少し考えて、テストを受けると悪魔に告げる。しかし、その要求とは「差し当たり産油国の王さまにしてくれ」という、悪魔にとって法外なものだった。

悪魔は高木の要求を聞くと、胸を押さえて苦しそうな表情を浮かべる。悪魔は心臓に持病を持っており、ショックは禁物であるようだ。悪魔は、「昔は酒一杯、パン一個で魂を売る奴がいた」と、涙を流すのであった。

高木はどの程度の望みが良いのか尋ねる。すると悪魔は「ぶっちゃけた話、魂一個につき総予算が3000万」と、本当にぶっちゃける。このあたりも、バイヤーとしての交渉能力に疑問符がつく。

「今どきその程度の予算では・・」と高木も思うが、悪魔によればその辺の事情が地獄の上層部には理解されていないのだと言う。

「では、三万キャッシュでおくれ」と高木は具体額を要求する。ここの所飯を食べていないし、家賃滞納でアパートに入れなくなっているからである。それに対して悪魔は、現金払いはできないので、その金額相当の望みを叶えると言う。

そこで悪魔は、屋台でラーメンでも食べるよう高木に指示する。高木が、恐る恐る無銭飲食し終わると・・・、その瞬間、強面の屋台のオヤジがチャルメラの笛を吹き、当店千人目のお客様ということで、賞金三万円が進呈される。

悪魔は現金払いはできないと言っていたが、人の手を介せば現金を直接手渡すことができるようである。


翌日、高木は既に悪魔との契約を決意しているようで、3000万を得ることを頭に入れて、ユリに復縁の電話をかける。しかし、全く相手にされず電話を切られてしまう。

部屋で寝タバコをくゆらせていると、突然ボワンと白い煙が部屋中に立ち込める。たまらず咳き込む高木。窓を開けて煙を追い出すが、アパートの住人たちにはガス爆発と勘違いされてしまう。

悪魔は「やっぱり悪魔は硫黄の煙で現れないと」と形式に拘っているようだが、高木は「住宅事情も考えてくれ」を不平を述べる。ここでも、新旧の対立構造がチラリを顔を見せている。


高木は悪魔に対して「契約するよ」とさらりと答える。すると何十年ぶりの契約だったらしく、喜び方向でショックを受けた悪魔は心臓をキリキリとさせる。

ここで高木は「ただし」と言って、契約に条件を求めていく。ここからの条件交渉は、何気ない感じで進行していくが、じつは高木には秘めたる仕掛けが用意してあり、悪魔はそれに気が付かない。

契約書はまず、

「魂の所有者高木健を甲とし、悪魔メフィストを乙とする」

と近代的な契約文言で始まる。高木は魂と引き換えに

「三千万円は税金を除いた手取り金額とし、これを現金で先払いする」

を要求する。現金は用意できないということだったと思うので、何とか人づてに渡す算段を考えるということなのだろうか。また、先払いとしている点も見逃せない。先に契約を履行させてしまう作戦が潜まれているである。


悪魔は契約の締めを以下のように設定する。

「甲の死亡の時点をもって魂の所有権は乙に移るものとする」

ところが、ここに高木はツッコミを入れる。「死亡の時点」が曖昧だと言うのである。

ここから数回の押し問答があり、最終的には

「高木健の身体を構成するあらゆる細胞の最後の一個の死亡が確認された時点をもって」

と定義することになる。確かに曖昧さの無い文言にはなったが、それだけかなり厳密な定義づけとなっている。この部分が、悪魔にとって命取りとなるとは、この時には夢にも思っていない・・・。


さてこれで悪魔念願のサインかと思いきや、すっかり足元を見ている高木にさらなる要求を突き付けられる。おまけとして、瀬川ユリも欲しいというのである。

悪魔は「人間の生命は地球より重い」と言って拒否るが、高木はそういう評価は曖昧だと指摘。人体の組成は脂肪・鉄・リン・炭素・石炭・硫黄・マグネシウム・水からできていて、時価にして一万円にならないと返すのであった。

悪魔は女の費用は自腹を切ると渋々条件を受け入れ、サインを促す。高木が一筆書き終えると、悪魔は「ついに魂一個手に入れたぞ!!」と、涙を零して喜び、ウハハハハとまたも硫黄の煙を爆発させて、姿を消す。最初で最後の悪魔らしい様子であった・・・。


さて、「悪魔との取引」を終えた高木はどうなったのだろうか。

宝くじや競輪競馬で3000万を入手したらしく、その資金でささやかなマンションを購入する。そこへ瀬川ユリが訪ねてくる。ユリは冒頭のデートの誘いを受けていた男性に騙されたらしく、高木を頼ってきたのである。

高木はユリに、今は遊び惚けていた頃に考えていた新しいゲームマシンのプランを練っていると告げる。悪魔との取引のおかげか、元々の才覚だったのかは謎だが、すっかり自信がつき、これからは自分の才覚でやっていけそうだと、強い手応えを感じているのであった。


さて、一方の悪魔。地獄なのかどこなのかわからない場所で、上司と思しき悪魔に今回の魂獲得の契約成立の報告をしている。本人は完璧な契約書を結んだことで、何十年か後に確実に魂一個が手に入ると、嬉しさを隠しきれないでいる。

ところが、ここで悪魔は、高木に仕組まれた悪魔のような仕掛けに気付かされることになる。

上司の悪魔は言う。景品につけた女性の費用は君が出すのかと。悪魔は一万円かそこらの出血は覚悟していると答える。ところが、上司は別の計算方法を口にする。

人間の値打ちの算出法は、「得べかりし所得」から計算されると言うのだ。俄かに意味のわからない悪魔に、上司が補足する。瀬川ユリのケースでは、彼女の生涯の総所得を計算する必要がある。結婚後の家事労働についても一切を賃金に換算し合計する。

その金額とは、5726万9915円!

魂一個の予算は3000万と言っていたので、完全に予算オーバーである。しかも、これは悪魔の給料から今後差し引かれてしまう。

悪魔はこれまでで最大のショックを受けて、心臓を痛める。上司は「そろそろ退職してはどうかね」と引退を勧めてくる。

悪魔は久しぶりに魂を手に入れた功績に免じて・・と、恩情を求めようとするのだが、上司は「手に入れたつもりか」と不穏なことを言い出す。

高木はアイバンクに登録しており、彼が死んでも角膜は他人に移植される。そうなると、高木の細胞の最後の一個の死を確認することは不可能である。すなわち、事実上魂は永久に入手できない、というのである。


ここで悪魔の上司が指摘した二点について、少し補足説明をしておく。

まず人間の値打ちとして「得べかりし所得(利益)」という概念を持ち出していたが、これは死亡事故を起こした際の損害賠償額の算定基準となる考え方である。逸失利益とも呼ばれ、昭和40年代に相次いで最高裁判所での判例が作られている。

悪魔としては、高木の言う通りに人間を物質と考えても良さそうなものだが、現代の悪魔業界でも、現代の法律が適用されるようである・・。


続けて、アイバンクと角膜移植について。

日本では1949年に初めて角膜移植が行われ、1958年に「角膜移植に関する法律」は施行、1963年にあっせん許可のあるアイバンクが作られていった。しかし、当初はアイバンクの力が弱く、成果も上がらない。

時間をかけて、少しずつ認知を広げていって、本作が執筆された1979年に、「角膜及び腎臓の移植に関する法律」が公布、施行されて、ようやく角膜移植が市民権を得ていく。

おそらくだが、藤子先生は角膜移植とドナー登録に関するニュースをこの時点で知り、人間の細胞の終焉というテーマを思いついたのではないかと想像される。


「得べかりし利益」と「アイバンク」。極めて現代的な考え方や医療技術が、古来ゆかしき「悪魔との取引き」の足を引っ張ることになるという、何ともユニークな発想に基づくお話であったのだ。


さて、魂も手に入らず、5000万以上の給料天引きの憂き目に遭った悪魔は、これ以上ないほどに心臓を痛めて苦しみ、「悪魔ーっ!! 人でなし!!」と怒り狂う。

怒りは雷となり、雷鳴が高木の部屋へと届く。しかしその断末魔も虚しく、高木は入手したユリを抱きかかえて、現世の幸せを掴んだのであった。


本作は終わってみれば、主人公は人間(高木健)ではなく、悪魔であったことに気がつく。サラリーマンの悲哀を描いたお話かと思いきや、時代遅れの悪魔(しかも心臓に持病を抱える)の断末魔を描いたお話であったのだ。

悪魔が人間に対して、悪魔だと叫ぶシーンの可笑しさは、何とも哀しいものがある。

最後にもう一つ補足しておくと、本作のタイトルとなっている「メフィスト賛歌」の「賛歌」だが、これはキリスト教カトリック教会の聖歌イムヌス、プロテスタントの讃美歌のことを指している。

賛歌とは、通常キリストや聖人を賛美する歌だが、本作では賛美する対象を敵対する悪魔(メフィスト)にしている。タイトル自体が、皮肉たっぷりな、F先生の仕掛けのあるものであったのだ。




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